話の肖像画

サッカー指導者・ジーコ(5)リオと東京五輪をつなぐ懸け橋に

 〈1990年に来日し、その後、15年間暮らした日本を第2の故郷と言ってはばからない。大地震が起これば、すぐにチャリティー試合を企画して被災者を支えてきた。毎年8月には自身が運営するサッカースクールに日本のジュニアチームを招待して、ブラジルのチームと親善試合を行っている〉

 日本ではみんなに良くしてもらったし、私も家族も心から日本のことが大好きなんだ。私も妻も鉄板焼きが好物でね。日本にいるときは頻繁に通っていたから、お金がかかって仕方がなかったよ(笑)。日本の和牛は世界一だと思うね。

 3人の子供たちも日本で育ったんだ。インターナショナルスクールに通っていたんだけど、いよいよ日本語を本格的に習おうとしたときに、私が日本を去ってしまった。巡り合わせが悪かったね。こんなことなら日本語を早いうちから学ばせるべきだった。それでもね、私たちにはもう日本の家族がいるんだよ。長男のジュニオールが帰国後、日系人の女性と結婚したんだ。2011年12月には初孫が生まれて、私の家系に日本人の血が入ったんだ。

 生まれ育ったリオデジャネイロの次の五輪の開催地が東京なんて、本当に縁を感じるよ。日本は私の人生の一部であって、私はいつも日本のことを考えている。リオ五輪でも、日本政府が携わっている広報文化施設「ジャパンハウス」のプロジェクトに関わっているんだ。4年後の東京五輪でも、私にできることがあったらぜひ貢献したいと考えているよ。(聞き手 佐々木正明)=次回はカメラマンの山岸伸さん

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