また昭和の土俵を彩った元横綱が逝った。それも55歳という若さで。慢性腎不全のため2月10日に千葉県内の病院で死去した第60代横綱、双羽黒の北尾光司氏。師匠の立浪親方(元関脇安念山)と対立して失踪騒動を起こした破天荒な横綱として知られる。晩年は相撲界から離れ、闘病生活を送っていたという。
努力に勝る天才なしというが、世の中には努力を超越したケタ外れの才能の持ち主もいる。それが双羽黒だった。
三重県津市出身で相撲を始めたのは小学校時代。中学を卒業するとき、すでに身長が195センチもあった。飛びぬけた身体能力の持ち主で、稽古したくても中学内には相手が見当たらず、近くの高校に出稽古していたが、そこでも勝てる相手はいなかった。
中学を卒業すると、鳴り物入りで立浪部屋に入門。早くから「末は大関、横綱、間違いなし」と誰もが注目する逸材だったが、ただ一つ、大きな欠点があった。兄弟子たちからちょっと厳しく稽古をつけられると、すぐ「痛い、痛い」と音を上げる癖があった。
「故郷に帰らせていただきます」と言って部屋を飛び出したこともあり、師匠も腫れものにでも触るようにして育てざるを得なかった。これがわがままを助長し、1987年暮れの突然の廃業劇の伏線になった。手に余ったのだ。