元横綱・大鵬の納谷幸喜さんが死去 72歳
「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語で一世を風靡(ふうび)し大相撲で史上最多32回の優勝を達成した元48代横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが19日午後、心室頻拍のため、東京都内の病院で死去した。72歳だった。
樺太の敷香(しすか=現サハリンのポロナイスク)で生まれた。5歳で命からがら脱出、白系ロシア人の父と生き別れ、北海道の辺地を転々とする苦労を味わった。
16歳で二所ノ関部屋に入門。毎日のしごきに耐え、1日四股(しこ)500回、鉄砲2000回のノルマをやり通した。1961年に柏戸と横綱同時昇進を果たし「柏鵬時代」を築いた。その強さと人気の高さから「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれた。
71年に引退。一代年寄を許され「大鵬部屋」を創設したが、36歳の時に脳こうそくで倒れる。左の手足のまひという後遺症となったものの、2000年には還暦の土俵入りを披露している。
三女の娘婿の元関脇貴闘力(元大嶽親方)が後継者となり「大嶽部屋」を開いたが、元大嶽親方はプロ野球賭博問題で相撲協会を解雇された。
05年から08年まで日本相撲協会の相撲博物館館長。
04年に紫綬褒章、09年に文化功労者。
00年8月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。