ノーベル賞は誤報から生まれた? 訃報の人物評に落胆…死後の名誉を気にして賞創設の遺言書

2020年10月12日 11時50分
 ノーベル賞は、化学者アルフレド・ノーベルの誤った死亡記事から誕生したという説がある。ノーベルは生きながらにして自身の訃報を目にし、死後の名誉を気にして賞の創設を遺言したという。真相を追うべく、ロシアでゆかりの地に向かった。(ルイビンスクで、小柳悠志、写真も)

サンクトペテルブルクに残る「ノーベル一家」の建物

 モスクワから北300キロ、ヤロスラブリ州ルイビンスクに「ノーベル博物館」がある。イーゴリ・リャボイ館長が見せてくれたのが、ノーベルの兄リュドビクが死んだ直後の新聞。リュドビクの生前の功績を2ページにわたって紹介している。
 ノーベル兄弟の父は発明家。スウェーデンからロシア帝国サンクトペテルブルクに渡り、ノーベルも少年時代、ペテルブルクで過ごした。一家は兵器などを造り、南部バクー(現アゼルバイジャン)では油田を開発。ノーベルもダイナマイトを発明して巨額の利益を上げた。ダイナマイトが武器に用いられ、多くの犠牲者を生んだことも知られている。
 一部のメディアは伝記を基にこう伝える。兄リュドビクが死去した際、ある新聞が弟のノーベルと勘違いし、「死の商人、死す」との見出しで報じた。ノーベルは苦悩し、「人類に貢献した人」のための賞創設を望むようになったと。
 スウェーデンのノーベル財団に取材すると、細部がやや異なる。
 まずリュドビクの死に際し、フランスでは「ダイナマイト発明者、逝去」と相当数の新聞が誤報を出したという。大部分がダイナマイト発明の意義を好意的に報じたが、フィガロ紙だけは「人類に恩恵をもたらしたとは思えない人物」とこきおろしてしまった。同紙は数日後「訃報は誤報だった」と訂正を出した。
 「死の商人、死す」との見出しの新聞は見つかっておらず、伝記の内容が誤っているとの見方もある。ただ財団の広報は「ノーベルが世評を知り、気落ちしたのは想像に難くない」とし、フィガロの誤報がノーベル賞創設を遺言したきっかけの一つになったとみる。ノーベルは文芸を愛し、繊細な性格だった。

アルフレド・ノーベルの肖像画(右)の前で、ロシア紙に載った兄リュドビクの死亡記事を掲げるリャボイ館長=ロシア西部ヤロスラブリ州ルイビンスクで

 「リュドビクもアルフレドもロシアでは名士。ロシアで両者の混同はありえなかった」と話すのはペテルブルクのガイド、アレクサンドラ・マヤクさん。ロシア紙の正確な報道は、ノーベル一家がロシアに根付いていた証しとも言える。
 ノーベルは誤報の翌年から遺言を検討し、1895年に最終的な遺言書をしたためた。ノーベル賞は創設の際、資金の約15%がバクーにあるノーベル家の石油会社からもたらされるなどロシア帝国の繁栄を今に伝えている。

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