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失敗の経験 自戒込めて 学生に伝える
日本の考古学研究の信用は地に
2003年、それまで地域でバラバラに活動していた研究者が全国で連携し、日本旧石器学会が発足。10年には国内のあらゆる旧石器時代の遺跡(約1万200か所)のデータベースが完成し、研究成果が整理・透明化された。
さらに、長崎さんは、「学会で
ねつ造遺跡を巡っては、発掘現場で石器が出るとまず報道発表し、それから学会で報告する――という流れが常態化していた。「でも、大々的に世間に発表された後だと、おかしいと思っても批判しにくい。言えない雰囲気が先に作られて、そのまま既成事実となってしまう危うさがあった」
実際、読売新聞も、総進不動坂で最初に石器が出た4日後の98年7月7日夕刊で「七万~十万年前(中期旧石器時代)の尖頭器が見つかった」と伝えている。メディア側にも反省点は大いにある。
ねつ造の発覚後は違う。長崎さんは、2010年に開かれた学会で、ある研究者が「石器だ」と報告した出土品について、他の研究者が「自然に砕けた石だ」と猛然と批判し、会場で激論になった場面を見た。「ああ、これが健全な姿だと思いました」
親交のあった知人によると、藤村氏は当時の関係者らとの連絡を絶っているという。長崎さんもねつ造発覚後、一度も連絡を取っていない。
だまされた本人の長崎さんは、札幌国際大で教員を続けた後、10年から母校の早大の教授に就いた。
前任教授で恩師でもある菊池徹夫さん(82)は「失敗をきちんと認め、誠実に対応した。苦い経験を後進のためにいかしてくれるだろうと思った」。
ねつ造が発覚してから、長崎さんは年1回、自らの失敗を伝える講義を大学で続けている。時期は毎年、ちょうどあの問題が表面化した11月の前後。昨秋も、「私が調査担当者でした」と語り始めた。学生たちがどよめいた。
あの時、何が起きたか。なぜ見抜けなかったか。研究者なら本来、自分に都合がいいデータやファクト(事実)は疑わなくてはならない。その先に、確かな答えがある。「それなのに」という激しい自戒を込めて、長崎さんは講義をこう締めくくる。
「(日本に原人がいたかもしれないというストーリーは)みんなにとって都合が良かったのです。みんなが前期旧石器を見たかった。だから、(結果として)ねつ造に乗ってしまった」
結局、日本に原人はいなかったのか。
現在は、各地の遺跡の状況などから、後期旧石器時代の前半(3万年前~4万年前)に大量の人口移動があった、つまりこの時期に大陸から人類が流入してきた(=原人はいないだろう)という説が主流という。
しかし、長崎さんは「原人存在説」を捨ててはいない。ねつ造ではない国内の遺跡で、10万年近く前の地層から「石器としか思えないもの」も見つかっている。
「原人がいないと、説明できないことがある。私は、諦めていません」。今も長崎さんは北関東を中心に発掘に携わっている。原人の石器はまだ出てこない。それでも、掘り続けようと思っている。
池田寛樹 (いけだ・ひろき)記者 2007年入社。長野支局、甲府支局、編成部などを経て、昨年から東京社会部。ねつ造発覚時は高校2年で、当時覚えた「旧石器時代の遺跡」が実際は存在しなかったと知り、ショックを受けた。38歳。