関西の議論

鉄道史に残る惨事から30年、変わる「余部鉄橋」の風景…豪華寝台列車の撮影で人気 空の駅にはエレベーター

 大津市から車で撮影に訪れた福光康祐さん(74)は「日本海をバックに走る瑞風は美しい」と、盛んにシャッターを押していた。

回送列車事故で様変わり

 日本の鉄道史に残る悲劇となった余部鉄橋の回送列車転落事故は、昭和61(1986)年12月28日午後1時25分ごろに起きた。

 余部鉄橋は明治45(1912)年、約2年半の難工事の末に完成。全長309メートル、高さ41・5メートル。当時は東洋一を誇ったトレッスル式鉄橋で、美しい鉄橋の姿は山陰の観光名所として全国的に知られた。

 その鉄橋を通過中の香住発浜坂行きの下り回送列車の客車7両が、日本海からの突風を受けて転落し、直下の水産加工場などを直撃した。鉄橋上に残ったのはディーゼル機関車と客車の一部だけだった。

 列車はこの日臨時団体列車として運行し、年の瀬の買い物ツアー客約180人を乗せて京都・福知山駅を出発し、事故直前に香住駅で乗客全員を降ろしていた。事故はその後、浜坂駅への回送中に起き、車掌と水産加工場の従業員5人の計6人が死亡。乗務していた日本食堂の従業員と水産加工場の従業員計6人が重傷を負った。

 人災ともいわれるこの橋事故以来、余部鉄橋は観光名所から負の遺産に変わった。昭和63年、鉄橋そばに慰霊の「聖観世音菩薩像」が建立され、毎年12月28日には慰霊祭が営まれている。

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