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四字熟語だけは使ってくれるなと思っていたのでうれしい 若いころの照ノ富士はっきり言えば私の嫌いなタイプであった【北の富士コラム】

2021年7月22日 05時00分

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第73代横綱に昇進し、記者会見する照ノ富士(代表撮影)

第73代横綱に昇進し、記者会見する照ノ富士(代表撮影)

 第73代、日下開山横綱照ノ富士が誕生した。
 慣例の口上は「不動心を心掛け、横綱の品格、力量の向上に努めます」。誠にシンプルで私は好きだ。いっときはやった四字熟語だけは使ってくれるなと思っていたのでうれしい。
 今さら私が言うまでもなく、大関から序二段まで番付を落としながら、あきらめることなく不屈の精神で大関に返り咲いただけでも頭が下がるほど立派であるが、一気に横綱にまで昇り詰めたのだから、見事というほかない。
 私は三段目あたりまで落ちていた彼の体を見たことがある。一目で衰えが見てとれた。ゲッソリと筋肉が落ち、肌は吹き出物が出てボロボロの状態であった。その時の印象が強烈だったので、再起はとてもできないだろうと思ったものだ。
 それだけに今回の復活は驚きを禁じ得ない。もし私ならとてもじゃないが不可能だったと断言できる。
 本人の口からは師匠の説得、まわりの人たちの励ましが大きな力となったと述べているが、それだけでこの奇跡的な復活劇が生まれたとは思えない。私は照ノ富士の努力こそがすべてであると思う。
 若いころの照ノ富士は怖いもの知らず、肩で風を切り、土俵上の態度もふてぶてしく生意気な相撲を取っているようであった。はっきり言えば私の嫌いなタイプであった。
 それが今では言動も穏やかになり、立派な力士に成長している。名古屋場所は白鵬に千秋楽で逆転されたが、場所を通じての相撲内容は白鵬よりも安定感があったのは確かである。すぐそこに照ノ富士時代が来ていると言っていい。
 常々、照ノ富士は膝のけがを懸念して自分の土俵人生はそう長くないと予言しているが、今場所のような前に出る相撲を取っていけば乗り切れる問題であろう。
 しかし、「太く長く悔いのない土俵」を目指すのもひとつの生き方である。それもいいだろう。長くない相撲人生、横綱になった時から常に引退を胸に秘めて新横綱は土俵に上がる。照ノ富士に幸多かれと祈りたい気持ちである。気がつくと、まだおめでとうと言っていなかった。良かったね。(元横綱)
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