日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「『シン・ゴジラ』、私はこう読む」を展開しています。
この映画に対して政治家や官僚の姿などがリアルに描かれているという評価が多いのですが、石破茂議員の意見は全く異なります。8月19日付のブログには「何故ゴジラの襲来に対して自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解が出来ません」と書いています。
防衛大臣を務め、政界切っての「軍事通」である石破氏の真意は何か。前編・後編に分けて、たっぷりとお伝えします。
(聞き手は坂田 亮太郎)
※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
「シン・ゴジラ」が多くの国民から幅広い共感を得た理由を、どう捉えていますか。
石破:日本人はみんな、ゴジラが好きなんですね。ゴジラ以外にも戦艦ヤマトとかも、定番キャラとして大好きなんですよ。ゴジラが出てきたぞ、また映画になったぞ、というだけで話題になりますよ。
石破:今回のシン・ゴジラに対しては、観に行った人からいろんな反応がある。エンターテイメント作品として面白かったと言う人もいれば、これからの核政策を考える意味で非常に意義深いと言う人だっている。または、我々のように、安全保障政策を考える意味でこの映画を捉える人もいる。
いろいろと、突っ込みどころが満載の映画と言うことですね。
石破:そうそう、敢えてそういう作り方をされたんでしょうね。
8月19日付のブログの中で「何故ゴジラの襲来に対して自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解が出来ませんでした」と書かれていました。違和感を抱いた理由は何ですか。
石破:例えば…国家主権って何ですか?
それは…突き詰めれば、国民の命と財産を守るということ…ですか。
石破:小学校でも中学校でも高等学校でも、そして大学でも「国家主権とは何か」ということは全然、教わりません。国民主権は習いますよ。でも、国家主権とは何か、ということは日本の学校では教えません。
国家主権を守るということが独立と言うことです。国の独立を守るのが軍隊の仕事で、そこで発動されるのが自衛権なんです。自衛権とは国の独立を守るためのものなんですが、攻撃の主体は常に国または国に準ずる組織となる。これって基本中の基本なんですけれど、でも大学でも教わらない。
国家主権の三要素である「領土」と「国民」と「統治の仕組み」。この三つについては、国または国に準ずる組織に指一本触れさせてはならない。それは領土であり、国民であり、統治の仕組みを守ることが国の独立を守るということだからです。軍隊の仕事というのはただ一つ、国の独立を守ることです。そんな大事なことも、実は私も議員になるまで知りませんでした。
では警察とは何か。これは国民の生命と財産、そして公の秩序を守ることで、行使されるのが警察権です。従って、優れて、軍隊の作用というのは外国勢力に対して行われるべきものであって、国内において軍隊は機能するものではないのです。逆に、警察というのは、優れて、対内的な作用を果たすべきものです。対外的に警察権を行使すると言うことはあり得ないのです。
石破:軍であれ、警察であれ、実力組織であることに違いはありません。しかし、その2つは全く異なるものです。安全保障を語る上において、基本中の基本がほとんど誰も理解していない。だから私は、何故、ゴジラがギャーと暴れて、自衛権が行使されるのか全く分からない。
ゴジラは害獣であって、外国勢力とは言えないからですか?
石破:そうです。自衛権を行使するための三要件というのが法的で決まっています。我が国に対する国または国に準ずる組織からの急迫不正の武力攻撃があること。他に取るべき手段がないこと。その実力行使は必要最低限にとどめること。これが三要件です。映画で出てきた「防衛出動」というのは自衛権の行使に他なりません。だからこの三要件が満たされない限り、自衛隊に対して防衛出動が下令されることはあり得ません。
去年、安全保障政策が国会に提出された時にあれほど議論したのに、映画とは言え、なんであんな平気に、防衛出動の下令となってしまうのか…
あのゴジラをどっかの国がリモコンで操っていれば…
シン・ゴジラは映画としてリアルだ、リアルだと評価されていますけど、自衛隊に防衛出動させる法的な部分が簡略化してしまっているということですか。
石破:いや、間違っているでしょ。もし、あのゴジラをどっかの国がリモコンで操っていれば、国または国に準ずる組織からの我が国に対する武力攻撃とみなせるので、自衛権の行使はまったく問題ありません。でも映画の中ではそうはなっていないから、害獣駆除として災害派遣で対処すべきなのです。イノシシとか、クマとか、そういう害獣を駆除するのと基本的には全く同じです。クマが爪でガーンと攻撃するのと、ゴジラが火を吐くのは一緒ということです。
国家とは何か、ということを別の言い方をすると、軍隊と警察という実力組織を独占する組織体だということです。これが国家なんです。マックス・ウェーバー流に言えば「暴力装置」なんです。かつて仙谷さん(由人氏=民主党政権における内閣官房長官)が言って大問題になったんですけど、仙谷さんはマックス・ウェーバーをちゃんと読んでいた。実力組織と暴力装置というのは、本質は同じです。要するに軍隊と警察という実力組織、マックス・ウェーバー流に言えば、暴力装置を独占的に所有する主体が国家です。だから国家とは何か、国家主権とは何か。警察とは何か、警察権とは何か。軍隊とは何か、自衛権とは何か。そういうことを整理する意味で、あの映画ってどうなんだろうねと言う議論は、あって然るべきでしょう、と思うのです。
で、ブログを書いたことで私のところに「お前はそんな暇なことを考えているのか」とお叱りを頂戴するわけです(笑)。いやいや、私はゴジラ退治をどうしようと言うことを申し上げたいのではない。国家とは何か、国家の独立とは何か。そういうことをきちんと整理しておかないと、憲法9条を改正して国防軍を持つとか、自衛権を行使するのはどうすべきかとか、そういう議論の本質が分からなくなると。
国権の最高機関である国会で、定義もきちんと分からずに議論すること。これは国民に対する冒涜だと、私は常に思っているんですよ。でも、そういう人がいっぱい、いるわけですよ、国会議員でも。
残念ながら、それが現実だ、と。
石破:それもある意味で、仕方がないことなんです。だって、大学に入っても本質についてきちんと学ぶことはほとんどない。私は法学部を卒業しましたが習っていない。国家公務員試験をパスして官僚になる人も分かっていない。経団連に加盟しているような大企業にお勤めの人も知らない。おそらく法曹界の弁護士でも、分かっている人はごく少数だと思いますよ。
そういう状況下で自衛権をどうするか、緊急事態に対応するにはどうすべきか、という議論が行われていることを私は危惧しています。
政治家の行動原理は票とカネだから
しかし、現実問題として北朝鮮のミサイルが今日、発射されるかもしれない。あるいは尖閣諸島の周辺では、今この瞬間も中国海警局の船が日本の領海に侵入しているかもしれない。そういう脅威に晒されすぎて、国民の方もその脅威にだんだんと麻痺してきた状況です。
石破:政治家はこの手の話はやりたがらない。だって、世の中に受けないからです。国防に関わる話をしても票にならないし、パーティー券も売れないでしょう(笑)。政治家の行動原理は票とカネだから。全員とは言わないが、大半がそうです。でも私は、そういう国家のベースとなるところをきちんと議論するのが政治家だと考えています。そのベースがあって、そこから農林水産分野だろうが、建設だろうが、文教だろうが何でもいいんですけど、票やカネにつながることをおやりになればいい。でもベースはやっぱり、国家の独立とは何かということでしょ、と。
我々自民党と民進党などでは立場や主義主張は大きく異なりますけれど、基本となる知識や用語について共通の理解がないと、まともな議論にならないのですよ。しかし現実には共通理解がないまま、感情的なやり取りだけが行われる。
とくに、去年の安保法制の議論には違和感を覚えました。
石破:おかしかったでしょ。国会の周囲にも「憲法9条を守れ」「戦争法案を許さないぞ」とデモをする方はたくさんいました。でも、基本的なことが国民に理解されないまま、数で勝る与党によって採決が進む。そんな状況だったので、当時、地方創生大臣だった私は「国民のご理解が進んだという自信がない」と発言したら、「貴様、安倍内閣の一員なのにそんなことを言うのか」と批判されました。でも、分かってないのは事実でしょ、と。
では憲法改正の議論の時はどうするか。国民投票ですからね、国民がきちんと中身を理解しないまま投票したらどうなるか。
Brexit(ブレグジット)の例もありますからね、その時の流れで極論に傾いてしまう恐れがありますね。
石破:国の独立を守るというのは容易なことではない。この国はなぜ、太平洋戦争という勝算のない戦争に突き進んでしまったのか。そこの検証と反省ってどれくらいできたんでしょうか、と思うんですね。当時の国民は、アメリカの工業力とか工業生産額とか、あるいは資源力とか、全然知らされていなかったわけでしょ。教わったのは「鬼畜米英」ということ。敵は鬼であり、獣だと。
また、アメリカは民主主義の国だから、最初にがーんとやってしまえば、厭戦気分が高まって有利に講和に持ち込めるぞと。要するに、正確な情報が国民に伝わらないまま戦争になってしまった。
では、今の日本でも正確な情報がきちんと国民に伝わっているのでしょうか。
それはメディアの問題でもあります。
軍事に詳しいと「軍事オタク」とか「軍事マニア」と言われる
石破:国防に関わる話って、優れて政策的な話であって、政局的な話ではない。これは私の不徳の致すところでもありますが、軍事に詳しいと「軍事オタク」とか「軍事マニア」とマスコミに取り上げられる。大体、迫害排斥の対象になる(苦笑)。
だけど医学に詳しい人が厚生労働行政に関わったとして、その人は「医学オタク」って言われることはあるでしょうか。
聞いたことがありませんね。
石破:鉄道や航空に詳しい人が国土交通大臣をやっても「鉄道オタク」や「飛行機オタク」とは言われないですよね、もっと好意的に専門家という扱いになります。軍事に関してだけは、オタクやマニアと言われ方をする。これはなぜかというと、その方がマスコミ的に面白い、受けるからですよ。
それは日本の教育に関わることなんでしょうね。日本では戦争について議論することはよろしくないという風潮がかつてありましたし、今も一部の人はそう考えています。
石破:でも、そういう人たちに限って、いざ有事になると振れやすい。超法規的にやれ、と。
(後編に続く)
記事掲載当初、本文中で「暴力組織」としていましたが、「暴力装置」の誤りです。本文は修正済みです [2016/09/02 15:35] 記事掲載当初、本文中で「自衛隊が出動してしまうのか」としていましたが、「防衛出動の下令となってしまうのか」に修正します。 また、「でも映画の中ではまったくその部分は描かれていません。そうすると害獣駆除で処理するしかない」は、「でも映画の中ではそうはなっていないから、害獣駆除として災害派遣で対処すべきなのです」に修正します。本文は修正済みです [2016/09/28 20:15]
映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?
その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。
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(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)
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