戦後、日本の女性カメラマンの草分けとして活躍してきた写真家、常盤とよ子(ときわ・とよこ)さん=横浜市保土ケ谷区=が24日午前3時、同区内の病院で死去した。91歳。同市出身。葬儀は26日午後5時から、告別式は27日午前9時から同市南区三春台139の大光院で行う。喪主はめいの栗林阿裕子(くりばやし・あゆこ)さん。
1950年、東京家政学院卒。アナウンサーを経て、女性写真家団体「白百合カメラクラブ」に参加した。54年、横浜市南区の赤線地帯で働く女性たちの撮影を始める。
初めは隠し撮りだったが「写真を撮ってくれるお姉ちゃん」と受け入れられ、昼間の普段着姿や健康診断を受ける様子など、時代に翻弄(ほんろう)されながらも必死に生きる彼女らの日常を、同性ならではの視線で捉えた。
これらの作品は57年に写真エッセー「危険な毒花」として刊行し注目された。その後も横浜・本牧のチャブ屋(外国船員向け高級妓楼〈ぎろう〉)の「お六さん」ら女性をテーマに撮り続けた。