父が愛した「お初」 思い継ぐ中村鴈治郎と扇雀

「曽根崎心中」のヒロイン、お初を演じる坂田藤十郎=平成17年12月、京都市東山区の南座(松竹提供)
「曽根崎心中」のヒロイン、お初を演じる坂田藤十郎=平成17年12月、京都市東山区の南座(松竹提供)

昨年11月、88歳で亡くなった上方歌舞伎の人間国宝で文化勲章受章者、坂田藤十郎。2日に開幕した京都・南座の顔見世興行では、三回忌追善として、ヒロインのお初を畢生(ひっせい)の当たり役とした「曽根崎心中」が上演されている。醤油(しょうゆ)屋の手代、徳兵衛を長男の中村鴈治郎、19歳の遊女お初を次男の中村扇雀が演じる純愛物語。2人は「父が生涯で一番愛したのがお初。顔見世という舞台で父の追善として『曽根崎心中』をさせていただけることに喜びと責任を感じている」と話す。

「父の思いをしっかり引き継いでいきたい」と話した中村鴈治郎(右)と中村扇雀=東京都港区(春名中撮影)
「父の思いをしっかり引き継いでいきたい」と話した中村鴈治郎(右)と中村扇雀=東京都港区(春名中撮影)

藤十郎といえば「曽根崎心中」のお初。それほどに藤十郎が作り上げたお初はみずみずしく、鮮烈であり続けた。

そもそも「曽根崎心中」は江戸時代に人形浄瑠璃で初めて演じられ、歌舞伎になったのは昭和28年。藤十郎(当時、二代目中村扇雀)がお初、藤十郎の父、二代目中村鴈治郎が相手役の徳兵衛を演じて初演された。自らの意志で男に心中の覚悟を問い、花道を男の手を引いて先に入っていくお初の姿は、戦後日本に登場した新しい女性たちの熱い共感を呼び、一躍ブームが巻き起こった。

藤十郎はお初を生涯で1401回演じ、平成27年、博多座で演じ納めた。長く徳兵衛を勤めた長男の鴈治郎は「最後の公演の千秋楽の舞台上で、父が『ありがとう』と言って手を握ってくれた。あまりそういうことをする人じゃなかったので驚いたし、これでもう父と曽根崎をできないのかと思うと寂しかった」と振り返り、「父のお初はいつも新鮮だった。毎回毎回、お初を新しく生きたのだと思う」と語る。

父・坂田藤十郎の三回忌追善への思いを語る中村鴈治郎=東京都港区(春名中撮影)
父・坂田藤十郎の三回忌追善への思いを語る中村鴈治郎=東京都港区(春名中撮影)

お初を過去2回演じた扇雀は「『曽根崎心中』があれほど頻繁に上演されたのは、父がお初を演じたからこそ」と言い、「今回は、心中場の幕切れの演出を変えようと思っている。追善とはいえ、父のやった通り演じているだけでは、上方の役者とはいえない。きっと父も喜んでくれると思う」と明かした。

父・坂田藤十郎の三回忌追善への思いを語る中村扇雀=東京都港区(春名中撮影)
父・坂田藤十郎の三回忌追善への思いを語る中村扇雀=東京都港区(春名中撮影)

それぞれ、藤十郎から有形無形、さまざまなことを学んだ。「父は手取り足取り教えてくれる人ではなかったが、いつも言っていたのは、役を掘り下げることの大切さ。どんなお役を演じても、『そこに、その人がいる』と思わせるほど、どっぷり役に入っていく人だった」と扇雀。

鴈治郎も「父の生き方は、江戸時代の初代藤十郎の言葉『身ぶりは心のあまりにして』に象徴される。役になっていたら自然に動くという意味で、父はそれを実践した人だったと思います」と話す。

上方歌舞伎に偉大な足跡を残した父、藤十郎。その精神を受け継ぎ、兄弟は新たな「曽根崎心中」の伝説を作っていく。

第1部では三回忌追善として「曽根崎心中」のほか孫の中村壱太郎(かずたろう)と中村虎之介(とらのすけ)、親戚筋の中村鷹之資(たかのすけ)の3人で「晒三番叟(さらしさんばそう)」が上演される。23日まで。問い合わせはチケットホン松竹(0570・000・489)まで。(亀岡典子)

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