うどんの「ウエスト」創業者、境豊作氏死去 4月17日、福岡でお別れの会

 九州を中心にうどんや焼肉店などを展開する外食チェーン「ウエスト」創業者で名誉会長の境豊作(さかい・とよさく)氏が1日、死去した。89歳。福岡市出身。通夜・告別式は近親者のみで執り行った。ウエストは「お別れの会」を4月17日午後1時、福岡市博多区下川端町3の2のホテルオークラ福岡で行う。喪主は妻、京子(きょうこ)さん。

 境氏はウエストを昭和41年に創業。福岡県福間町(現福津市)に1号店をオープン以降、郊外型の店舗を中心に拡大した。当時は珍しかった24時間営業のうどん店を出店したほか、焼肉や居酒屋、中華、カフェなどの業態を取り入れた。

 低価格やあらゆる客層に対応する多種多様なメニューで業績を伸ばし、米国や韓国、ジャマイカにも出店。国内外計約200店のチェーンに育て上げた。

 境氏は昭和51年に社長を退き会長に就任、平成20年から名誉会長として経営に関わっていた。

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 「特攻隊に志願した身です。怖い物は何もありませんよ」

 昨年4月22日、ウエストの境豊作名誉会長は、インタビューで何度もこう語った。ウエストは九州に住む人にとってなじみ深いチェーン店だ。その店の創業者が「元特攻隊員」と聞き、興味を持ち、取材を依頼した。

 福岡市博多区にあるウエスト本社の応接室で2人きり。名刺交換をした後、ソファに座ると「うちの店はどうですか」と質問され、緊張を解いてもらった。

 当時、福岡に赴任して1年余り。多いときは週に2度のペースで利用していた。「安くておいしいですね」と返すと、満面の笑顔でうなずいた。

 本題に入ると、堰を切ったように語り続けた。

 19歳で特攻隊員に志願したこと、復員後は職がなく、遺体を洗うアルバイトに従事したこと、混乱の中で密貿易に手を染め、逮捕までされたこと。

 ウエスト創業前に手掛けた繊維卸会社が失敗して倒産。銀行幹部から「グッドルーザー(よき敗者)になって出直せ」と励まされたことなど、エピソードは尽きなかった。

 密貿易で逮捕されたという、功成り名を遂げた人にとって不名誉な話についても「隠すことなんてない。そのまま書いてくれればいい。私は一度死に、大きな失敗もした。恐れるものもないし、過去を恥じることもない」ときっぱり言ってくれた。

 死を前提に、特攻に志願する。現在を生きるわれわれにとっては、想像さえできない。その覚悟を「一度死んだ」と表現した。

 ただ、戦時中の話や、事業失敗の話の途中、境氏は何度も黙り込んだ。答えをせかすように質問をしても返事はない。言葉で言い尽くせない過酷な日々がよみがえっていたのだろうか。柔和な目が、潤んでいるようにも見えた。

 「立志伝中の人」「たたき上げの成功者」

 こうした言葉がぴったりの人だった。それだけに、これから這い上がろうという人への思いは熱かった。

 ウエストは、社内外から店長希望者を募り、店舗物件や食材、レシピなど全てを用意する。その上で開店後は、原材料費を差し引いた粗利益を店長と本社が折半するシステムを取っている。工夫して利益を上げれば、それだけ店長の収入となる仕組みだ。

 「自分のように裸一貫、ゼロからでも這い上がれるチャンスを与えることができるシステムにしたかった」

 戦後70年。祖国のために命を賭し、戦後の混乱の苦難を乗り越えてきた経営者がまた1人、鬼籍に入った。(津田大資)

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