日本人メダリストの歴史 夏季五輪第1号は熊谷選手
2019/3/22 05:00(最終更新 8/20 18:36)
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夏季大会で日本人最初のメダリストは第7回アントワープ大会(1920年)で生まれた。テニス男子シングルスで準優勝した熊谷一弥選手だった。柏尾誠一郎選手と組んだダブルスでも準優勝している。日本人が夏季五輪に出場するようになって2回目で手にした栄冠だ。
熊谷選手は慶応大卒業後、合資会社のニューヨーク支店勤務時代に腕を磨いた。全米大会で好成績を収めて五輪に臨んだ。ところが、前夜は興奮して寝付けず睡眠不足となり、惜しくも優勝を逃した。
また、金メダリスト第1号はその8年後、第9回アムステルダム大会(28年)三段跳びの織田幹雄選手だった。予選で15メートル21を出し優勝した。当時は予選か決勝かに関わらず順位を決めており、決勝で織田選手の記録を超える選手がいなかった。出身の広島で67年から行われている陸上の織田幹雄記念国際大会は織田選手の栄誉をたたえ創設された。
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