先月24日に胆管がんのため亡くなった女優川島なお美さん(享年54)の告別式が2日、東京・港区の青山葬儀所でしめやかに営まれた。親交が深かった女優の倍賞千恵子(74)、作家の林真理子氏(61)が弔辞を読み、共演経験のあるSMAPの草なぎ剛(41)、AKB48グループ総合プロデューサー秋元康氏(57)ら計1500人が参列。だが、その中に、女優・黒木瞳(54)の姿は見当たらなかった。

 芳名板に名前もなく、通夜、告別式ともに姿を見せなかった黒木と川島さんは因縁深い。1960年生まれの同い年。作家の故渡辺淳一氏(享年80)の「失楽園」では、黒木が映画版(97年5月公開)、川島さんはドラマ版(同年7~9月)で、それぞれヒロインとして大胆な濡れ場を披露し話題を集めた過去がある。


「当時から女優としての評価が高かったのは黒木。川島さんの方がライバル意識が強かったのは、有名な話です。渡辺氏にちょう愛されていた川島さんが映画版のヒロインに抜てきされるとささやかれたけど、結局は黒木に落ち着き、川島さんは相当悔しがった。映画版のヒットを受けて制作が決まったドラマ版に川島さんが起用されたけど、2人は“共演NG”と都市伝説のように語られた」(ワイドショー関係者)


 黒木の所属事務所関係者は通夜、告別式の参列について「担当者不在」で明確な回答はなかったが、芸能プロ関係者はこう語る。


「不仲というわけではないようです。黒木も近年は舞台で活躍していた川島さんに一目置いていたみたい。ただ、今は複数の撮影が立て込んでいて参列しなかったけど、突然の死をひっそり惜しんでいるらしい」


 無理に参列して因縁を蒸し返されることより、自らの仕事のスケジュールを優先させたのかもしれない。


 告別式では倍賞が弔辞で「お友達の結婚式の後、私のウチに来て、トシ(夫でパティシエの鎧塚俊彦氏=49)が酔ってしまって、その時のあなたは素晴らしかった。古風な日本女性が、なお美さんの中に住んでいたのね…」と鎧塚氏を介抱した故人を回想。


 さらに、林氏は「あなたの輝くような美しいウエディングドレス姿を見たのは、たった6年前。ついこの間のことではありませんか…」と早すぎる死に唇をかむ。「お約束します。あなたの最愛の人、鎧塚さんを決して孤独にはしません。私たち仲間が友情で支えます。だから安心してください」と天国に呼びかけた。


 弔辞の中で、何度も名前が呼ばれた鎧塚氏。前日の通夜から2日間を通じての対応ぶりは関係者から絶賛を受けた。


 通夜の後、報道陣の囲み取材に応じた鎧塚氏は当初、10分程度とされていた取材時間を超えてもつらそうな表情ひとつ見せずに対応し続けた。途中、芸能リポーターから川島さんが生前に受けていた金の延べ棒を使った民間療法について執拗に問われても「無知だったわけではなく、たくさん勉強して決断したこと。後悔はないです」と誠実な態度で回答。結局会見は30分にわたった。


 また、その後は原稿や写真を送信する報道陣に空いている控室の使用をすすめるなど、細やかな心遣いを見せた。


「川島さんが亡くなってから、自宅前には連日報道陣が詰めかけたが、鎧塚さんは憔悴しきった表情ながら、帰宅するたびに必ず足を止めて、丁寧に対応してくれた。さらには待機している報道陣にピザやすしを差し入れしてくれたことさえあった。あそこまで気配りできる人はいない」(ワイドショー関係者)


 告別式では、司会の徳光和夫(74)が、所属事務所から戸籍名の「鎧塚なお美」名義での式執行を提案されるも、鎧塚氏が「世間の多くの皆様に親しまれた名前で」と「川島なお美」名義にしたことを明かす場面もあった。「やりとりとしては、本来逆ですよね。女優としての川島さんへの深い愛と世間への気配りを感じさせました。鎧塚さんはそもそも職人であると同時に経営者としても成功している。人を大切にする意識がしっかりしているということでしょう」(前出の関係者)


“賢夫”の名前もしっかりと芸能史に刻まれた。