熱気球、過去の死亡事故

2013.01.27
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1785年にフランスの科学者、ジャン・フランソワ・ピラートル・ド・ロジェ(Jean-Francois Pilatre de Rozier)ら搭乗の熱気球が炎上、墜落したときの様子を描いたイラスト。フランスの化学者ガストン・ティサンディエ(Gaston Tissandier)が1890年に発表した『Histoire des ballons et des aeronautes celebres(History of balloons and famous aeronauts)』に掲載された。世界初の航空事故として知られる。

Illustration from SSPL/Getty Images
 エジプト南部のルクソールで2月26日、観光客ら21人を乗せて古代遺跡上空を飛行していた熱気球が爆発炎上、墜落し、日本人観光客を含む19人が死亡した。原因は燃料ホースの破損、あるいはバーナーの炎が気球に燃え移ったためと見られている。最近では他国と同様、エジプトでも熱気球による観光遊覧が人気を集めている。 フランスのモンゴルフィエ兄弟が発明した熱気球の歴史は、18世紀にさかのぼる。1783年9月19日、ヒツジ、ニワトリ、アヒルを乗せた実験では、無事着陸にも成功したようだ。しかしその後をたどってみると、今回エジプトで起きた事故のような悲劇が何度も繰り返されている。以下にその概略をまとめてみた。

1785年: 熱気球の草分け的人物であるジャン・フランソワ・ピラートル・ド・ロジェ(Jean-Francois Pilatre de Rozier)と操縦担当のピエール・ロマン(Pierre Romain)がイギリス海峡を横断中、上空で爆発しそのまま墜落した。熱気球とガス気球の複合気球で、火花が水素に引火したことが原因とされる。彼らは熱気球墜落の最初の犠牲者となった。

1923年: 1906年に始まった熱気球レース、ゴードン・ベネット・カップで、数機が落雷に見舞われ、参加者5人が命を落とした。

1924年: アメリカのイリノイ州スコットフィールド。暴風雨が襲来する中、熱気球に乗って大気圧測定を行っていた気象学者のリロイ・マイジンガー(LeRoy Meisinger)とアメリカ陸軍の気球操縦士ジェームズ・T・ニーリー(James T. Neely)が、落雷に遭って命を落とした。アメリカの雑誌「Popular Mechanics」は、彼らを「科学への殉死者(martyrs of science)」と評した。

1989年: オーストラリアのアリス・スプリングス近郊で遊覧飛行中だった2機が衝突、1機が墜落し13人が犠牲となる。他方の操縦士は、「危険行為を犯した」として懲役2年の判決を受けている。今回エジプトの事故が起きるまでは、熱気球史上最悪の死亡事故だった。

1995年: ゴードン・ベネット・カップで再び悲劇が起きた。ポーランドからベラルーシ領空内に侵入した参加3機のうち1機をベラルーシ空軍が撃墜。アメリカ人パイロット2人が死亡した。他の2機の搭乗者も、ビザなしでベラルーシに入国したとして身柄を拘束され、罰金刑に処された。

2012年: ニュージーランドで送電線に接触して炎上、墜落し、11人全員が死亡した。その後の調査から、操縦士が免許を所持しておらず、着陸時に欠かせないパラシュート型排気弁(リップパネル)を開くなどの安全対応を適切に行っていなかったことが判明した。

2012年: スロベニアのリュブリャナ湿地で、雷雨の中を飛行していた観光用の熱気球が墜落炎上。搭乗者32人のうち6人が死亡、負傷者も多数に上った。

Illustration from SSPL/Getty Images

文=Katia Andreassi

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