現在位置:
  1. 朝日新聞デジタル
  2. ニュース特集
  3. ビリオメディア
  4. 記事
2013年1月7日14時00分
このエントリーをはてなブックマークに追加

〈取材後記〉刺し身とUSBメモリー 機密守る適応力

 【佐々木康之】私が「ソーシャルメディアの脅威」をテーマに取材を始めたのは昨年11月。6日付の紙面に記事を載せるまで20人近い現役自衛官やOBから話を聞いた。「紙」では書ききれなかった論点や事実を、ここで紹介したい。

特集:ビリオメディア

    ◇

 「出港2日前に刺し身を食うな」。海軍時代から引き継がれている海上自衛隊通信員の心構えだ――。

 12月25日昼、東京・芝浦。海自OBの香田洋二さんはカレーライスをほおばりながら言った。元自衛艦隊司令官。運用トップであっただけでなく、戦史や海軍の文化にも詳しい。

 「通信員が腹をこわし、船に乗れなかったら戦えない。『他の職種と俺たちは違う』という誇りが彼らのモラルを支えている」

 航海、射撃、機関、補給、給食。どの職種が欠けても作戦はできないと思うが……。「それでも通信は特別」と香田さんは言う。

 「暗号を扱うから」。相手に知られてはならない部隊間のやり取りに暗号は使われる。階級に関係なく、通信員は機密を目にする。

 香田さんは続けた。

 「ルース・リップス、ルーズ・シップス……。口が軽いと、船を失う」

   ■   ■

 香田さんを訪ねたのは理由があった。防衛庁(当時)関係者を震撼(しんかん)させた「ウィニー事件」を振り返ってもらうためだ。

 2006年2月、海上幕僚監部は「秘」情報を含む文書約3千点がインターネットに流れているのを確認した。流出元は佐世保基地の護衛艦乗員のパソコン。公用ではなく、自宅の私用パソコンだった。

 乗員はクローズ系のシステムからUSBメモリーに情報を落とし、自宅パソコンで仕事を続けた。いわゆる「風呂敷残業」だ。このパソコンに、家族がファイル交換ソフト「ウィニー」を入れていた。これが流出の原因となった。

 香田さんは当時、九州・沖縄周辺を管轄する佐世保地方総監。調査の先頭に立った。ソフトはもとより、USBメモリーの存在に着目したという。

 「私物のUSBにデータを落とす行為は、暗号書を書き写して手元に置くことと同じ。絶対にやってはいけないことだ。彼は通信のベテランだったが、そこに気付けなかった」

 ベテランなのに、なぜ?

 「紙と違い、デジタルデータは目に見えない。だから金庫に出し入れする手続きもなかった」。決められた動作はモラル維持の重要な要素。落とし穴だった。

 「技術の進歩とともに、意識も変えなければいけない。だが、人も組織も追いついていなかった」

   ■   ■

 3月28日、防衛庁は事件の再発防止策を発表した。発覚からわずか40日。異例ともいえるスピードだ。冒頭に掲げたのは「情報セキュリティーの観点からの抜本的対策」。ポイントは「私物パソコンの一掃」とUSBメモリーなど「可搬記憶媒体に保存するデータの暗号化」だった。

 2日後、防衛庁は陸海空自衛隊に追加配備する公用パソコン5万6千台を契約。半年で配備を終えた。USBメモリーなど可搬記憶媒体も「金庫」で管理することになり、仮に持ち帰ってもデータの暗号化で「風呂敷残業」は不可能になった。すべては私物パソコンを使わせないため。いずれも年度末ぎりぎりの措置だったが、総額40億円もの予算が付けられた。

 なぜハード整備が優先されたのか。

 「情報流出以上に深刻な事態を懸念していた」。シマンテック総合研究所長、平山孝雄さんは打ち明けた。当時、海自のシステムを管理するシステム通信隊群司令。ウィニー事件への対処にも関わった。

 深刻な事態とは何か。

 「私物パソコンで作ったデータは当然、公用パソコンに戻される。でなければ風呂敷残業の意味がない。私物パソコンがウィニーでなく、サイバー攻撃を意図したウイルスに感染していたらどうなっていたか」

 スタクスネット事件を思い出した。核物質を濃縮するイランの遠心分離器がサイバー攻撃で止まった事件。ネットとつながるオープン系システムから、USBメモリーを媒介してクローズ系に感染したのではないかとされている――。

 「幸い、そのようなことはなかったが」

   ■   ■

 ウィニー事件後、防衛庁は検査態勢や罰則強化などソフト面も見直した。

 06年5月の防衛事務次官通達がその一つ。「故意による秘密の漏洩(ろうえい)」、つまりヒューミント(人による情報収集)への加担だけでなく、私物パソコンや私有のメモリーで業務データを扱った場合も「懲戒免職」にあたると定めた。

 海自はさらに、半年に1度の私物パソコンの検査も始めた。業務データが保存されていないか確かめるためだ。あくまで「本人の同意」が前提だが、ある海自幹部は「断られると、『うーん? なんで?』という空気になる」と話した。

 だが、小さなパソコンとも呼ばれるスマートフォン(多機能携帯電話)は、検査対象に入っていない。6日付の紙面で紹介した海上自衛官のつぶやきからは、スマホでツイッターやフェイスブックを使っていたことがうかがえたのだが。

 海自幹部は「若い隊員が入隊前から当たり前のように持っているのに、持つなとは言えない。緊急時の呼び出しにも使っているし」と困った表情を見せた。

 スマホの普及と比例してソーシャルメディアを使う隊員が増える事態に、情報系幹部を中心に懸念が高まっている。一連の取材を通して得た実感だ。

 だが、艦隊勤務が長いある指揮官は、「隊員が不満や愚痴をつぶやかない勤務環境を作ることが先だ」と訴えた。「『スマホがあるから情報が漏れる。だから規制を強化しましょう』となったら若い隊員は集まりません。私たちは民主主義国家の“軍隊”なんです」

 海自は昨年9月、「ソーシャルメディアの私的利用に関するガイドライン」を作成し、全部隊に周知した。守秘義務、職務専念義務、政治的行為の制限――。自衛隊法に定めた服務規程を守るよう求めた。利用を前提とした約束事だ。

 策定に関わった幹部は言う。「個人利用は制限できない。米軍もそれだけは手をつけなかった。だが、『私、自衛官でございます』とわざわざ明かすことはない。敵は見ています」

 防衛省はいま、ウィニー事件に揺れた7年前の教訓を思い出す時期に来ている。セキュリティー強化や規則の見直しも必要だろうが、「技術の進歩とともに、人も組織も意識を変えなければいけない」という香田さんの言葉が頭に残る。目に見えない「サイバー空間」でのモラルのあり方を考える必要がある。

 取材に応じてくれた多くの現役やOBは、自衛隊員である「誇り」を大切にしてきた。技術の進歩、時代の変化に「誇り」を適応させる重要さをかみしめた2カ月だった。

PR情報
検索フォーム

ビリオメディア 最新記事


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

アンケート・特典情報