アベノミクスがよく分かる GWに読みたい経済書
■リフレ派の主張をおさらい
アベノミクスは、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「3本の矢」からなる。その中でも特に注目を集め、賛否両論が分かれているのが金融政策である。大胆な金融政策とは、金融緩和のこと。世の中に出回るお金の量を増やして経済を活気づかせ、日本経済の足かせとなっているデフレから脱却する狙いがある。
お金の量を増やしてデフレからインフレにする政策をリフレーション(通貨再膨張、略称リフレ)政策と呼ぶ。リフレ政策の導入を早くから唱えていたのが岩田規久男・元学習院大教授、浜田宏一・米エール大名誉教授、伊藤隆敏・東大教授らの経済学者。リフレ派の主張を取り入れて昨年の総選挙で政権交代を果たした安倍首相のもとで岩田は日銀副総裁、浜田は内閣官房参与に就任した。
リフレ派の経済学者の主張、論点をおさらいするのに役立つのは岩田の『日本銀行 デフレの番人』と伊藤の『インフレ目標政策』。「日銀がインフレ目標を設定して大量にお金を供給すれば、人々がインフレを予想して行動するようになる」という仮説がリフレ派に共通の基盤である。浜田の『アメリカは日本経済の復活を知っている』も同じ土俵で議論を展開している。いずれか1冊を読めばリフレ派の主張のポイントをつかめるが、リフレ派が展開する「日銀批判」の辛らつさに面食らう読者もいるだろう。
リフレ派と日銀との間には長い対立の歴史があり、感情的になっていた面がある。伊藤の著書は2001年に発刊した『インフレ・ターゲティング』の増補改訂版であるが、「いまだに中心的議論がそのまま当てはまる」という。安倍政権の誕生で、金融政策をかじ取りする側に回ったリフレ派は、長年にわたる主張の正否が問われることになる。
■貨幣数量説を応用
リフレ派の主張はどんな経済理論に基づいているのだろうか。やや専門的になるが、『リフレが日本経済を復活させる』はリフレ派の論客たちが自説の論拠を説明している著書だ。
金融政策で物価の変動をコントロールできるという考え方の根底には、物価の変動は通貨供給量に応じて決まるとする「貨幣数量説」があり、本書でも冒頭で紹介する。20世紀の米国の経済学者、アーヴィング・フィッシャーが定式化し、自由主義を重視した米国の経済学者、ミルトン・フリードマンが、通貨供給量と物価の関係に注目する「マネタリズム」の論拠とした学説である。もっとも、貨幣数量説を基本的には支持しながらも、この学説だけでは不十分とみるリフレ派は多い。
本書は、資産価格の変動がモノの市場に影響を及ぼし、インフレ率を変化させるメカニズムを解明した米国の経済学者、ジェームズ・トービンの「資産選択理論」、金融緩和は資産の担保価値を高めて金融機関の貸し出しを促すと主張する「信用加速度理論」などをリフレ政策の有効性を裏付ける理論と位置付ける。さらに「人々の期待に働きかける」政策の有効性を決定づけた理論として「中央銀行が将来の金融緩和を約束するインフレ目標を設定すればインフレが起きる」と指摘するポール・クルーグマン・米プリンストン大教授の理論・提案(1998年)を挙げる。
本書の執筆者の一人である矢野浩一・駒沢大准教授はクルーグマンの提案を「政策レジーム・チェンジ」(政府・中央銀行が政策を実行するうえで守っている戦略やルールを変えること)になると高く評価する。リフレ派は安倍政権の金融政策は「政策レジーム・チェンジ」に当たるとみているのだろう。
若田部昌澄・早大教授の『経済学者たちの闘い』は、リフレ論争の発端となった岩田規久男と翁邦雄(京大教授、当時は日銀の課長)の間の「マネーサプライ論争」(1992~93年)から説き起こし、リフレ政策がいかに「世界標準」であり、日銀が唱えてきた理論が世界の常識からはずれていたかを力説。「デフレから脱却した後でも日本に経済問題は多く残るだろう」「どこまでがデフレの問題か他の問題かは、まずリフレ政策をきちんと実行してみれば決着がつく」と言い切っている。
■クルーグマンの提案を批判
次に、リフレ政策に反対もしくは慎重な論者たちの著書を紹介しよう。
田中隆之・専修大教授の『「失われた十五年」と金融政策』はリーマン・ショック直後の2008年11月の発行。バブル崩壊後の日銀の金融緩和策を巡る論点を整理し、日銀の行動を基本的に擁護している。クルーグマンの提案に対しては「ポイントは、中央銀行が通貨の番人としての役割をわざと放棄する点にある」と解説したうえで、「この政策はヘリコプターでマネーをばらまく政策や、日銀による実物資産購入などパニック的なインフレを引き起こす政策と変わらない」と批判。「(本書の発行時点で)日銀が人為的なインフレ喚起策に打って出なかったのは『正解』であった可能性が高い」と総括している。
クルーグマン理論の土台となっている「代表的消費者の最適化行動」には根拠がないと厳しい目を向けるのは吉川洋・東大教授の『デフレーション』。日本経済を低迷させてきたデフレから脱却する方法を探る著書だ。
■デフレは長期停滞の結果と主張
吉川はリフレ派を「デフレこそが日本経済の長期停滞の原因であり、デフレを止めるためにマネーサプライの増加を求める」立場、反リフレ派を「デフレは長期停滞の結果であると考える」立場と色分けし、後者の立場から議論を展開する。これまでの日銀の金融政策を振り返り、「マネーを増やしてもデフレは止まらなかった」と指摘。日本だけがデフレに陥ったのは「日本でだけ名目賃金が下がっているからだ」と結論づける。
リフレ政策がもたらす悪影響を警告するのは小幡績・慶応大ビジネススクール准教授の『リフレはヤバい』。「モノの値段は上がっても、給料は上がらない」「日本のインフレは円安・輸入インフレ」「それでも国債は暴落する」「築き上げた中央銀行の独立性をあえて壊す愚」など過激な見出しが並ぶが、内容は地に足がついている。リフレ派が想定する波及経路とは全く異なる危険な経路をたどる可能性を示す。
藤田勉・シティグループ証券副会長の『金融緩和はなぜ過大評価されるのか』は「リフレ政策の効果は限定的あるいは短期的」とみる立場からリフレ政策を批判。「『金融緩和が足りない』という議論に終止符を打つには、日銀はあえて、とことん緩和を実施してみるべきだ」と逆説的に指摘する。
「国内の金融市場の専門家にリフレ論を信じる人は少ない」との見方を示し、「日本経済は難病を患っている状況。長年の円高・株安も構造的な問題に起因するものであり、小手先の金融緩和だけで抜本的な解決は望めない。いくら金融を緩和したところで、人口が減少し、ハイテク産業の国際競争力が低下を続け、財政赤字が膨張していけば、日本経済は再生しない。日本経済が健康体に戻るには、もはや痛みに耐えて、規制緩和や構造改革などの"切開手術"を実行するしかない」というのが専門家のコンセンサスと断じている。
■金融政策の実務と理論を解説
安倍政権の誕生で、旧来の「日銀理論」は政治的には「敗北」を喫したように見える。白川方明・前総裁とともに、日銀理論を支えてきた翁の『金融政策のフロンティア』は主要国の中央銀行がここ数年、何を考えながら金融政策を打ち出してきたのかを実務と理論の両面で解説している。「マネーサプライ論争」について直接の言及はないが、金融調節の仕組みを具体的に記述した第2章を読むと、実務家の立場から何を主張してきたか、がわかる。
インフレ目標政策についても「80年代から2000年代半ばまで続いたグレート・モデレーション(欧米における物価と実体経済の安定性の高まり)を金融政策の成功の結果とみなし、中央銀行への信認が物価安定をもたらし経済全体の安定が達成できた、という仮説は学界・中央銀行サークルの多くの人に共有されてきた」「こうした楽観的理念はリーマン・ショックで世界経済が奈落の底に突き落とされるような急激な景気後退に直面したことで、ほぼ完全に粉々になった」と世界の潮流の変化を指摘。ジェフェリー・フランケル・米ハーバード大教授の「インフレ目標政策に対する弔辞」というエッセーを紹介している。
インフレ目標政策は、中央銀行が物価を安定させる手段。1990年代以降に世界に広がり、現在は20カ国以上が導入している。ただし、各国の目標はインフレの抑制であってデフレ克服ではない。翁によると、リーマン・ショック後、中央銀行には、金融システムの安定を保つための「最後の貸し手」や「最後のマーケット・メーカー」「財政の持続性への協力」などの役割も期待されるようになり、インフレ目標政策そのものを見直す機運が広がっている。そんな時期に、デフレ克服の手段として日銀にインフレ目標政策の導入を促した安倍首相の姿勢に疑問を投げかける。
■アベノミクスの全体像をつかむ
アベノミクスの全体像を手っ取り早くつかみたい読者には、『アベノミクス大論争』(文春新書)と『日本経済の行方』(日経プレミアプラス)をお薦めする。両書ともにリフレ派と反リフレ派の論客を登場させて論点を整理している。前者は憲法改正、安全保障、皇室問題などにも話題を広げ、安倍政権の目指す方向と課題を網羅している。
後者には「アベノミクスをより深く知るための知識とキーワード」といった項目が盛り込まれ、短時間で要点をつかめる。伊藤元重・東大教授の『日本経済を創造的に破壊せよ!』はアベノミクスが抱える課題を総ざらいした解説本。環太平洋経済連携協定(TPP)や、政府が6月をめどにまとめる成長戦略を巡る論点も説明している。伊藤は政府の経済財政諮問会議の民間議員であり、政策の当事者の一人からの提言は参考になる。
時間に余裕がある方には番外編として、黒田東彦・日銀総裁と、バーナンキ・米連邦準備理事会(FRB)議長が過去に執筆した著書を推薦したい。日米の中央銀行のトップがどんな考え方を持っているのかを読み取れるからだ。
黒田は『財政金融政策の成功と失敗』で、1970年代以降の日本の財政金融政策の変遷を数年単位で区切りながら検証し、時期別に教訓を引き出している。「過去30数年の日本の財政金融政策を振り返ってみると、何度も為替レートの変動に翻弄され、残念ながら成功より失敗の方が多かったように見える。しかし、こうした失敗からこそ学ぶ必要がある」という問題意識を披瀝(ひれき)している。
失敗の具体例とその原因を「1972~73年の2けたインフレは不可避の円高を避けようとして財政金融緩和を行ったことから起こった」「80年代後半の資産バブル(の原因)は円高対策としての過度の財政金融緩和、とりわけ金融緩和」「90年代の円高とデフレの悪循環(の原因)は金融引き締めと財政拡張という誤ったポリシーミックス」と列挙。今後の財政金融政策を考えるうえでのポイントに触れ、「為替レートとの関連を十分、見極める必要があり、為替相場の動きにあまりとらわれずに経済のファンダメンタルズを見通す力が要請される」と強調する。日銀総裁に就任以来、金融緩和政策を加速させる一方で「円安誘導ではない」と説明している黒田の発想の原点はここにあるのかもしれない。
■黒田氏、「日銀にデフレの責任」と明記
リフレ派の理論家と評される黒田だが、本書を読む限りでは、リフレ派の学者たちの主張をうのみにしているわけではないことがわかる。
「日本のデフレは内外のさまざまな要因が影響して起こったことだと考えられ、金融政策もそれらの一つだったろうし、ある局面では主要な要因だったかもしれないが、一貫してデフレの最大要因だったということはむずかしい。必ずしも積極的に『インフレやデフレはいつでもどこでも金融的現象だ』とはいえない」との見方を示す。
注目したいのはその先に続く記述だ。「ただし、このことはデフレの責任が金融政策にないと言うことを意味しているわけではない。日銀は日銀法により物価安定義務があるから、いかなる原因でデフレが起こっているにせよ、責任があるのだ」と明言している。「2年程度で2%の物価上昇率目標を達成する」と公約した黒田は厳しく結果責任を問われる覚悟はできているのだろう。
バーナンキの『大恐慌論』は「Essays on the Great Depression」(Princeton University Press 2000年)の全訳。「大恐慌マニア」を自称するバーナンキの研究成果をまとめた専門書である。1930年代の大恐慌研究の先べんをつけたのは、マネタリストであるミルトン・フリードマンと、アンナ・シュワルツ(米国の経済学者)だ。
大恐慌の原因は、米国の金融政策の失敗にあると分析。金融ショックでマネーサプライが急減し、それに伴う実質金利の上昇が生産の停滞をもたらしたと主張した。バーナンキの研究も、恐慌の原因は金融政策にあると考える点では一致しているが、「金融危機の非貨幣的効果」(本書第2章)に注目したところに独自性がある。金融危機で銀行が経営破綻したり、融資に慎重になったりすると信用創造が滞り、生産が停滞する可能性を指摘した。
こうした認識を持つバーナンキは06年にFRB議長に就任し、08年のリーマン・ショックに対峙(たいじ)した。大量の資産購入、ゼロ金利政策と、相次ぎ金融緩和策を繰り出し、金融危機からは脱出した。大恐慌の理論家としての知見は金融政策にどのように生かされたのか。理論家である黒田の前方を走るバーナンキの著書に目を通す意味はあるだろう。
夏の参院選をにらみ、安倍政権はアベノミクスへの取り組みを一段と強化している。こんな時こそ、リフレ派と反リフレ派の双方の主張に加え、(ここではご紹介できなかったが)様々な理由で論争とは距離を置く多くの経済学者らの主張にも耳を傾け、日本経済の先行きを見極める材料にしたらどうだろうか。
(編集委員 前田裕之)
関連企業・業界