みちのく会社訪問

かおる堂(秋田市)

 ■「秋田らしい菓子」にこだわる

 93年続く老舗菓子メーカー。本社工場でも店舗でも、社員たちが明るく丁寧に出迎えてくれる。

 3代目の藤井明社長(65)は十数年前、「当たり前のことを当たり前にすることの難しさ」にあらためて気付き、試行錯誤し始めたという。

 包装のテープを客がはがしやすいように端を3~5ミリ折るとか、雨の日に紙袋にビニールカバーを掛けるといった気配りを、デパートなどに先駆けて行ってきた。

 「道徳心と倫理観のある社員の集合体でありたい」という思いから、親への感謝の気持ちを思い起こさせるため、昨年から、社員の誕生日かその前後に「親孝行休暇」の取得を義務付けた。

 「肩たたきでも何でもいいんです。親が亡くなっている人は、お墓参りや仏壇に手を合わせる機会にしてほしいと思います」と藤井社長は話す。

 ◆伝統名菓に独自工夫

 藤井社長の祖父、馨さんが、修行を積んだ後、大正11年に伝統名菓、秋田諸越(もろこし)の専門店として創業した。諸越は小豆粉と四国産の砂糖、和三盆糖(わさんぼんとう)で作った打ち菓子。秋田藩4代藩主、佐竹義格(よしただ)(1695~1715年)が「諸々の菓子を越えて風味良し」と称賛したためこの名が付いたとされる。

 馨さんは独自の工夫を加えて食べやすくした。昭和を代表する女性俳人、中村汀女(ていじょ)(1900~88年)は著書「ふるさとの菓子」で「なめらかな甘さが口中でとけ、たちまちもろこしの香ばしさがふわっと満ちる」と評している。

 ナチスの迫害を逃れて日本に滞在していたドイツ人建築家、ブルーノ・タウト(1880~1938年)は昭和11年、かおる堂で諸越製造を見学している。著書「日本美の再発見」によると、そのとき馨さんは「ただ『勝った、勝った!』とばかりに教え込む学校の教育方針がよくない」と語ったという。満州事変以降の戦時色の深まりを批判したとみられる。

 藤井社長は「長いものに巻かれないという祖父の精神は私にも受け継がれています」と語る。

 ◆小学生からの嘆願書

 ひとくちサイズの諸越「炉ばた」など「秋田らしい菓子」にこだわる。横手市の平鹿リンゴを使用して好評のミニアップルパイ「秋田県産りんごを使ったパイ」をバージョンアップして、リンゴ1個をそのままの形で使った「秋田まるごとりんごパイ」を4月に発売する予定だ。

 「秋田のスギッチパイ」も人気だ。平成19年の秋田国体の際、大会マスコットの「スギッチ」をかたどって、期間限定で発売。小学4年の女の子から「国体が終わってもやめないで」と嘆願書が届いたため、検討の結果、販売を続けている。東日本大震災直後に救援物資として送られ、「おにぎりだけじゃなく、お菓子も欲しかった」と感謝されたという。

 勤続49年の職人、山田繁・取締役生産部長(64)は「冠婚葬祭など人生のさまざまな場面にお菓子が登場しますから、この仕事にやりがいを感じています」と、さらに腕に磨きをかけている。(渡辺浩)

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 ◆企業データ

 秋田市川尻町大川反170の82。秋田県内に7店舗。菓子の製造・販売を手掛ける。創業は大正11年、会社設立は昭和25年。資本金4500万円。従業員85人。売上高7億3千万円(平成26年4月期)。社名は創業者の藤井馨氏の名前に由来する。懐石菓子の「翁屋(おきなや)開運堂」や粢(しとぎ)菓子の「一乃穂(いちのほ)」のブランドも展開。グループ会社に諸越の「杉山壽山堂(じゅさんどう)」、米菓の「秋田いなふく米菓」がある。

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【取材後記】藤井社長は自分では「老舗」と呼ばない。「古いだけじゃなく、信用できる会社を周りが老舗と言うのです」と話す。「京都や金沢のように、長く愛される会社が多い地域は行政が安定している。秋田もそうありたい」と地域貢献を目指す。政変や戦乱が多く、職人をさげすむ中国や韓国には老舗がほとんどない。老舗が多いわが国は幸せだと、あらためて実感した。

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