つげ義春旅写真

下北半島ー1 1970(昭和45)年 9月

 下北半島は本州の最北端に位置するので、厳しい寒さと貧しく寂しい地のようにイメージされ、偏屈な私には好ましく思えていた。それと、死者の霊の集まる恐山や霊媒のイタコにも関心があった。
 40年ほど前の下北半島はまだ訪れる人は少なかったようで、ディスカバージャパンの旅行ブームでも行楽客はほとんど見かけなかった。
 まずは大湊線の終点からバスで陸奥湾の出口に当たる脇野沢村の九艘泊という小さな漁村へ目的もなく行ってみた。『アサヒグラフ』の大崎記者と写真家の北井一夫氏との三人連れの気ままな旅だった。
九艘泊は、男は出稼ぎのため少く、女と子供が総出で働いていた。漁業が不振でわずかな収入にしかならない雑魚を焼いているのだが、小学3〜4年生ほどの子供もかり出され手伝いをしていた。
 辺鄙な地方へ出かけ貧しい暮しを目にすると、いつものことながら、そこで自分も暮したい思いを抱く。自分の気質を対象に投影して勝手なことを言うのは気がひけるけれど、貧しい暮しは人もその周囲の景観も佇いも貧相に見え、やがては廃れ無に帰す無常感を漂わせている。そういう雰囲気に馴染み惹かれるのは、自分も無常の存在にすぎないので感応するのだろうか。
 この世のすべては、人間も自然もただ現象しているだけで、何か理由や意味があるわけではない。自分も意味のないまま現象して現れているだけで、いずれは消えていく。それはまぎれもない事実で否定することはできない。けれどもその思いをいつも意識しているわけではなく、廃れていくものに無意味性を想起されると思わず反応するのかもしれない。
 近頃は「廃墟」が人気を集めているそうだが、似たような傾向が窺える。廃墟は役に立たぬ存在価値のない無意味性を晒している。そこに自分の無意味性が同化されることを無意識に希求しているように思える。
 同化するとは、主体性の喪失を意味するものではなく<意味化され社会化されていた自己>から、意味を脱色することで、本来の自己に立ちかえり、生の回復を求めているのではないかと考えられる。
 廃墟やそれに類似した貧しい暮しの佇まいは、意味化やさまざまな制約も崩れつつあり、無秩序で解放されている。それを対象化せず、経験して実感を得たいために、そこに住みつきたくなるのかもしれない。
 九艘泊の海側から山の方に入ると湯野川温泉がある。以前は営林署の軌道車で行くことができたそうだが、廃線になっていた。水上勉原作の映画「飢餓海峡」はこの温泉がモデルになっている(このとき私はまだ映画を観ていなかったが)。
 湯野川温泉は実に貧し気な、あくまでも暗く救いのない映画にふさわしい湯治場だった。この映画のラストシーンの凄さは生涯続く宿業のような余韻として残る。
 なぜかここに泊まって前ぶれもなく風邪のような高熱を出し、2日間身動きができず、ゆっくり見て回ることができなかった。
 また海の方へ戻り、九艘泊から先の半島を斧にたとえると、刃に面した方の牛滝、福浦、長後、佐井といずれも小さな漁村を訪れてみた。途中仏が浦という巨岩の名所も見物した。
 世界中の聖地や霊地はなぜか巨岩や岩盤、岩窟などが選ばれ聖域として祀られる例が多いけれど、岩石は何かエネルギーを放出して人を癒す力を秘めているのだろうか。
 インドでは古代から眼病に水晶を利用してきた。マブタに当てると水晶の微細な振動が作用するらしい。すべての物質は固有の振動を発しているので、極端な説では、物質は振動の凝縮されたものであるそうだ。水晶の正確な振動を利用してデジタル式のクオーツ(時計)は作られている。医薬品にも鉱物(ミネラル)は多用されているので、たかが石と軽視できないそうだ。
 仏が浦は聖域に指定されてはいないが、巨岩に囲まれていると、その圧倒的に巨大で無機質な物体は<無意味>が目に見える固形になって現われ、ウムを言わせぬ威厳のように迫る。
 世界はすべて言葉によって意味づけされ、意味のない存在はないとされている。もちろん人間も意味化された存在である。だが役割のないどんな意味も寄せつけない巨塊を眼前にすると、相即的に自分も岩石のように意味のない「物」に化したような感覚になる。<意味>という制約から解放されて単なる物体(オブジェ)のように、ただあるがまま現象している心地を覚える。
 見る主体が対象に同化して客体化、客観化するということは、廃墟の例のように、客体化している状態の自分を意識することはできないから、おのずと<主客合一>を「経験」することになる。その経験こそ意味化から解放された真の実在感(リアリティ)の覚醒といえるのではないだろうか。
 ということで、世界の聖地は無意味が具現化したような岩場に人々が吸引されたのではないかと思える。(次回につづく)

下北半島ー1の旅写真(2009/11/1)

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