【プロレス蔵出し写真館】大相撲名古屋場所で初優勝を果たした幕内逸ノ城のトラブルが世間をザワつかせている。逸ノ城は親方に対し「弁護士をたてました。今後は弁護士を通してしか話ができません」と宣言したとの報道もあり、問題解決には混迷が予想される。

 この弁護士を通してしか話さないというのは、今の時代の流行りなのだろうか。

 さて、力士と親方のトラブルといえば元横綱双羽黒が思い出される。双羽黒こと北尾光司は1987年(昭和62年)、師匠の立浪親方と衝突し、止めに入ったおかみさんを突き飛ばして(振り切っただけと北尾は主張)失踪。師匠は北尾の廃業届を協会に提出し、受理された。その後、スポーツ冒険家の肩書でタレント活動を行っていたが、90年(平成2年)2月にプロレスデビューした。

 新日本プロレスに出場していた北尾は、7月に現場監督の長州力と大ゲンカ。民族を揶揄する言葉で挑発するなどの行為で新日本から契約を解除された。その後、天龍源一郎を頼り、11月1日にSWS入りし「レボリューション」所属となった。

 そんな北尾が、救急車で病院へ搬送されるという騒動を引き起こしたのは同月25日、群馬・安中市磯部温泉「高台旅館」で催されたレボリューションの慰労会でのこと。北尾は3日前の22日(静岡・浜松大会)、SWSタッグトーナメントに天龍とのコンビで優勝を果たしていた。

 打ち上げの意味合いもあったこの宴会には、所属選手のほかに、先だって亡くなった三遊亭円楽(当時は楽太郎)師匠、漫画家ゆでたまごの嶋田隆司らも出席。北尾は遅れて参加したため、〝駆けつけ三杯〟ならぬ、コップで日本酒をグイ飲みさせられた。一升瓶がゴロゴロ空になり、2~3升を3時間ほどで飲みほした北尾は、あまりのハイピッチに気分が悪くなり大の字にダウン(写真)。

 救急車が呼ばれ石川敬士、ザ・グレート・カブキらが心配そうに見守る中、安中市の碓氷病院に担ぎ込まれた。「急性アルコール中毒です。ひと晩寝れば大丈夫」。新井仁医師はそう語ってくれた。病院内は、2メートルを超える大男が救急車で運ばれたとあって、ちょっとしたパニックだった。

救急車で搬送される北尾(90年11月、磯部温泉)
救急車で搬送される北尾(90年11月、磯部温泉)

 ちなみに北尾が退席した後も天龍、カブキらは延々と飲み続けていた。
 
 天龍らに面白がって飲まされ酔い潰れた一件は笑い話で済まされ、受け入れられたと思われた北尾だが、翌91年4月1日、兵庫・神戸ワールド記念ホールで大事件を引き起こす。アースクエイク・ジョン・テンタに目つぶしポーズで威カクし、〝禁断〟の八百長発言を行いSWSを解雇処分となってしまった。

北尾の目つぶしポーズに激高するテンタ(91年4月、神戸)
北尾の目つぶしポーズに激高するテンタ(91年4月、神戸)

 ところで、北尾は03年9月に日本相撲協会所属ではないフリーの立場で、代替わりした立浪部屋のアドバイザーに就任した。トラブル続きだった北尾だが、先代立浪の人格(祝儀のピンハネ疑惑等)などの問題もあり、後年、北尾だけを一方的に悪者にする見方は疑問視されている。

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