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検索結果 2,979 件

  • <研究論文>恋闕へのまなざし : 『刀剣乱舞』と一九六〇年代三島由紀夫作品の比較研究

    渡部 宏樹 日本研究 68 75-97, 2024-03-29

    ...三島の評論「文化防衛論」における「文化概念としての天皇」を補助線として利用することで、天皇との君臣合一という三島の美的理想にとっては、天皇という超越的な存在によってまなざし返されることが必要である。この理想は「英霊の聲」においては盲目の川崎青年がまなざし返すことができない否定形として、「憂国」においては天皇を代理し武山をまなざす麗子とのエロース的合一として表現されている。...

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  • 安岡正篤の東洋宰相論 ―「万世の為に太平を開く」―

    田中, 学 拓殖大学国際日本文化研究 (7) 141-171, 2024-03-25

    ...戦前は金鶏学院や日本農士学校を設立し人材育成に努め、戦時中の小磯国昭内閣では大東亜省顧問に就任し、終戦を告げる昭和天皇の「終戦の詔書」の刪修にも関わり、その中に「萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」との一文を加えた。戦後の一時期は公職追放の憂き目に遭いながらも、解除後は師友会、後の全国師友協会を設立し、講演や執筆、様々な勉強会の講師を務め、精力的に啓蒙活動に取り組んだ。...

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  • ヤマトタケル神話の心理学的意味 第2部

    高尾 浩幸 人間科学研究 45 27-65, 2024-03-01

    ...(1)タケルは、父である景行天皇の衰弱した生命力を回復・再生させるために東征に出かけた。(2)護りの品は、本能衝動に備わる自己制御の発現を促してタケルを助けた。(3)全一的かつ全体形成的な愛の体験は、この世を聖化する。(4)英雄は、「自然な知恵」「無意識の知識」を手に入れる。(5)英雄は「時間の流れ」を表現することで、生命の源泉、不死性、リビドーの変容を認識する。...

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  • 安元御賀の日程構成:三月五日の位置づけをめぐって

    浜畑, 圭吾 京都語文 31 197-210, 2024-02-29

    ...しかし、本来は天皇の忌日であったことから後宴を避けるかたちで発生したこの「中の日」が、安元御賀では当初から設定されていた。それは、比較的緩やかな一日として楽しむことが目的であったと考えられる。賀宴や後宴に比べて柔軟な対応が可能であった「中の日」は、先例にない行事を取り込みながら、その後も展開していった。...

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  • [論文] 肥前千葉氏の本拠形成と領主支配 (第三部 西遷武家領主論)

    田中, 大喜 国立歴史民俗博物館研究報告 245 181-202, 2024-02-29

    ...この二天像の造立趣旨は、天皇・将軍と千葉氏の繁栄を祈願することにあることから、これらは千葉氏(おそらく宗胤)が当代一流の仏師である湛康に依頼して制作されたものと考えられる。また、その造立趣旨には小城郡の安穏祈願も含まれていたが、それは同郡に暮らす在来勢力だけでなく民衆をも対象としたものと考えられ、二天像の造立は千葉氏による撫民の実践と理解できる。...

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  • 日本民主化における言語改革の背景と意義

    賀茂 道子 国立国語研究所論集 26 151-169, 2024-01

    ...しかしながら,漢字の削減などの言語簡易化によって民衆の情報アクセスは容易になっただけでなく,GHQの意向を斟酌した日本側の自主的な動きによって天皇の言葉や法律が口語化したことにより,民主化の動きを加速させたと考えられる。...

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  • 危機の時代における女性教育構想

    鬼頭 孝佳 女性学年報 44 (0), 23-39, 2023-12-16

    ...そのうえで第4章では、「子孫教戒」の女性教育論に着目し、松陰が対内・対外情勢に関する危機意識から、「パクス・トクガワ―ナ」(徳川の平和)への過渡期に編まれた山鹿素行の叙述を、夫に対する殉死に関わる死の先験的自覚として“昇華”することにより、女性集団が自発的に夫(と夫が忠を尽くす天皇=国)の望む「節烈果断」の徳(と将来の子孫創出)を果たす主体=従属形成を目指す社会編成論として読み替えたと結論した。...

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  • 科学論からみた天皇制下の国家

    岡本 拓司 宗教研究 97 (2), 101-125, 2023-09-08

    ...明治維新以降、西洋において科学と宗教の分離が進んでいることが理解されるとこの懸念は薄れ、他方では統治と道徳の根拠としての天皇の神聖性が受容を見ることとなる。しかし、ソヴィエト連邦の誕生以降、科学的社会主義の影響が日本に及ぶと、科学と、国家が帯びる宗教性との間に整合性を見出すという思想上の課題が意識されるようになる。...

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  • W・P・ウッダードのKokutai Cult論に関する考察

    菅 浩二 宗教研究 97 (2), 175-199, 2023-09-08

    ...</p><p>その結果、ウッダードが自らの滞日経験に即し、天皇・神道と軍国主義の間の楔として導きだしたのが、国体カルトの禁止という文脈であったと理解される。一方でその成立は、総力戦体制による社会変化の時期にも対応する。向後さらなる資料調査により、この見方を補強しつつ、その意味するところを考察していきたい。</p>...

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  • 『催馬楽』「更衣」攷 : 古典研究/教育における歌謡

    中田 幸司 玉川大学文学部紀要 (63) 95-108, 2023-03-30

    ...古典教育における「更衣」(こうい)は天皇の夫人として理解される傾向がある。一方、衣を替える意義をもつ「更衣」が平安朝に隆盛した『催馬楽』にはある。この詞章には愛しい相手に思いを伝える世界観がある。身分制度や年中行事から距離をおき、自/他の情を交えようとする往時の人はいかに表明したのか。そこには宮廷人による知識と脚色した詞章があると考えられる。...

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  • 勧学会に結衆した僧について

    久保田 實 印度學佛教學研究 71 (2), 540-543, 2023-03-22

    <p>Research on the Kangakue 勧学会 has focused on middle-class aristocratic bureaucrats, but work on the Buddhist monks who participated in the Kangakue is scarce. It was young Buddhist monks from …

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  • 野見宿禰伝承地の形成と顕彰

    大日方 克己 社会文化論集 19 1-20, 2023-03-20

    ...『日本書紀』は垂仁天皇7 年7 月7 日の記事として、出雲から呼び寄せられた野見宿禰が当麻蹶速と角力をした話を記している。野見宿禰は当麻蹶速の脇骨を蹴折り、腰を踏み折って殺してしまう。蹶速の地を奪い野見宿禰に与えられた。腰折田という。以後、野見宿禰は天皇に仕えたという。...

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  • 憲法に囚われた天皇

    TAKII Kazuhiro 世界の日本研究 2022 27-32, 2023-03-15

    On August 8, 2016, Emperor Akihito issued a video message to the people of Japan. Based on this message, Akihito abdicated to current Emperor Naruhito on April 30, 2019, and the name of the era was …

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  • 「戦後社会の変容と学習指導要領に見る教育課程編成と教育方法」

    佐藤, 幸也 科学/人間 52 043-087, 2023-03

    ...明治以来の急激な近代化とそれを権威付け、正当化するための「家族国家観」にもとづく社会システムの構築は「天皇制」を「国体」とする矛盾をはらみつつ、アジアとしては唯一西洋的資本主義導入に成功し、帝国主義国家、列強の一員となった。そのカタストロフィーは軍事、全体主義の天皇制ファシズムとも呼ばれた体制の崩壊であった。...

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  • 西岡虎之助「日本経済史」講義草稿(上) : 一九四五年一〇月東京帝国大学経済学部

    海津 一朗 和歌山大学教育学部紀要. 人文科学 73 72-61, 2023-02-08

    ...ここで紹介する前半の中からは、国体護持・天皇擁護(至尊免責)、米国占領政策批判、赤色デモクラシー(共産主義)傾斜という、西岡の不安定な確信が明らかになる。国家の行く末をスウェーデンに求める点もオリジナルな政治評論として注目されるであろう。なお、公開については所蔵者の了解を得ている。 本稿は、日本学術振興会助成金(基盤研究C課題番号21K00870 )の成果である。...

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  • 寛政~文化期の皇位継承過程と光格天皇

    佐藤 一希 史学雑誌 132 (3), 1-28, 2023

    ...本稿では、寛政~文化期の光格天皇から仁孝天皇への皇位継承過程における、中宮欣子(光格正配)と光格皇子をめぐり生じた諸問題への対応から、当該期の光格天皇の政治姿勢と朝廷運営の特質を検討した。<br>  中宮欣子は後桃園天皇皇女として、光格天皇の皇位の正統性を担保する存在で、寛政期に中宮とその所生皇子温仁(ますひと)親王は、次代への皇位継承を考慮する上で重要な地位にあった。...

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  • 漂流物の天皇海山列西方面の周回移動と天皇海山列上の通過: 漂流ブイ観測

    嶋田 陽一 土木学会論文集 79 (18), n/a-, 2023

    ...<p> 黒潮続流によって東北地方太平洋側から流された漂流物は天皇海山列に妨げられるか,あるいは,東向きの海上風により東へ移動する傾向を示す.一方,天皇海山列周辺の海上風が南向きの傾向であれば,漂流物は南下し天皇海山列から離れ,西向きの海上風により日本方面へ移動する.しかし,漂流物が日本方面へ移動する間に北向きの海上風が続くと,漂流物は北上し黒潮続流域に戻る.漂流物は天皇海山列を越えなくても天皇海山列西方面...

    DOI Web Site 参考文献3件

  • 富山県立近代美術館問題という言説空間

    横尾 千穂 文化資源学 20 (0), 25-41, 2023

    ...<p>1986年、大浦信行の連作版画作品「遠近を抱えて」に使用された昭和天皇の写真のコラージュに対し、富山県議会で議員が用いた「不快感」という言葉が、議会内容とともに報道され、作品・図録の非公開や作品売却・図録処分など、社会的な関心を集める事態が次々と生じた。...

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  • 仁徳天皇陵古墳に対する訪問者の認識と行動

    藤村 健一 日本地理学会発表要旨集 2023a (0), 79-, 2023

    ...同古墳にふさわしい呼称を1つ選ぶ質問では,「仁徳天皇陵」と「仁徳天皇陵古墳」がそれぞれ約3割で,歴史学界の呼称である「大山古墳」・「大仙陵古墳」を選んだのは合わせて約2割であった。訪問者の多くは同古墳を観光地とはみておらず,多様な認識・目的に基づいて行動している。</p>...

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  • PL法から見た専門職に要求される技術標準と公開論文:

    GPI Journal 8 (1), 30-33, 2022-12-31

    現在社会の“PL法から見た専門職に要求される技術標準と公開論文”は、社会発展の標準・基準の制定とその罰則規定の業務上過失など信頼性追求にまでに至っている。一方、人類の文化発祥時代の古代社会では、技術標準・基準はBC3000~2500年ごろに数学の基本となる数・長さ・重さ・時間などの評価法の基準が概念化(標準・基準に該当)から始まったとの数学的思考説の情報ベースが発祥との説がある。一方、同一形態の…

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  • PL法から見た専門職に要求される技術標準と公開論文:

    GPI Journal 8 (1), 34-38, 2022-12-31

    現在社会の“PL法から見た専門職に要求される技術標準と公開論文”は、社会発展の標準・基準の制定とその罰則規定の業務上過失など信頼性追求にまでに至っている。一方、人類の文化発祥時代の古代社会では、技術標準・基準はBC3000~2500年ごろに数学の基本となる数・長さ・重さ・時間などの評価法の基準が概念化(標準・基準に該当)から始まったとの数学的思考説の情報ベースが発祥との説がある。一方、同一形態の…

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  • 講演 御歌所歌人の書における役割

    高橋, 利郎 京都語文 30 5-17, 2022-11-26

    ...今回の講演では、明治天皇の和歌愛好と御歌所設置の経緯、さらに御歌所の職制などに加えて、御歌所歌人の同時代的な評価について言及する。その上で寄人を務めた阪正臣、専従職員として御歌所を支えた大口周魚を例に、書の実作家として、また、書道史研究者としての御歌所歌人の役割を確認する。これらを通して、彼らの仕事が、現在の書学書道史において重要な基礎を形成していることが明らかにされるものと考える。...

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  • <研究論文>泉涌寺における位牌堂「霊明殿」の創祀と発展 : 泉涌寺へ集約される天皇家の喪葬

    石野 浩司 日本研究 = NIHON KENKYŪ 65 187-241, 2022-10-31

    ...泉涌寺「霊明殿」とは、歴代天皇の位牌(尊牌)を安置する施設である。天皇即位儀礼および宮中祭祀と関連して、宮内庁の月輪陵墓祭祀との関係性を維持している。 1. 泉涌寺が天皇家喪葬に関与し始めるのは、通説の仁治3年(1242)四条天皇喪葬からではない。『四条院御葬礼記』に見える御前僧は顕密僧であって、いまだ古代の天皇喪葬制の範疇に留まり、禅律僧らが「一向沙汰する」中世喪葬儀礼には移行していない。 ...

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  • 奈良念仏寺所蔵の「開化天皇陵」関係絵図

    服部 光真 東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信 98 16-18, 2022-10-31

    一般共同研究「中・近世畿内寺院史料の調査・研究と研究資源化―般若寺および念仏寺を中心とする―」による成果公開、元興寺特別展「袋中上人と山の寺念仏寺」、奈良市史料保存館企画展「「山の寺」念仏寺と江戸時代の奈良町」関連。

    DOI HANDLE Web Site ほか1件

  • 瑞泉閣の保存改修工事

    杉江 夏呼, 大久保 洋二, 中谷 扶美子, 藤村 太史郎, 井之上 太 日本建築学会技術報告集 28 (70), 1574-1577, 2022-10-20

    <p>This is an accommodation facility built by The Japan Steel Works on the occasion of the visit by Crown Prince Yoshihito to Hokkaido in 1911. It is still used by the company as a guest house for …

    DOI Web Site 被引用文献1件

  • 神功皇后図像の再検証

    陣内 恵梨 ジェンダー史学 18 (0), 31-45, 2022-10-14

    ...今日まで安産信仰で知られている岩田帯(腹帯)伝説に語り継がれているように、応神天皇を出産し、天皇の母となった神功皇后は、近代における女性国民の最重要課題として設定された、国民の再生産との高い親和性を備えていた、と指摘されてきた。</p><p>しかしながら、神功皇后には、それだけでない別の側面も存在していた。...

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  • [論文] 古代の政治空間のなかの女性 : 国家意志形成との関わりについて

    伊集院, 葉子 国立歴史民俗博物館研究報告 235 87-115, 2022-09-30

    ...女性もここに行立したのは、天皇の意志を官人に周知徹底し国家意志を形成していく過程に組み込まれていたからである。これまでの研究では内侍司が重視されてきたが、王権は、国家意志達成のために他の後宮十二司の女官の動員も必要としたことが、『続日本紀』和銅元年七月乙巳条から明らかとなった。 朝儀への列立にあたっては、五位というラインが重要だった。...

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  • 『太陽』(2005年)における天皇の人間性の再考――〈見る/見られる〉、運動、演技

    名取 雅航 映像学 108 (0), 57-77, 2022-08-25

    ...天皇の人間性が決して自律したものではなく、天皇という役割と不可分の関係において描かれているのである。それらの分析と考察を通じ、『太陽』の意義は、天皇の「人間化」をあくまで現実的な交渉のプロセスとして表現することによって、天皇の人間性についての議論が伴う困難を観客に伝えることにあったと結論付ける。</p>...

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  • 牧健二と文科派法制史学の展開(下)

    山口 道弘 法政研究 89 (1), 117-170, 2022-07-29

    ...第1章 牧健二の学問形成 /  第1節 履歴 /  第2節 2人の師 / 第2章 牧健二の業績 /  第1節 戦前・戦中 /  1.世界観の時代と体系化への要請 /  2.法科派と文科派との異同(第88 巻4号) /  3.自由法学/ 社会法学、現状維持派/革新派 /  第2節 戦後 /  1.家族国家論の修訂 /  2.天皇の本質を繞って /  3.知行論争 / 結 / 補論 /  第1節 本領安堵...

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  • 後宮十二司の解体

    岡島 陽子 洛北史学 24 (0), 41-57, 2022-06-04

    ...そこで本稿では 神璽・天皇御服など物品管理を行う蔵司と経典や楽器などの管理を行う書司という保管型官司を取り上げて職掌の分析を行った。すると二司とも男性官司が管 理する物品を分収・保管するとされた職掌については判然とせず、早い段階で職務停止があったと考えられる。一方、書司の楽器管理など男性官司の職掌には なく、分収を伴わない職務については継続して行われた。...

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  • <論説>近江国崇福寺の草創と「官寺」化

    村上 孟謙 史林 105 (3), 377-414, 2022-05-31

    ...本稿は、天智天皇が近江国大津に創建した崇福寺について、草創期の宗教活動や天平期までの足跡を再検討し、七・八世紀における同寺の歴史像を再構築したものである。草創期の崇福寺は、天武系王権と対立的な大友皇子をも追善し、王権と一定の距離を保った比較的自由な立場で宗教活動を営んだ。一方、人的基盤たる常住僧が置かれず、物的基盤たる封戸の保有にも時間的制約が設けられ、存立基盤の不安定さも抱え込んでいた。...

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  • 『夢の痂』に見る井上ひさしの天皇

    稲山 玲 西洋比較演劇研究 21 (1), 16-34, 2022-03-31

    This paper analyses Hisashi Inoue’s view on the Japanese Emperor in Yume no Kasabuta (The Scab of the Dream, 2006). One of the themes of this play is the Japanese Imperial system. Before the end of …

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  • 白河院の和歌

    花上 和広 国文学研究資料館紀要 文学研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature 48 1-52, 2022-03-18

    ...白河院の天皇時代、上皇・法皇時代、また詠作年次未詳和歌の三つに分けて、詠歌状況をみた。  一、白河天皇時代    在位期間         一三首  二、白河上皇・法皇時代 譲位後から出家・崩御まで  九首  三、詠作年次未詳和歌                六首 「一、白河天皇時代」つまり在位期間に、白河院は二八首中、一三首と最も多くの歌を詠じている。...

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  • [論文] 多賀城の炎上・復興と征東軍

    吉野, 武 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 232 247-275, 2022-03-16

    ...このため謀反の第一報直後に派遣された征東使は現地で想定外の難局に直面し、天皇との間で征討に対する考え方の差が開いた。征討は容易に実施できず、征東使の刷新と天皇の厳命によって十一月以降に大崎地方等の城柵を復したが、翌年五月には軍を解散した。その後、天皇は上京させた征東副使の説明で現地の詳細を十分認識した結果、考えを改めて征東使等を賞したと考える。...

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  • 【書評】久住真也著『王政復古 : 天皇と将軍の明治維新』

    宮瀧, 交二 大東史学 4 117-121, 2022-03-15

    ...従来、「王政復古」は、政変・事件として理解されてきたが、久住真也氏はこれを「政治君主としての天皇を生み出す歴史の流れ」と捉えた。また、従来、対立的に検討されてきた将軍と天皇を、その「連続性」に注目して再評価したことも、新たな視点である。このように本書(久住真也『王政復古 天皇と将軍の明治維新』)は、今後の幕末・明治維新史に大きな問題を提起した一書である。...

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  • 21世紀のイギリス王室-その知られざる素顔

    君塚 直隆 日本国際教養学会誌 8 (0), 106-116, 2022-03-15

    This article is the essence of lecture which the author gave at the academic conference of the Japan Association of International Liberal Arts on 13th March 2021. In the Twenty-First Century we can …

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  • ジョン・M・L・ヤングと⽗ルーサー・L・ヤング 戦中と戦後の在⽇宣教師に⾒る「神のことば」と宣教

    金 やすみ キリストと世界:東京基督教大学紀要 (32) 73-103, 2022-03-10

    ...特に、戦時下に自由主義神学によって神の言葉を失った結果、天皇制が孕む偶像性を⾒抜けず偶像崇拝の罪を犯しながらも依然として悔い改めない戦後の⽇本の教会を目の当たりにしたジョン・ヤングは、戦後の「今」、教会が教会の命である神の言葉を取り戻し、悔い改めて歩み出すために必要なことは、預言者として彼らの罪を曖昧にせず大胆かつ明確に指摘することだと考え、積極的に神の言葉を説き、あらゆる機会を用いて悔い改めを促し...

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  • 日本における共感性とシティズンシップ欠落と教育の課題~環境問題への取り組みを例に~

    佐藤, 幸也 科学/人間 51 111-143, 2022-03

    ...むろん、江戸時代の強固で安定的な支配が「イエ-ムラ」構造とそこでのドメスティックな精神構造を作りあげてきたという面はあるにしても、明治期になされた天皇制国家と近代資本主義国家体制の融合という歴史的壮挙と呼んでもいいかもしれない社会システムの確立は、一方で過度な「立身出世主義」(これは佐幕側ほどメンタリティーに刷り込まれたと言えるが)「富国強兵」が社会全体を貫き、元来自治と共同性を保持していたムラの機能...

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  • 女性神職者「物忌」の実像をめぐって : 平安前期現出の 「物忌」 を中心に

    堀岡, 喜美子 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 50 55-71, 2022-03-01

    ...史料を博捜したところ、『貞観儀式』および『延喜式』には天皇家と藤原氏家と所縁が深い神社と祭儀に奉仕する物忌の記事があり、これらの内容を吟味したところ、一部の物忌の奉仕には平安前期に摂政となり権力を掌握した藤原良房の関与が示唆されるものであった。以上より本稿は、物忌研究の到達を踏まえ、平安前期における政治社会と祭祀とのつながりから浮かび上がってくる物忌の実像を探り、巫女との関連を検証するものである。...

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  • 明治の国家教育をめぐる視覚メディア利用――「修身」幻燈の変遷を中心に

    福島 可奈子 映像学 107 (0), 60-83, 2022-02-25

    ...文部省の命でいち早く幻燈製作をはじめた鶴淵幻燈舗が、はじめて日本の「修身」教育に関与したのが、明治天皇の勅命で元田永孚が編纂した『幼学綱要』スライドであるが、今回それら一式が新たに発見された。そのため筆者は、それらのスライドが製作されるに至る当時の国家教育観の思想的背景を検証する。...

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  • 『日本書紀』に表れた畏怖・恐怖と倫理観

    古屋, 明子 日本文學研究 61 15-28, 2022-02-15

    ...次に、名詞の「罪」という語が表す内容も天皇や朝廷への侵犯行為を表すものが最も多いので、ここでも天皇(朝廷)の権威が倫理観の基本になっていると言える。最後に、『古事記』と似た話の内容に着目すると、『日本書紀』の話の方が「道」や『礼記』という儒教的世界を背景に状況や心情説明がより詳細に行われ、善悪の価値観が明確に書かれるとともに、天皇のあり方というものも問題視されている。...

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  • 平安時代の除目における蔵人の役割

    佐々木 恵介 史学雑誌 131 (8), 37-59, 2022

    ...さらにこの政務は、11世紀半ばの後朱雀天皇の時代に申文撰定儀として整備された。蔵人は提出された申文を関白に内覧、天皇に奏覧した後、清涼殿東庇の昼御座で、申文を撰ぶ作業を行う。この作業では、申文を、希望する官職ごと、あるいは申請方式ごとに分類、整理し、申請文書の束に短冊を付けて、任官会議における天皇御座の前に置かれた硯箱の蓋に積むと同時に、申文目録を作成して天皇と関白に進上した。...

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  • 日本の主権者は誰なのか

    福岡 万里子 年報政治学 73 (2), 2_13-2_41, 2022

    ...<p> 安政の五ヵ国条約が天皇の承認を得ず調印されたことは同時代的にも国内に広く知れ渡り幕末の政治動乱を引き起こす重要な契機となったが、無勅許調印の事実は、1859年以降日本に着任した西洋外交官らには幕府により秘匿され、それをおそらく察知していたと見られる米国駐日総領事ハリスも、その経過については外交団内で沈黙を守った。...

    DOI Web Site 参考文献2件

  • 日本で最初の大学院医工学研究科ことはじめ

    山家 智之, 白石 泰之, 山田 昭博 生体医工学 Annual60 (Abstract), 73_1-73_1, 2022

    ...<p>神武天皇が朝廷を開き、聖徳太子が十七条の憲法を定め「日出る処の天子」の国を整え、ペリーが襲来して維新から、科学・技術・軍事に必要性により帝国大学の制度が整えられ、1907年、東北帝国大学が仙台の地に設立されました。...

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  • 明治前期における宮中・府中関係の形成

    原科 颯 年報政治学 73 (1), 1_143-1_165, 2022

    ...<p> 本稿では、明治前期(明治維新から明治憲法の制定まで)における天皇・皇室と政治の関係、即ち当時の用語でいう宮中と府中の関係(以下、宮中・府中関係)の形成過程を、伊藤博文による滞欧憲法調査以降の時期を中心に検討した。...

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  • <sub>奈良大仏建立に使われた鉱物資源とジオパーク</sub>

    佃 栄吉 日本地質学会学術大会講演要旨 2022 (0), 224-, 2022

    ...701年大宝律令や718年の養老律令の制定、720年の日本書記の完成など天皇を中心とする中央集権体制が浸透し、全国から資源情報の収集体制が可能となっていた。741年には聖武天皇により諸国に仏教による国家護持のために国分寺の建立が発願され、国家仏教政策が勧められた。当時の政情不安や734年の畿内七道の地震、737年の天然痘大流行などの社会不安が大きく影響したものと考えられている。...

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  • 啓に関する基礎的考察

    鷲見 涼太 史学雑誌 131 (10), 1-23, 2022

    ...とはいえ、啓の転換の結果、天皇に上申するための文書様式は、表・奏という天皇に上申するため「だけ」の文書様式となり、啓の転換は文書様式上における天皇の地位の可視化を意図していたと言えよう。...

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  • 飛鳥(白鳳)・奈良時代の薬壺をもつ銅造の二薬師如来像

    奥田 潤 薬史学雑誌 57 (1), 53-57, 2022

    ...銅造)は,高さが 73.0 cm で薬壺をもち,白鳳-奈良時代(A.D. 645-794)につくられ,日本で薬壺をもつ薬師如来像でもっとも古い像である.別名 香薬師(こうやくし)とも呼ばれる.同像は盗難に遭い,現存する像は複製像である.少し遅れて,奈良時代につくられた薬壺をもつ薬師如来像(銅造)は,高さが 42.5 cm で,大津市の聖衆来迎寺にある.この像は京都の元応國清寺の本尊であったが,正親町天皇...

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  • 天平の疫病大流行

    市 大樹 IATSS Review(国際交通安全学会誌) 46 (2), 96-104, 2021-10-31

    ...<p>聖武天皇の治世下にあたる735(天平7)年・737(天平9)年、深刻な被害をもたらした疫病が起こった。本稿では、この疫病の実態を多面的に浮かび上がらせることを目的として、その被害状況について確認した上で、その交通に関わる諸現象を中心に検討を行った。...

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  • 『律書残篇』と蝦夷・隼人

    伊藤, 循, Ito, Jun 拓殖大学教職課程年報 4 19-34, 2021-10-20

    ...そこには天皇・律令国家の統治意識・版図観念が看取される。また、『律書残篇』によれば、8世紀前期の薩摩国では、隼人域に特徴的な1郡1郷に象徴される郷里制や郷戸・房戸制の再編成が行われ、律令制的な国郡制や籍帳支配が進展していた可能性がうかがわれる。...

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  • 神功皇后図像の再検証

    陣内 恵梨 ジェンダー史学 17 (0), 49-57, 2021-10-20

    ...三つ、「男装し、軍を率いた」「60 年以上、国を統治した」神功皇后は、明治政府の推進した男性天皇の擁立と近代性別規範と真っ向から対立するが<sup>10 </sup>、その齟齬をいかに解消したか、ほとんど言及されていない。...

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  • エッセイ 故きを温ねて:第2回 阿倍比羅夫と白村江の戦い

    安部 龍太郎 日経ビジネス = Nikkei business (2111) 68-70, 2021-10-11

    ...阿倍仲麻呂が生まれた家は、孝元天皇の皇子大彦命(おおびこのみこと)を始祖とすると伝えられ、一門の中には大臣に任じられた者も多い。 祖父比羅夫は白村江の戦いに水軍の大将として出陣し、伯父(父の兄)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)は平城京造…...

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