2019.06.13

教科書の記述はもう古い?「明治憲法」をめぐる歴史の新常識

「研究の最前線」をゆく

西洋諸国の憲法と議会について詳しく学び、応用する

さて、少し話は飛ぶが、国立国会図書館憲政資料室の「陸奥宗光関係文書」に、「英国滞在中、前下院副議長プレイフェヤー氏、下院書記官長パールグレイブ氏等との談話筆記」と題された文書がある。議会における大臣の弁論に関して6つのポイントを記したもので、内容は以下の通りである。

① 議場において大臣と議員は攻守の二境に立つ。議員は攻撃、大臣は防守の側におり、攻めるは易く守るのは難しい。舌戦も、兵戦のごときものである。

② 議場における大臣は、荒れ狂う大波のなかをただよう小舟のようなもの。周りは自分を転覆させようとする者ばかりである。ゆえに、勇敢剛毅、百折不撓、少しも恐怖の念を示してはならない。

③ 議員が過激な論鋒で自分を攻撃してきたとしても、短気を出したり憤懣の色を示したりしてはいけない。穏やかにその言論を聞くべきである。怒ってしまえば、議員の策略におちいる。しかしながらその言論に、自分の職務を侮辱し、あるいは法律・規則を犯すような部分があれば、少しも容赦せず厳しく問い詰めるべし。

④ 「論理はもって議院の承認を得ること難し」。これはイギリス議院政治の格言である。論理をもって議員と勝敗を争えば、一大臣と数百議員とでは論理の数の上においてかなわない。

⑤ 議院の承認を得る秘訣は、議員と国民の感情に訴えることにある。少人数ならば論理をもって心服させることもできるが、多人数は、感情に訴えるよりほかに屈服させる策はない。

⑥ 答弁をおこなう際は、もっぱら旧来の行政の慣例とその細密な制規にもとづき、また統計上の数字を引証し、理論上完全なる事項であっても旧来の慣例が変わるまでは実行することができないと断言する必要がある。

百数十年前に日本政府内の人物がイギリスで聞いてきた話だが、現代でも通用しそうな議会答弁指南である。農商務大臣や外務大臣を歴任した陸奥も、これを参考にしていたかもしれない。

陸奥宗光

ところで、この文書は陸奥の手もとにあったものだが、陸奥自身が聞いてまとめたわけではない。イギリスで「前下院副議長プレイフェヤー氏」や「下院書記官長パールグレイブ氏」と会って話を聞いたのはおそらく、先に触れた金子堅太郎である。

金子は、憲法発布後の1889年から90年にかけて欧米を巡遊した。議院内部の規則などを調べるとともに、各国の政治家や学者に明治憲法の批評を求めるためである。

陸奥もまた、金子の欧米訪問から先立つこと数年、1884年から85年にかけて欧米に滞在し、とりわけイギリスで議会政治や政党、選挙制度、責任内閣制などについて学んだ。そのとき陸奥が教えを請うた人物の一人が、下院書記官長にしてイギリス議会先例集の初代編纂者、トマス・アースキン・メイだった。

金子が話を聞いたパールグレイブは、メイの後任である(メイは1886年に死去)。陸奥と金子は、欧米を訪問したときの肩書きや主たる関心事項は異なるが、イギリスで同じポジションの人物からくわしく話を聞いていたのである。

明治憲法というと、ドイツ型というイメージがある。それは当たっている部分もあるが、他方で、イギリスに学んだ面も大きかった。金子は前述のイギリス紙のインタビューで、日本は議会が有している権力という点ではドイツ式だが、議会制度を導入するに当たりイギリスから多くを学んでいると述べている。イギリス紙向けのリップサービスではなく、実際にそうであった。

議会をどう運営するかという実践的な面だけではない。『文明史のなかの明治憲法』にも書かれているように、金子が欧米で面会した識者の多くは明治憲法にはドイツの影響が色濃いと見ていたが、なかには、イギリス的な面があることに着目した者もいた。議会政治・政党政治に道を開く憲法ということである。①明治憲法にイギリス的な傾向があるという話と、②憲法制定・議会開設は根本的にはイギリス型の政治に通ずるという話と、両方ある。

陸奥はイギリスで学んでいたときにメイに、内閣が議会多数の支持を基盤とするイギリス型の責任内閣制(議院内閣制)こそが立憲政治の真髄ではないか、と意見を述べているが、これなどはまさに②の考えである。

いずれにしても、『文明史のなかの明治憲法』・『明治国家をつくった人びと』で紹介されている伊藤博文や金子堅太郎の発言にもある通り、明治憲法は、ドイツ型というよりは日本独自のものであった。明治憲法の独自性を称揚したいわけではない。そうではなくて、日本の憲法調査・国制調査はそれだけ広範におこなわれたということである。

西洋諸国のさまざまな憲法と政治運営に学び、長所・短所を考えアレンジも加えながら、明治憲法は制定・運用されていった。その意味で、日本独自だった。そして、多様な性格を混在させた憲法のもとで、次第に議院内閣制のような運用がなされるようになっていったのである。

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