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イタリア映画界の巨匠、フェデリコ・フェリーニに愛された5人のミューズ。

今年、生誕100年を迎えたイタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニ。「映像の魔術師」と呼ばれる彼の作品を彩ったのが、アニタ・エクバーグやアヌーク・エーメなどの美しき女優たちだ。数々の名作とともに波乱に満ちた彼女たちの人生を紹介する。
アニタ・エクバーグ(1931~2015)
Photo: Hulton-Deutsch Collection/Corbis via Getty Images

たとえフェデリコ・フェリーニの映画を一本も見たことがなくても、代表作『甘い生活』(60)のワンシーン——黒のドレスを着たまま、ローマのトレビの泉で水と戯れる美女の姿に見覚えある人は多いはず。波打つブロンドの髪とカーヴィーな肢体でフェリーニの美学を体現したのがスウェーデン出身のアニタ・エクバーグだ。

ミス・ユニバースのスウェーデン代表になったアニタは、渡米してユニバーサル・スタジオと契約。小さな役で映画出演を続け、フランク・シナトラやユル・ブリンナーなど大物スターと浮名を流し、ゴシップで名が売れると、『戦争と平和』(56)でヘンリー・フォンダの妻役を演じ、キャリア・アップも果たした。フェリーニはアニタを「神からの贈り物」と呼び、彼女が演じたアメリカの女優シルヴィアに、手の届かない理想の女性像を託した。冬に行われたトレビの泉のシーンの撮影では、水の中に裸足で入り、何度もテイクを重ねるうちに感覚がなくなったと本人は後に語ったが、そんな苦労を微塵も感じさせない優雅さだ。

『甘い生活』(60)より。Photo: John Kobal Foundation/Getty Images

その後も3度組んだフェリーニとは愛人関係と噂されたが、アニタ本人は「彼は史上最高の映画監督ですが、男性として見たことはありません」と否定している。フェリーニ夫人のジュリエッタ・マシーナも2人の仲をずっと疑い続けていたそう。「彼が亡くなった時、彼女にお悔やみの電話をかけて、疑いを晴らしました。彼女は信じてくれて、私たちはいい友人になりました」

フェリーニとの最後のコラボレーションは1987年の『インテルビスタ』。本人役で出演し、『甘い生活』で共演後、一時期に恋愛関係だったマルチェロ・マストロヤンニと一緒に同作のを見るシーンがある。歳を重ね、体型も変わった彼女が若き日の自分を見て涙ぐむ姿は切ないが、惨めなものではない。フェリーニも「昔は外見だけの美しさだったが、今の彼女は以前よりずっと美しい。より人間的なのです」と語っている。

私生活では2度の離婚を経て、ローマ郊外のヴィラで愛犬たちと暮らしていたアニタは晩年、怪我で歩行困難になり、入院中に自宅から宝飾品や家具が盗まれたり、火災で家がダメージを受けるなど災難に見舞われ続けた。2015年1月、入院先のローマの病院で83年の生涯を閉じた。

アヌーク・エーメ(1932~)
Photo: Mondadori Portfolio by Getty Images

大人の恋愛映画の金字塔『男と女』(66)で知られ、88歳の今も現役で活躍中のアヌーク・エーメ。第二次世界大戦後まもない1940年代後半、10代でスカウトされて女優になった彼女は、デビュー作『密会』(47)の役名“アヌーク”をそのまま芸名にした。「愛される(Aimée)」という意味の“エーメ”は、詩人のジャック・プレヴェールの発案。

そんな彼女は、『モンパルナスの灯』(58)でブレイクした直後に『甘い生活』(63)に出演した。オーディションで一目で彼女を気に入ったフェリーニは、その場でマッダレーナ役に抜擢。ローマの大富豪の娘で、クラブで出会ったゴシップ記者の主人公(マルチェロ・マストロヤンニ)と一夜を過ごす奔放なソーシャライトをミステリアスに演じた。

『男と女』(66)より。Photo: Everett Collection/amanaimages

『8 1/2』(63)では、マストロヤンニが演じるフェリーニの分身と言うべき主人公の映画監督・グイドの妻役。ショートカットでメガネをかけた外見は、どこかフェリーニ夫人のジュリエッタ・マシーナを思わせる。アヌークはフェリーニともマストロヤンニともロマンティックな仲にはならず、家族のような関係を築き、フェリーニ夫人のジュリエッタとも仲良くなったそう。

『甘い生活』の後に主演したジャック・ドゥミ監督の『ローラ』(61)、『男と女』シリーズなど大人の女性の優美、知性を演じ続けた彼女はジャン・コクトーなど文化人からも愛された。恋多き女性で、一児をもうけた映画監督のニコ・パパタキス、『男と女』で共演したピエール・バルー、イギリスの名優アルバート・フィニーらと4度の結婚と離婚を繰り返し、ウォーレン・ビーティやオマー・シャリフと恋仲だったこともある。

環境保護と動物愛護活動にも取り組み、動物行動学者のジェーン・グドール博士の良き友人としても知られる彼女は、80歳を過ぎても舞台劇に出演するなど女優業にも積極的。2019年には『男と女』のスタッフ、キャストが再集結した『男と女 人生最良の日々』で52年後のヒロインをいきいきと演じた。

クラウディア・カルディナーレ(1938~)
Photo: Silver Screen Collection/Getty Images

1960年代、フェリーニとルキノ・ヴィスコンティというイタリア映画界を代表する2人の監督の作品で活躍したクラウディア・カルディナーレ。フェリーニとの仕事は『8 1/2』(63)のみだが、主人公の映画監督が“理想の女性”としてキャスティングする女優クラウディアを演じている。

実はこの時、ヴィスコンティ監督の『山猫』(63)にも出演中で、2作の現場を行き来していた。クラウディアは黒髪だったが、フェリーニは金髪を望み、ヴィスコンティは黒髪を望んだので、2、3週間おきに髪を染めていたという。撮影中、フェリーニは毎朝車で迎えにきてくれて、スタジオに着くまで会話しながら、その日に撮るシーンの気持ちを作れるようにさりげなく導いていたそうだ。

『8 1/2』(63)より。Photo: Everett Collection/amanaimages

「フェリーニとは1本しか仕事をしていないけれど、彼は私が世界の中心であり、最も美しく重要な人物であるように感じさせてくれました」と語るクラウディアにとって、『81/2』は初めて彼女自身の声が使われた作品でもある。当時のイタリア映画は台詞は後から録音し直すアフレコが主流。イタリア人ながらチュニジア生まれで、18歳になるまでフランス語で生活していたクラウディアは、訛りとハスキーな声質が好ましくないと判断され、別人の声が当てられていた。

18歳の時に「チュニジア在住で最も美しいイタリア娘」コンテストに優勝し、賞品のイタリア旅行で関係者の目に留まり、女優の道に進んだ。彼女を見出したプロデューサーと1966年に結婚したとされたが、クラウディア本人は「披露宴をしただけで正式には結婚していない」と話し、1975年からはイタリアの映画監督パスクァーレ・スキティエリをパートナーとし、2017年に彼が亡くなるまで一緒だった。

実は19歳の時、当時の恋人との間に授かった息子を極秘出産し、プロデューサーに言われるまま7年間その事実を公にしなかった過去がある。服従を余儀なくされた経験を踏まえ、フェミニズム運動を長年支援。教育を通して女性を取り巻く状況の改善、女性の権利を主張する運動に携わり、2000年からユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の親善大使を務めている。女優としてもコンスタントに活動、2020年にはジャン・レノと共演の『Bronx』(原題)が公開予定。

キャプシーヌ(1928~1990)

Photo: Everett Collection/amanaimages

フェリーニのカラー作品第2作『サテリコン』(69)は、古代ローマが舞台。美青年たちの恋と、快楽のみを追求する退廃的な物語で目を引くのは、皇帝に仕えるリーカの寵姫、トリフェーナ。演じているのはモデルから女優に転身し、オードリー・ヘプバーンの親友としても知られるフランス出身のキャプシーヌだ。

白塗りの顔にゴールドのアイシャドウに濃いチークという厚いメイクの上からでもわかる美しい骨格。インパクトある風貌を好むフェリーニの期待に応え、身のこなしも妖艶な美女として強烈な印象を残す。フランス出身のキャプシーヌは1940年代後半からモデルとして活躍し、ジバンシィやクリスチャン・ディオールに愛された。その頃、やはりジバンシィのお気に入りだったオードリー・ヘプバーンと意気投合し、ともにスイスに居を構えた晩年まで友情は続いた。

『サテリコン』(69)より。Photo: Everett Collection/amanaimages

ジャン・コクトーの『双頭の鷲』(48)などにクレジットなしで出演していた彼女が女優として花開いたのは、渡米してから。50年代後半にニューヨークでモデルをしている時に映画プロデューサー、チャールズ・K・フェルドマンに見出されてハリウッドに進出した。女優として本格的なデビュー作『わが恋は終わりぬ』(60)でゴールデン・グローブ賞にノミネートされ、共演のダーク・ボガードとは親友になり、生涯独身を貫いたボガードは「結婚を考えた唯一の女性は彼女だ」と話していたという。

『ライオン』(62)で共演したウィリアム・ホールデンと。Photo: Silver Screen Collection/Getty Images

『ライオン』(62)や『第七の暁』(64)で共演したウィリアム・ホールデンとは2年間交際したが、当時彼は既婚者。同時期にキャプシーヌはスイスのローザンヌに移住し、ホールデンが訪ねてきたこともある。1981年に亡くなったホールデンは彼女に5万ドルの遺産を贈った。

整った顔立ちと完ぺきなスタイルのクールビューティーだが、『ピンクの豹』など洗練された大人向けコメディでも活躍。70年代、80年代も映画やドラマに出演し続けていたが、うつ病に苦しみ、仕事以外は自宅に引きこもりがちで、危機的な状況を何度も救ったのが近くに住むオードリーだという。だが、1990年にスイスのローザンヌの自宅で自ら命を絶った。遺言は、28年間住み続けたアパートの売却とその収入をオードリーに託し、ユニセフや赤十字に寄付すること。遺灰はユベール・ド・ジバンシィに送られ、故郷に撒かれた。

ジュリエッタ・マシーナ(1921~1994)
Photo: Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images

フェリーニの名声を世界的なものにした代表作『道』(54)でヒロインを演じたのは、妻でもあるジュリエッタ・マシーナ。1歳上の夫とは1943年、大学卒業後にラジオドラマに出演した際、脚本家と声優として出会い、同年に結婚した。第二次世界大戦後、夫が映画界に進出するのに合わせて、彼女自身も女優として映画に出演するようになった。

小柄でまるい大きな目のジュリエッタは、フェリーニが好んで作品に登場させる迫力満点の大柄な女性たちとは正反対の外見ながら、彼の監督作7本に出演。『道』(54)で無垢な心の大道芸人ジェルソミーナを、『カビリアの夜』(57)では愛した男たちに裏切られてばかりの娼婦カビリアを気丈に演じ、夫の初期の代表作の主演女優として、アカデミー賞外国語映画賞(『道』)、カンヌ国際映画祭女優賞(『カビリアの夜』)といった栄誉を夫妻で受賞。特に『カビリアの夜』のラストで見せる表情は映画史に残る名シーンだ。

『道』(54)より。Photo: Everett Collection/amanaimages

フェリーニ初のカラー作品『魂のジュリエッタ』(65)でも主演を務め、同作もアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。70年代以降は女優業をセーブし、たまにテレビ映画に出演しながら、夫をサポート。フェリーニは50年代からイタリア映画界の二大巨頭と言われたもう一人、ルキノ・ヴィスコンティとは互いの存在を意識し合うあまり、全く交流がなかったが、ジュリエッタが間に入って1970年代からは良き友人同士になった。

フェリーニは「20代前半で結婚すると、ともに成長することになる。ただの恋人同士や夫婦ではなく、私がジュリエッタの父になったことや、彼女が私の母になったこともある」「ジュリエッタがいなければ、到達することも発見することもできなかった場所が私の居場所になった」と語っている。

1990年に撮影された夫妻。Photo: Stefano Montesi/Corbis via Getty Images

夫妻には1945年に息子が誕生したが、生後1カ月で病気のために亡くなる悲劇に見舞われた。その後、彼らは映画製作に打ち込み、数々の傑作を誕生させていった。夫妻の最後のコラボレーションは『ジンジャーとフレッド』(85)。20年ぶりに、夫の盟友であるマルチェロ・マストロヤンニと主演を務めた。

浮気を重ね続けた夫とは仮面夫婦だったとの説もあるが、金婚式を迎えた1993年10月にフェリーニが病没するまで、文字通り死が二人を分かつまで添い遂げ、夫の死から5カ月後の1994年3月にジュリエッタもがんのため亡くなった。夫妻はフェリーニの故郷リミニの墓地で眠っている。

Text: Yuki Tominaga