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  • ミルトンのソネット―閉じられた庭と開かれた世界を繋ぐ作品群―

    金﨑 八重 生駒経済論叢 21 (1), 1-12, 2023-07-31

    〔概要〕ミルトンの作品は,初期牧歌詩,中期政治的散文,後期長編叙事詩の三つに分けられている。これまで中期作品時代は,ミルトンは詩人としてではなく政治家としてのみ着目され,詩人ミルトンを論ずるにあたり,初期作品と後期作品の間に大きな断絶があった。本論では,ミルトンが政治活動をしていた時代にもわずかに書いていた詩作品であるソネット群を取り上げ,初期作品群と後期作品群をつなぐ存在としての意義を考察して…

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  • ミルトンの詩と後世の芸術家たち―調和と融和―

    金﨑, 八重 生駒経済論叢 20 (1), 21-31, 2022-07-30

    ...[概要]詩人ジョンミルトンに影響を受けた後世の芸術家たちは,ミルトンの作品をモチーフとして,数々の新たな作品を生み出してきた。本稿では,ミルトン作品が,18世紀から現代にいたるまで,音楽的に変化し,受容されてきたかを「ハーモニー」というキーワードを中心に論じていく。...

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  • 「サイキに寄せるオード」に見るキーツの宗教観と神話的表象

    高野, 吉一 人間・環境学 21 205-216, 2012-12-20

    ...中でも, 当時広まりを見せていた懐疑主義にキーツが強い影響を受け, 'Nativity Ode'においてジョンミルトンが歌い上げたキリスト教による異教排斥に反発するため, ギリシャ神話的要素の濃い'Ode to Psyche'が書かれたのだという見解が提示され, その見方が後の解釈に大きな影響を与えている....

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  • "It's Milton. Always there" : The Devil's Advocate(1997)

    島村, 宣男 関東学院大学文学部紀要 110 5-29, 2007-07

    ...1997年度公開のアメリカ映画The Devil's Advocateのプロットは、ある清廉な若手弁護士が幻想のなかで「ジョンミルトン」を名乗るサタンとその徒党によって誘惑されるというものである。その制作の背景には、現代のアメリカが病弊とも言える「訴訟社会」と化している現実があるのだろう。...

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  • Milton and Japan

    生地 竹郎 比較文学 18 (0), 150-117, 1975

    ...<p> 叙事詩『失楽園』の作者ジョンミルトンと言えば、叙事詩人としてはギリシャのホメーロス、ローマのウェルギリウスに比せられ、宗教詩人としては、カトリックを代表するイタリヤのダンテに対抗して、プロテスタントないしは清教徒を代表する大詩人である。またイギリス文学の領域内では、古来、シェイクスピアに伍し、あるいは少くとも彼に次ぐ詩人としての地位はゆるがなかったと言える。...

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  • 信仰と創作 : ミルトンの場合

    山田 利秋 人文研究 19 (7), 539-555, 1968

    序 : 芸術創作の活動ほど, 人間の自我を強くよび醒ますものはあるまい。古来いかに多くの聖母マリアの画像が, 特定の女性に寄せる画家達の慕情を生々しくあらわしていたことか。美は妄執の所産であるという意見の生まれるのも当然であるように思われる。中世以来, カトリックの修道院において, 修道士や修道女に課せられた三つの誓願がある。chastity「貞潔」, poverty「清貧」, …

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  • <論説>ミルトンにおけるピューリタニズムと自由 : 寛容思想の形成にふれて

    井上 昌保 史林 50 (5), 674-702, 1967-09-01

    ...マックス・ウェーバーによれば、ジョンミルトンはピューリタンの「変り種」としてピューリタニズムの枠から除外されている。一方、ミルトンは多くの論者によってヒューマニストの系列で理解されてもいる。これらの理解はいずれも、ミルトンが人間性を肯定し、理性を重視し、自由を主張してやまなかったことによっている。...

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  • アダムとイーヴ : 「失楽園」の文学的研究(III)

    杉本 龍太郎 人文研究 12 (5), 431-445, 1961

    「失楽園」(Paradise Lost)の文学的研究ということは、一方に所謂、神学的考察乃至は研究が存在するのを前提として、云えることである。「失楽園」の研究はこの両者が成立して、更に一つのものとして纏つてはじめて完全な姿になると云えるだろう。しかし、私は「失楽園」を文学として読むことから出発したいと考えていた。あまりにも神学的要素をこの文学作品に加えて考察することに反撥を感じたものだ。この小論…

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  • ミルトンにおける愛

    吉田 新吾 人文研究 11 (6), 487-501, 1960

    ミルトンの愛の取扱いは、永遠の意味をもっている。感覚、官能、情熱が、『コーマス』においては人間を呪縛する魔術として、『失楽園』においては人間の堕落と不可分なものとして、ほとんど不可抗的な力をもって、理性を麻痺させ、人間を滅ぼそうと脅かすものであることを洞察するからである。……

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