プロボクシング4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥(31=大橋)が6日、東京ドームでWBC同級1位ルイス・ネリ(29=メキシコ)との防衛戦に臨む。同会場でのボクシング興行は、あの統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦以来34年ぶり。日刊スポーツでは『ボクシング5・6東京ドーム 34年ぶり祭典』と題して連載を開始。第1回は「時代を超えて井上に託された東京ドームの夢」。

1990年(平2)2月11日、タイソンの防衛戦が行われた東京ドームのリングサイドに大橋秀行はいた。4日前、隣の後楽園ホールでWBC世界ミニマム級王座を奪取した新王者は、5万1600人の大観衆に圧倒されたという。

「すごい雰囲気で、ミニマム級とヘビー級では全然違うんだと思いました。あの時、自分も防衛を重ねて、必ずここに戻ってくる。やれると思っていました」。今年3月に59歳になった大橋会長は最近のことのように当時を振り返る。

あれから34年。自らの夢を託した愛弟子の井上が、あのタイソンと同じ東京ドームのメインイベントのリングに立つ。

「自分は防衛戦でリカルド・ロペスに負けて夢を断念したけど、日本人で初めてパウンド・フォー・パウンド(PFP)1位になった尚弥を連れて戻ってきた。夢のよう」と大橋会長は感慨深げに言った。

東京ドームは前身の後楽園球場の時代から、日本人ボクサーにとって最高峰の夢舞台だった。

52年5月、日本人初の世界王者の白井義男が、後楽園球場で世界フライ級王座を奪取。4万5000人の大観衆が歓喜に沸いた。戦後のヒーローになった白井さんの7度の世界戦はすべて同会場での興行だったが、60年8月に世界フェザー級王座に挑戦した高山一夫以来、東京ドームへの立て替え後も含めて日本人メインの興行はなく、井上が実に64年ぶりになる。

実は大橋会長が現役時代に所属したヨネクラジムの米倉健司会長も、60年5月23日に後楽園球場で世界バンタム級王者ベセラ(メキシコ)に挑戦している。「米倉会長は判定負けだった。だから尚弥には何としても勝って、米倉会長とオレの夢をつないでほしい」(大橋会長)。

米倉会長が負けたベセラも、大橋会長の夢を打ち砕いたロペスもメキシコ人。「尚弥に挑戦するネリもメキシコ。因縁を感じます」と大橋会長。井上が東京ドームで勝てば、後楽園球場時代も含めると日本人メインベンターとして54年5月の白井義男以来70年ぶりの勝利になる。

「タイソン以来の東京ドームということですごくモチベーションが高い。5万人近いファンの声援は自分にプラスに傾くと思う。その声援を背にとてつもない試合をしたい」と井上。令和のモンスターは偉大な先達たちの思いも背負い、東京ドームで新たな歴史をつくる決意だ。【首藤正徳】(敬称略)

◆パウンド・フォー・パウンド(PFP) 米老舗専門誌「ザ・リング」が選定する、異なる階級の選手を体重差がなかったとして比較した場合の現役最強王者を示す称号。過去にマイク・タイソン、ロイ・ジョーンズ、マニー・パッキャオ、フロイド・メイウェザーら名王者がPFPの評価を受けた。トップ10入りした日本人は井上以外では元WBCバンタム級王者の山中慎介、元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志、4月20日の最新ランキングでWBC世界バンタム級王者の中谷潤人が10位にランクされた。

◆東京ドームとボクシング 前身の後楽園球場では37年(昭12)9月のオープン前、同3月にフライ級とフェザー級の日本ダブルタイトル戦が行われている。同7月のピストン堀口の12回戦には1万人の観衆が集まった。47年に戦後初の全日本王者決定戦が3日間にわたって行われ、52年5月に白井義男の世界フライ級タイトルマッチの会場になった。53年11月には来日した前世界ヘビー級王者ジョー・ルイスのエキシビションも行われた。88年に東京ドーム建て替え後は、統一世界ヘビー級王者のマイク・タイソンの防衛戦が88、90年と2度行われた。