風見しんご感慨、ブレイクダンスがパリ五輪追加種目決定 日本普及には欽ちゃん助言も

 ブレイクダンスのパリ五輪種目入りの会見に出席した風見しんご
 風見しんご(右)と、左は19年世界選手権銀メダルの堀壱成
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 ブレイクダンス(ブレイキン)が24年パリ五輪の追加種目に決定したことを受け、日本ダンススポーツ連盟は14日、川崎市のクラブチッタで記者会見とデモパフォーマンスを行い、五輪出場を目指す選手たちが歓喜の舞を披露した。日本における“先駆者”であるタレントの風見しんご(58)も登場。同ダンスを振り付けに取り入れた「涙のtake a chance」リリースから36年。五輪種目となり、日本が金メダル最有力候補に挙がる現在の“ブレイキンシーン”への感慨を語った。

 36年前にまいた種が、思わぬ形で花開くこととなった。デモパフォーマンスに登場した風見は、ダンスチームとともに踊りも披露。「長い年月をかけて、若い人たちがどんどん進化、完成させていってくれた。まさか五輪競技になるとは」と、感慨にふけった。

 風見は1984年にリリースした「涙のtake a chance」の振り付けの中に、ブレイクダンスを取り入れた。当時、米国の路上で段ボールを敷き、踊る子供たちの映像をみて「やってみたい」と思い、ニューヨークに渡り、見よう見まねで習得した。

 ヒップホップという言葉もまだ浸透していない時代。周囲には反対意見も多かった。ただ、師である萩本欽一が「でもやりたいんだろ?やってみな」と助言され、決断した。

 ブレイクダンスが日本に普及していく上で、欽ちゃんのアドバイスも大きかった。風見は当時を「天狗(てんぐ)だった。100%カッコいいものを見せたいという思いが強かった」と、振り返る。そんな風見に欽ちゃんは「それじゃあ続かないよ。子供たちが真似(まね)しようと思うものじゃないと」と助言し、リズムを少しゆっくりにすることなどを提案したという。風見は「今でもパパ世代の人が『昔真似してました』と言ってくれる」。現状で日本はパリ五輪金メダル最有力に挙げられる。「take a chance(一か八か)」のチャレンジは日本に新たな文化を根付かせた。

 「欽ちゃんに報告しますか?」と問われた風見は笑って言った。「たぶん『なんのことだい?』って言うんじゃないかな」-。

 ◆ブレイクダンス

 1970年代の米ニューヨークでギャングの抗争を収めるために生まれたとされ、自由なヒップホップ文化として発展した。五輪に先駆けて行われた18年ユース五輪(ブエノスアイレス)で女子の河合来夢が金、男子の半井重幸が銅メダルを獲得するなど、日本は強豪国として知られる。軽快な音楽に合わせたフットワークや豪快な回転技が特徴的。それぞれの愛称を持つ選手が1対1で交互に踊り、ジャッジは技術や構成、表現力などの項目に基づいて採点する。半井は2020年11月の世界大会でも優勝し、五輪の初代金メダル候補として期待されている。

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