RELEASE
“唄い屋”原点へ!!過去の代表曲の中から特に“唄”に拘って選曲し、“唄”を最大限生かすためにリアレンジ・再録音された企画ベストアルバム。清木場俊介ソロデビュー10周年を記念して企画された、正に“唄い屋”ベスト!!
10th ANNIVERSARY 第一弾 「唄い屋・BEST Vol. 1」


- CD
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ROLLING MY WAY「ROLLING MY WAY」を試聴する
- 楽曲解説
- 絶対に外せない1曲でした。もしかしたら20代なら、誰もが思っている事かもしれません。でも、30歳になる頃には、誰もが現実と直面して、思っていても言わなくなる事。そして、40代になったら、こんな自分を昔の思い出にしてしまうのが普通。でも、僕は40代でもこれを唄える自分でありたい。40代になっても転がり続けていて、それでもまだこれを唄い続ける事ができていたら、最高です。原曲:2013年2月6日 7th AL「FIGHTING MEN」収録
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Rockin' the Door「Rockin' the Door」を試聴する
- 楽曲解説
- この曲を発表した2009年当時は、この歌詞そのままの気持ちでした。怖いもの知らずで、根拠のない自信に満ちていて、どんな明日が待ってるか楽しみで…。まだ知らなかったんでしょうね、明日っていうクジは10回引いて1回当たれば御の字だって事を(笑)。ただ、当時を思い出して唄うとか、思い出したいから収録したってわけではないです。純粋に好きな曲だったから選びました。原曲:2009年7月8日 3rd AL「Rockin' the Door」収録
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なにもできない「なにもできない」を試聴する
- 楽曲解説
- ソロデビュー・シングルのタイトル曲の「いつか…」と、まったく同じ時期にできた曲です。なので、僕は「これをソロデビュー曲にしたい」と主張したんですけどね。当時の僕が置かれていた環境とかを考えたとき、「これはない」と受け入れてもらえませんでした。拒否した人たちの気持ちも今は理解できますが、ケジメはきっちりつけたいので、今回は「いつか…」の前に収録しました。原曲:2005年1月19日 1st SG「いつか…」収録
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いつか…「いつか…」を試聴する
- 楽曲解説
- まったく同じ時期に書いたから、これと「なにもできない」はある意味双子のような、表と裏みたいなところがあります。お世話になったグループを辞めるか、留まるかで悩み抜いている僕がこの唄の中に今でもリアルに生きています。昨日あんなに辞めたいと思ったのに、今日になったら真剣に続けたいと思う自分がいて…。だけど、たった1つの事をあれだけ長く、あれだけ深く悩める時間があったことに感謝します。原曲:2005年1月19日 1st SG「いつか…」収録
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愛のかたち「愛のかたち」を試聴する
- 楽曲解説
- 「ライブで唄って欲しい曲は?」と、ファンにアンケートを取ると、常に上位にランキングされる曲です。というのは、以前はあまり唄わなかったから。EXILE時代の「ただ・・・逢いたくて」と同じ、僕の作詞、春川仁志さんの作曲だから、どうしてもあの頃の匂いが濃くなってしまうので、ソロでこれを求められる事に抵抗がありました。これを唄わない事がプライドだと思っている時期もありましたが、振り返ってみたら、決して恰好の良いプライドじゃなかったと、今は思えます。原曲:2008年2月6日 9th SG「愛のかたち」収録
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唄い人「唄い人」を試聴する
- 楽曲解説
- ソロ活動の最初期にできた曲ですが、今でも毎回のようにライブで唄い続けています。僕のライブに来てくれる人たちと一緒に育てた曲と言っていいですね。唄えば唄うほど、この唄が持つパワーを再確認するし、年齢を重ねれば重ねるほど、唄いながら自分の深いところに響いてくるようになりました。僕の土台と言ってもいい唄。これを唄えば、いつでも僕の中のスイッチが入ります。原曲:2005年10月19日 1st AL「清木場俊介」収録
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again「again」を試聴する
- 楽曲解説
- これは作家的というか、役者的というか、リアルな感情をそのまま書くのとは別の表現です。たとえば1本の映画を観て、感動したら、その中のワンシーンを切り取って、歌詞を書く事があります。これもそういうところから書き始めました。切り取ったシーンをイメージしながら、登場人物になり切ってライブで唄うと、僕であって僕でない何者かが現れるので、表現に厚みが出せると思います。原曲:2012年11月28日 16th SG「again」収録
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最後の夜「最後の夜」を試聴する
- 楽曲解説
- 今にして思うと、よくも24、5歳でこれが書けたなと、不思議です。ライブで唄い始めた頃、あまり僕をほめない親父が、「いい曲だな」と言ってくれたのを覚えています。ただし、「どんな凡人でも一生に1曲は名曲が作れるものらしいから、お前の場合はこれだな」とも言われました(笑)。ま、「調子に乗んなよ」って戒めだったんでしょうけどね。原曲:2007年7月18日 7th SG「最後の夜」収録
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あのさ〜「あのさ〜」を試聴する
- 楽曲解説
- 僕が書くラブソングは、結局別れてしまう悲しい物語が多いけど、こういうハッピーなのも、可愛らしいのも、清木場俊介の一部ですって事でベストアルバムに収録しました。昔から、1曲の中に男の立場と女の立場の歌詞が入っている形式が好きだったので、この曲でトライしてみました。ライブになると、女性ファンが女の立場のパートを唄ってくれるので幸せな気持ちになれますね(笑)。原曲:2009年9月30日 4th AL「FLYING JET」収録
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Baby「Baby」を試聴する
- 楽曲解説
- 中島美嘉さんの「桜色舞うころ」をカヴァーした事もあったけど、実はこれもカヴァーです。兄貴同士が一緒にバンドをやっていた縁もあって、10代の頃からの仲間で、今まで僕のために何曲も書き下ろしてくれている川根来音が、自分名義で発売したアルバムに収録されていました。それを聴いてあまりにも感動したので、「俺にも唄わせてくれ」と。来音の才能に嫉妬してしまった1曲です。原曲:2007年9月5日 2nd AL「IMAGE」収録
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- 楽曲解説
- 10年前の23歳当時、僕が誰かに言って欲しかった言葉をそのまま唄にしました。だから、初期のライブは完全に自分のために唄っていました。誰かの救いになればとか、誰かに勇気を与えるとか、そんな偉そうなことは一切考えていませんでした。なのに、この曲を求めてたくさんの人たちがライブに来てくれて…。5、6年経った頃ですかね、当時の口惜しさや苦しさが浄化されると、ライブでこの曲を唄いながら、目の前にいてくれる人たちの存在がクリアーに見えてきました。そこで初めて気がつきました。この唄が僕の人生の一部になっているように、この唄が人生の一部になっている人たちがいるんだって事に。そのとき身をもって知るんですよ、誰かのために唄うとはどういう事かを。原曲:2008年4月23日 10th SG「今。」収録
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忘れないで「忘れないで」を試聴する
- 楽曲解説
- 僕が脱退した2006年3月頃、EXILEはツアーをやるならアリーナ、シングルを発売したら1位か2位でした。それが自分の実力だなんて驕ってはいませんでしたが、それでも一人になってみたら、現実は想像以上に厳しかったです。たまらないほどの孤独も味わったし。だから、26、7歳頃、狭いライブハウスで泣きながらこれを唄った記憶があります。あの頃は、生きてるけど、生きてる気がしませんでした。原曲:2007年9月5日2nd AL「IMAGE」収録
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そのままで…。「そのままで…。」を試聴する
- 楽曲解説
- 18歳のときに作った唄です。歌詞も書き足していないし、メロディも変えていません。自宅の部屋を探せば、今でも当時書いた歌詞カードが残っていると思います。ソロで初の武道館ライブのときに唄いました。18の自分も憧れの日本武道館に立たせてやりたかったから。あの日、唄いながら、ほめられるより怒られるほうが多かったり、認められるよりけなされるほうが多かった僕だけど、俺みたいな人間でも武道館で唄えんじゃい!!って気持ちだったのを思い出しますね(笑)。原曲:2008年8月27日 DVD「LIVE TOUR 2008“Rock&Soul”日本武道館」・初スタジオ音源化
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- DVD(MUSIC VIDEO)(※初回限定盤のみ)
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- ROLLING MY WAY
- いつか…
- 愛のかたち
- 今。
- 唄い人
- そのままで…。
- なぜ、清木場俊介は転がる人生をエンジョイできるのか?
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アコースティックギターをかき鳴らしながら、故郷の路上で唄っていた頃から、清木場俊介は自らを「唄い屋」と称していた。その名とここまで長くつきあう事になるとは、当時10代の彼には想像もできなかっただろうが、歌手でもなく、シンガーでもない、自分だけの居場所を求める気持ちがその名を引き寄せたのだろう。
21歳の夏、EXILEに加入すると、彼はSHUNになった。清木場俊介も唄い屋も封印した。ところが、その潔さが仇となる。徐々に軋(きし)み始めたのだ。虚像と実像とまでは言わないが、与えられた役と持って生まれた性の折り合いがつかなくなっていった。その結果、2004年春、まずは清木場俊介の封印解除。24歳でソロ活動をスタートさせた。そして翌年、「いつか…」でソロデビューを果たすと、再び「唄い屋」の看板を掲げたのである。
唄い屋だから、唄ってなんぼ。それが原点とも言える根だ、揺るぎない幹だ。その看板に偽りはない。清木場の唄は凄いの何のって、それに触れた者なら、誰もが圧倒、いや、こてんぱんに打ちのめされた経験を持っている。
たとえば某ベテラン・ギタリストの場合。リハーサル中、ボーカルとピアノだけのバラードなので、手を休めて聴いていたら…。おい、嘘だろ!? 俺、泣いてる!?と、頬を伝わる涙で我に戻ったそうだ。
たとえばある時期のツアー・スタッフたちの場合。場所は新潟LOTS。バンドメンバーやスタッフが楽屋口の外の駐車場でたむろしていると、アコースティックギターを持った清木場がフラリと現われ、おもむろに弾き語りを始めたという。その場にいた全員が妖術でもかけられたかのように聴き入った。唄い終わった清木場にバンマスが訊いた。「誰の曲?」「俺の」「昔の曲?」「3分前に楽屋でできた新曲」。言葉をなくしている一同に清木場が言った。「今からこの曲のリハやらせてください。今日のライブで唄ってみたいから」。そのあとのリハーサルでバンドとスタッフが尋常でないほど燃えた事は容易に想像できる。34歳になった清木場は、ソロ10周年を迎えて落ち着くどころか、いまだ転がり続けている。正直、人生は転がるほうが面白いが、その分きつい。たまらなくしんどい。ところが、30歳を越えたあたりからだ、凝りもせず転がってしまう自分を楽しんでいるかのように見えてきた。「明日がクジなら、10回引いて1回当たれば御の字ですよ」なんて言って、さわやかに笑ってみせたりするのだから。大人の余裕か、運命を甘受する覚悟か、受け身が身についたか。その答えは…。
唄い屋なのだから、いずれ唄で答えてくれる筈。だから、今は訊かずにいよう。