【共に学ぶ】夜間中学で〝学び直す〟 途絶えぬニーズと課題

【共に学ぶ】夜間中学で〝学び直す〟 途絶えぬニーズと課題
夜間学級で学ぶ宮本三代さん(東京都足立区立第四中で)
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 戦後の混乱期に学校に通えなかった高齢者や不登校の経験者らにとって、貴重な学びの場となっている夜間中学。最近は自国で十分に学べなかった外国籍の生徒の受け皿としての役割も高まっている。2016年の教育機会確保法の成立を機に、国は全都道府県と政令市に1校ずつ設置することを目指し、整備を進めている。学びたくても学べなかった人たちが世代や国籍を超えて真剣に学び直す姿から、私たちは何を学べるだろうか。

夜間中学で見つけた“学ぶ喜び”

 「『季節』は分かりますか?」「シーズン」「そう、シーズン」

 夜間中学として都内では最も歴史のある東京都足立区立第四中学校の夜間学級。現在、38人が学んでいる。ある教室で年配の女性2人が英語の授業に臨んでいた。このうちの1人、宮本三代さん(81)は昨年4月に入学した。埼玉県秩父地方出身。小中学校を形式的に卒業しているが、子どものころは家の手伝いなどに追われ、ほとんど学校で勉強した記憶はない。

 「6人きょうだいで食べるのがやっとで教科書も買えず、学校に通える子がうらやましかった。製糸工場で働くために必要な卒業証書だけを受け取って、中学を出てから働いた」

 社会に出てからは学校に行けなかったことへの負い目を常に感じていたという。

 「まず書くこと。漢字が書けない。みんなができるのにどうして私ができないのかと、社会で生きてきた中で、ずっとこうした思いにぶつかり続けてきた」

 働きながらこれまで5回、高校受験を考えたが、卒業証書はあっても通信簿の不備などで受験を断念してきた。ところが昨年3月ごろ、東京都墨田区のサークル活動を通して元夜間中学の教師らによる自主夜間中学と出合い、公立夜間中学に入学できることを知った。区役所や学校に何度も確認し、「あなたのやる気次第だ」と言われ、入学を決意した。現在、足立区内の自宅から自転車で毎日通っている。

 「今は何もかも新鮮で学ぶことが楽しい。特に数学はいろいろな方程式から答えが出ることが不思議で面白い。ここできちんと3年間勉強して高校に進み、ずっと学び続けたい」

 最近、漢字検定の八級に合格した。高橋淳統括校長が「今度はきちんと本校の成績表も受け取って卒業できる。学ぶ気持ちさえあれば、きっと高校に進めますよ」と声をかけると、宮本さんは「健康に気を付けないといけないね」とほほ笑んだ。

世代や国籍を超えて学び直す生徒たち

 同校の夜間中学に在籍する38人のうち、28人は中国やフィリピンなどの外国籍、7人は不登校経験のある生徒だ。現在、一般学級4組と、習熟度に応じて分けた日本語学級5組に分かれて学んでいる。

 同校で7年間、生徒を送り出してきた高橋統括校長は、不登校だった生徒が夜間中学の学び直しで自信を取り戻すケースを数多く見てきた。3年前に卒業した男子生徒は印象に強く残る生徒の1人だ。

 「最初はほとんど話さなかった生徒が、生徒会長や学校行事の実行委員も務めて堂々と人前で話せるようになった。学習内容はすぐに修得できなくても、対人スキルや自己肯定感の向上などで自信をつけ、高校進学などに向かった生徒たちをたくさん見てきた」

 複雑な経験を持つ外国籍の生徒も多かった。数年前に卒業したシリア出身の男子生徒は母やきょうだいが渡ったドイツで入国が認められず、親類を頼って単身で来日し、同校で一生懸命に日本語の会話を学んだ。母国の自宅近くで爆撃におびえた日々を語る日本語のスピーチから、大変な苦労が伝わってきたという。さらに宮本さんのように戦後の混乱期に学べなかった方の学び直しも多い。88歳で入学した女性は、3年間勉強して定時制高校に進学し、心臓の病気で体調を崩すまで学び続けたという。

 「本人が学びたいという気持ちを持ち続けていれば、夜間中学で学ぶことができる。通信制高校などの選択肢もあるが、夜間中学では個々の生徒の事情に応じて、親身になって丁寧に指導しているのが特徴。学びを取り戻そうとする彼らを手厚く支えたい」

全都道府県の設置に向けて

 夜間中学は戦後の混乱期に中学校に通えなかった人たちが学べる場として、1940年代後半に公立中学校に夜間学級が設置されたのが始まりで、55年ごろには80校以上に増え、全国で5000人以上が在籍した。その後、生徒数の増減を繰り返しながら多様な学びのニーズに応えて存続してきた。現在、12都府県で36校が運営されている。

 2016年には教育機会確保法が成立して、夜間中学の設置を含む就学機会の提供が地方自治体に義務付けられたことで、設置の動きは加速している。国は全ての都道府県と政令市に少なくとも1つ以上設置することを目指して自治体の取り組みを後押しし、今年4月には札幌市や相模原市、福岡市、香川県三豊市で開校が予定されている。

 文科省によると、全国には義務教育未修了者が少なくとも12万8000人いるとされるほか、不登校の児童生徒は増加傾向が続き、さらに本国で十分に義務教育を受けられなかった外国籍の子供なども増加している。夜間中学の潜在的なニーズは高まっている。

 もっとも、こうしたニーズの把握に戸惑う自治体も多いという。文科省企画課の担当者は「地域によって事情はまちまちで、地域のニーズをどう探るか、夜間中学を知らない人にどうアクセスし、誰をターゲットに調査を進めたらいいのかなどを悩む声を聞く。ニーズ調査の手法などを公開して支援したい」と話す。来年度は8000万円を予算化して、夜間学校の新設を検討する自治体の調査活動などをサポートすることにしている。同担当者は「校長などから聞くと、学ぶ意欲のあふれる方が多いと聞く。多様な方が一緒に学ぶ貴重な受け皿として整備を進めたい」と語る。

「死ぬまで学びたい」中学校通信制で学ぶ91歳

 一方、夜間中学以外でも学びたい意欲を持つ生徒を受け入れる学びの場もある。

 「学ぶことが楽しくてしょうがない」

 都内で唯一、中学校の通信教育課程が設置されている東京都千代田区立神田一橋中学校。現在、ただ1人の在籍生である松村節子さん(91)は声を弾ませながら学びへの意欲を語る。同校の通信教育課程は、戦前と戦後の義務教育制度のはざまで中学校に通えなかった人を受け入れてきた。夜間中学のように毎日通う必要はなく、毎月2回、学校に通う以外は自宅で勉強する。

中学校の通信教育課程で学ぶ松村節子さん(東京都千代田区立神田一橋中提供)
中学校の通信教育課程で学ぶ松村節子さん(東京都千代田区立神田一橋中提供)

 ただ、入学条件が新制中学校を卒業していない80歳代後半に限られていたため、ここ数年、生徒は減り続け、来年度は生徒がいなくなる可能性もあった。存続を願う署名運動も起きた。こうした中、同校の堀越勉校長と区教委が協議し、来年度は「満65歳以上で、戦中戦後の混乱期の影響を受け、中学校で学べなかった方」も別科生として受け入れることを決めた。1年間だけ学ぶこともできる弾力的な運用だ。

 堀越校長は「卒業した方から授業をまた受けたいなどと、さまざまな要望があった。学びに終わりはなく、こうしたニーズを受けて学び直しの機会を設けることには意義があると考えた」と話す。昨年11月に募集を始めたところ、67歳から91歳まで15人ほどから出願があった。「集団就職で上京したが計算や字を書けず辛かった」「戦後転居を繰り返し学校に行けなかった」など、事情はさまざまだが、いずれも学ぶ意欲の強さを感じたという。15人が4月から同校通信制で学ぶ。

 実は今春卒業予定の松村さんもその1人だ。太平洋戦争の末期、軍需工場に駆り出されて爆弾の先端を削る作業に従事し、終戦の年はほとんど中学校に通えなかった。3年前に同校を知って入学し、改めて学ぶ楽しさを感じたという。「竹取物語の話を90歳で学べて本当にうれしかった。知らなかったことを学校で学べることは楽しい。死ぬまで学び続けたい」と語る。

 堀越校長は「3年間学びたい方もいれば、1年間だけ英語や国語を学びたいという方もいる。学校としても個人のニーズに応じて対応し、人生を豊かにする学びに挑戦する方を支えていきたい」と語る。

“夜間中学新時代”に問われる教育内容

 こうした学び直しの場が全国的に見直され、受け皿が広がることは基本的に歓迎すべき流れだ。しかし、夜間中学に心血を注いできた元教師からは、夜間中学の開設ありきの動きに警鐘を鳴らす声も上がる。

 1月15日、42年間にわたって夜間中学で教壇に立ち、退職後も墨田区で自主夜間中学「えんぴつの会」を運営する見城慶和さん(84)の話などを聞く集いが、大田区で開かれた。地域の学び場づくりに取り組む市民団体が主催した。

元夜間中学教諭で自主夜間中学を運営する見城慶和さん(東京都大田区で)
元夜間中学教諭で自主夜間中学を運営する見城慶和さん(東京都大田区で)

 見城さんが夜間中学の教諭となった1961年は、厳しい生活を送る生徒が多い時代だった。着任間もないころ、生徒に窓から見た風景を作文に書くよう指示したところ、「質屋の蔵が見える」と書いた女子生徒がいた。せっかく先生から頭金を借りて買ったセーラー服を質屋に入れたことを知った。そんな生徒が「学校は私の友であり母であり1日を尊いものにしてくれる」とノートに書いてくれた。「まさに夜間中学は1人1人の人生を尊いものにしてくれる学びの場だ」と見城さんは強調する。

 そんな夜間中学を、身体を張って守ったこともあった。1966年、行政管理庁が若年労働を許容するとして夜間中学の廃止勧告を出したとき、夜間中学の必要性を訴える映画などをつくって仲間の教師とともに跳ね返した。そのときに先輩が放った強烈な一言が忘れられないという。「目の前で車にはねられて血みどろになった子を見たら、あなたはどうするか。まず救急車を呼ぶだろう。夜間中学は学校に行けない子供たちの救急中学校なんだ」

 こうした経験を重ねてきた見城さんは、全都道府県への夜間中学の設置を急ぐ国の姿勢に疑問も感じるという。「夜間中学は多様な学習要求にきめ細かく応える学びの場であり、小学校の経験もない生徒が来ることもある。ところが昼間の学校と同じ教科書を配り、脱落してしまう生徒が各地で出ている。限られた人数や予算で見切り発車に近い状態で進むことがあってはならない」

 その上で「生徒の事情に応じて教材を選ぶなど、夜間中学の指導のノウハウもある。全都道府県への設置という夜間中学の新時代を迎える中、新たに血みどろの子供を生み出さない教育の実現こそが求められている」と訴える。

 最後に、夜間中学の変遷を長年にわたって見続け、今も自主夜間中学で15人ほどの「生徒」への指導を続ける見城さんに、改めて夜間中学の魅力を語ってもらった。

 「私は、『教育』とは教え育てるのではなく、共に学ぶ『共育』だと思っている。夜間中学には序列もなく競争もなく、年齢や国籍などを超えて多様な生徒たちが学び合って成長している。まさに『共育』の場であることを訴え続けていきたいと思う」

本企画「共に学ぶ」では毎回さまざまな角度から、学びから取り残されてしまっているかもしれない当事者の視点に立って見える学校の風景を描写するとともに、考える材料を提供していきます。

 また、「共に学ぶ」未来について、皆さまと一緒に考える場をつくっていきます。本紙電子版の特設ページから、ご意見・ご感想をお寄せください。

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