もっとも、試合を動かしたのも小山だった。三回、自らの適時打で先制。その後はシーソーゲームとなった。五回、小山は長嶋、坂崎に連続本塁打を許すが、阪神も六回、藤本の本塁打などで再逆転。そして七回、小山は王に痛恨の同点2ランを打たれた。「上ずった球がいっちゃったんだね」。監督から交代を告げられた。リリーフは新人の村山だった。
「監督の勝ちたいという気持ちがあるんやなということで納得したけどね」。村山には「頼むで」と声を掛けた。そして、村山が九回、あの一発を浴びる。長嶋が左翼へサヨナラ本塁打。両陛下が退席される予定時間のわずか3分前の劇的一発だった。
「ベンチで見てた。完璧なホームランやった。一番よく分かるのは、捕手か三塁手。その2人が何も言わんと引き揚げたからね」。父からは「残念やったな」と声を掛けられた。宿舎に届いた恩賜のたばこは父に贈ったが、しばらくは吸えなかったという。
「負けたけれどもいい試合だった。現役生活の中で、野球人生の中でいちばん印象に残る試合だったね」。プロ野球人気が国民の間で飛躍的に高まるきっかけといわれる天覧試合。その先発を任されたという誇りを、小山は忘れたことはない。 =敬称略 (嶋田知加子)
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【プロフィル】小山正明(こやま・まさあき) 1934年7月28日生まれ、兵庫県出身。高砂高から53年に阪神入団。「投げる精密機械」と呼ばれるほどの抜群の制球とスピードで58年から3年連続で20勝。62年は27勝を挙げ、村山実とともにリーグ優勝に貢献し、沢村賞を受賞した。64年、山内一弘との「世紀のトレード」で東京(現ロッテ)へ移籍。同年、パームボールを駆使して30勝をマークし、最多勝のタイトルを獲得した。70年に史上唯一のセ・パ両リーグ100勝を達成。73年に大洋(現DeNA)で引退するまで、通算勝利は歴代3位の320勝(232敗)。2001年に野球殿堂入りした。
1959年6月25日 巨人-阪神11回戦
(後楽園、観衆4万5千人)
阪 神001 003 000=4
巨 人000 020 201=5
●(=勝)藤田 14勝2敗
●(=敗)村山 5勝7敗
●(=本)藤本(神)長嶋2、坂崎、王(巨)