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今回の戦争がなければ忘れていた57年前のソ連公演の思い出…みなさんにも知ってほしい【北の富士コラム】

2022年3月17日 05時00分

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横浜港を出発する大相撲訪ソ巡業団の一行=1965年

横浜港を出発する大相撲訪ソ巡業団の一行=1965年

◇16日 大相撲春場所4日目(エディオンアリーナ大阪)
 2日間の休みで、痛めていた左太ももの調子がかなり良くなっていた。3日目が終わった夜、鏡に映して見ると真っ黒に変色していたのには驚いたが、平らなところを歩くのに不自由はない。放送席に上がる急勾配の階段も、初日よりは楽に歩けた。もう大丈夫。あとは花粉症だけである。
 土俵の方は、照ノ富士が逸ノ城を豪快に寄り切って不安説を払拭(ふっしょく)した。宇良が正代を翻弄(ほんろう)して初日を出した。弱いとはいっても相手は大関である。あっぱれだ。一方の正代は悲惨な状態である。こうなったら負け続けても皆勤することだ。たとえ全敗しても、しっぽを巻いて逃げ出さないことだ。
 貴景勝は元気者の大栄翔に当たり勝ち、そのまま一気に押し出した。やはり根性だけは一流である。御嶽海は隆の勝に押されて、思わず引いて土俵際に追い込まれた。しかし、苦しい体勢でも器用に回り込み、左足一本で残して突き落とし、事なきを得た。不用意なはたきは一つ間違えると命取りになる。今後は心して、雑な相撲は取らないことだ。
 阿炎は明生にうまく懐へ入られてヒヤリとさせられたが、とっさに小手投げで明生を転がした。阿炎の投げ技はあまり見たことはないが、いずれこんな相撲も取れるようになるだろう。
 もう少し書きたい相撲もあるのだが、今日は少し趣を変えて、激しさを増してきているロシアとウクライナの戦争を見て私の感じることを。といっても難しいことは分からないので、若い頃のソ連公演の思い出などを話してみたいと思いました。私にとって貴重な経験の一部を皆さんにも知ってもらいたいのです。
 今回の戦争がなければ、多分、死ぬまでロシアの思い出なんかは忘却のかなたとなっていたでしょう。
 2、3日目は仕事が休みだったので、終日ホテルの部屋でテレビばかり見ていた。相撲以外はロシアとウクライナの戦況を見ている。だが、見ていてうれしいことなんか何一つない。悲惨な現実を目の当たりにしては、とても対岸の火事とは思えない気持ちにさせられる。そしてふと、今から60年ほど昔の1965年、ソビエト連邦公演のことを思い出している。
 それでは、ロシアに行ってもらいます。
   ◇   ◇
 アナスタス・ミコヤン氏が日本にやってきたときに相撲を見たのでしょう。よほど気に入ったのか、ソビエトに行くことになりました。どうやら大鵬さんの父がロシア人ということで、墓参りを兼ねてのことでした。
 入幕したばかりの私もメンバーに入れられて行くことになりました。当時はまだ、飛行機は路線がなかったのでしょう。横浜港からナホトカ航路にて船で出発しました。2日間、かなり揺れました。甲板でビールとウオッカをガンガン、大いに飲みました。乗組員のロシア人も一緒です。2日間で船中の酒が全部なくなったそうです。酒に強いロシア人たちも、力士たちの酒の強さに驚いていたと聞きました。
 3日目にロシアに到着してから飛行機で長時間、(多分)10時間ぐらい? 飛んで今度は汽車で一晩かけてやっとモスクワに着きました。あまりの国の広さにあきれるばかりで、体重はすでに5キロも落ちていました。船、汽車、飛行機も食事ははっきり言って申し訳ないが、とてもまずく質素なものでした。
 ヨーグルトもそのとき初めて食べましたが、腐っていると勘違いし、思わず吐き出してしまいました。米飯もパラパラの味のないピラフを食べているようで、のどを通りません。サラダは太くて短いキュウリがそのまま出てきました。食事はまずかったが、ロシアの人たちは皆さん素朴で人懐こく、いい人ばかり。それと美人が多いのは驚きでした。しかし、少し年が増えると太るらしく、見る影もなくなるようです。
 モスクワ公演は「ボリショイサーカス」の常設館で3日間行われ、連日満員の大盛況のうちに終わりました。大鵬さんの父親の墓は残念ながら発見できませんでしたが、日本人墓地に新しい墓標をロシア人とともにかついで建てました。赤の広場のレーニン廟(びょう)にお参りしましたが、豪雨の中、1時間以上も傘をささずに並びました。武蔵川理事長(元幕内出羽ノ花)の「日本人の威厳を見せろ」の一言で紋付きの正装のまま、ずぶぬれになりながら一糸乱れず参拝した力士の行動は高く評価されたものです。
 決して楽しい旅ではありませんでしたが、おおらかで親切な人々に美しいモスクワの街並み。私にとっても貴重な体験でした。それだけに、今回の戦争を見るにつけ信じたくない気持ちにもなるのです。普段は政治には関心がない私ですが、一刻も早くこの戦争が終結することを願うばかりです。
 私も戦時中に生を受けた人間のひとりです。母の背で真っ赤な炎を見たかすかな記憶もあります。それを言うと夢か幻だろうと言う人もいますが、3歳ともなれば不思議なことではないらしい。庭の防空壕(ごう)に入ったことも覚えています。
 とにかく戦争はいけません。しかし、今度だけはウクライナに何とか頑張ってと言いたい。私らしくないことを述べて申し訳ありません。(元横綱)
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