完了しました
25年前の1996年。10月20日投開票の衆院選では、現在まで続く選挙制度「小選挙区比例代表並立制」が初めて適用された。
自民党内の各派閥から出た複数の候補が争う定数3~5の「中選挙区制」は、金権政治を生んだと批判された。派閥中心から政党本位・政策本位の選挙を目指して導入されたのが、定数1の「小選挙区制」だった。
「中選挙区なら多くの人が出馬に手を挙げたはず。小選挙区制でないと出馬できなかったかもしれない」
自民の新人候補だった山口泰明氏(前党選挙対策委員長)は振り返る。中選挙区時代の旧埼玉2区(定数5)は、複数の小選挙区に分割された。自民は新埼玉10区の候補として、地元のガス会社役員の山口氏に白羽の矢を立てた。
山口氏は出馬の意向を党側に伝えたが、別の候補も自民から出馬を模索していた。調整に手間取り、公認決定まで2か月弱かかった。
選挙は、橋本首相率いる自民と小沢一郎党首の新進党の戦いだったが、新進党は山口氏の選挙区に候補を立てなかった。「新進党を支持する創価学会が、本来敵対する自分を例外的に支持してくれた。助かった」
自民は議席を伸ばしたが過半数に届かず、政権交代を目指した新進党も議席を減らした。自民と連立を組む社民党と新党さきがけは大幅に議席を減らした。
山口氏は7万票余りを得て初当選。同じ96年初当選組は菅義偉氏や河野太郎氏ら25年後の今、党や政府を支える人材が並ぶ。無派閥だった山口氏は選挙後、小渕派に身を投じ、2年後の小渕首相就任を見届けた。
小選挙区制の下、政党中心の選挙が浸透する一方で、政党トップの人気にすがる「風頼み」の議員が増えるなど、その功罪も指摘されている。山口氏は25年をこう振り返る。
「小粒になったとも言われるが、誠実さや人との絆を重んじる政治家のあるべき姿は今も昔も変わらない」
1
2