産経抄

元気で征きます 8月14日

 長崎・川棚の臨時魚雷艇訓練所の学生全員が集められたのは、昭和19年9月だった。特殊兵器要員の募集である。その夜、小俣嘉男さんは教官の部屋に呼ばれ、半紙に血で書かれた志願書を見せられた。

 ▼同じ慶大出身で、2段ベッドの上段の隣同士だった塚本太郎さんのものだった。長男だったからか、塚本さんは、選に漏れていた。「これをどう思うか」。教官の問いかけに、小俣さんは答えた。「本人の希望をかなえさせるのが、本当ではないでしょうか」。

 ▼塚本さんは20年1月21日、人間魚雷「回天」の金剛隊員として、西太平洋のウルシー海域で散華した。21歳だった。魚雷艇の艇長として終戦を迎えた小俣さんには、悔恨の念が残っていた。教官に、違う答えをすべきではなかったか。あるとき、塚本さんの母親が、東京都内で銭湯を営んでいるのを知り、訪ねたことがある。

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