靖国神社、その原点と三つのWHY ─「靖国」を“つくった”木戸孝允
招魂社創建のときから続く、大祭での奉納相撲
招魂祭において、7月1日より三日間、奉納相撲が行われ、以後、相撲は大祭における恒例の、人気の余興となります。毎年、靖国神社の春の例大祭に奉納相撲が行われ、たくさんの人が集まるのは、これに由来しているのです。東京招魂社では戊辰戦争の戦死者、西南戦争の戦死者、台湾出兵の戦死者を合祀しました。 明治12(1879)年6月4日、東京招魂社は靖国神社と改称され、別格官幣社となります。「靖国」は「安らかで、争いのない、平和な国」という意味です。そして例祭を春秋二回のそれぞれ三日間行うことが定められ、競馬、幌曵き、撃剣、相撲、神楽、能楽などが奉納され、昼も夜も花火が打ち上げられ、賑わいました。例祭には全国から参詣者が集まっていたものです。 明治26(1893)年に、境内に大村益次郎の銅像が建立されました。大村は明治2年に刺客に遭難して、死去していました。東京における最初の銅像、そしてまた日本最初の西洋式銅像といわれるその銅像は、左手に双眼鏡を持ち、上野方面を向いています。それは旧幕府歩兵屯所跡に作られた、靖国神社競馬場の中央にありました。
桜の名所の起源は、木戸孝允が植えたソメイヨシノ
この奉納競馬のための競馬場は、明治3(1870)年に開始、その際、周囲に木戸孝允によって数十本の桜(ソメイヨシノ)が植えられました。競馬場は明治31(1898)年に廃止されましたが、靖国神社は、東京都内で有数の桜の名所となり、花見客を集めて賑わってきました。現在、境内には約1000本の桜(ソメイヨシノ600本、ヤマザクラ350本)があり、うち3本のソメイヨシノは、気象庁が東京地方の桜の開花宣言をする際の標本木となっています。 英霊たちを偲ぶ花として、木戸孝允によって選ばれ、自ら植樹された桜は、靖国神社の神紋ともなったのです。大村益次郎が靖国神社の“創始者”と呼ばれることもありますが、じつは陰の創始者は、明治10(1877)年に亡くなっていた“維新の三傑”の一人、木戸孝允だったのです。 戦死者を祀る東京招魂社として誕生し、「安らかで、争いのない、平和な国」を願って、その歴史を歩んできた靖国神社。しかし、「平和」のシンボルである桜の名所として親しまれながらも、残念ながら、靖国神社を巡って、さまざまな争いが生まれてきています。しかし、逆にそのことによって「平和」とは何か、ということを常に靖国神社は問いかけているのかもしれません。九段の地に眠る、246万6000余柱の英霊が、それを見守っているのです。 (文責・武蔵インターナショナル)