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小松F15 何が 専門家に聞く

2022年2月15日 05時00分 (2月15日 05時00分更新)

当時の天候 積乱雲なく薄い雲


機体の不調 必ず連絡するはず


空間識失調 ベテランでも危険


 航空自衛隊小松基地(石川県小松市)の精鋭パイロット二人の死亡が確認されたF15戦闘機の墜落事故。冬の北陸の空で何があったのか。さまざまな可能性を専門家に聞いた。 (久我玲)
 夜間訓練のため、飛行教導群の群司令を務める田中公司一等空佐(52)と植田竜生(うえたりゅうせい)一等空尉(33)が操縦する機体が同基地を離陸したのは一月三十一日午後五時半ごろ。僚機三機に続き、最後に飛び立った。右に旋回し、訓練空域の海上に向かったところで、何らかの異常が発生したとみられる。
 離陸から基地の西北西約五キロの海上でレーダーから機影が消えるまで一〜二分程度。管制官は海面近くでオレンジ色の光を目撃したため、無線で呼び掛けたが、応答はなかった。
 「小松の冬は戦闘機パイロットにとって最も恐ろしい。悪天候が多く夜間は特に厳しい」。同基地で七年半勤務経験がある航空自衛隊元空将の織田邦男・東洋学園大客員教授は指摘する。冬の北陸沿岸はシベリアからの冷たい季節風と日本海を北上する温かい対馬海流によって積乱雲が発達し落雷も多い。積乱雲から地上に向け猛烈な勢いで吹き出す「ダウンバースト」や、それが地上に跳ね返って起きる予期できない上昇気流も。それらは時にコントロールを失う原因になる。
 同基地では一九六九(昭和四十四)年二月、F104が金沢市上空で落雷を受け住宅街に墜落、住民が死傷する事故があった。このため八二年に雷電探知装置が装備され、二〇〇六年には積乱雲を観測する「ドップラーレーダー」が設置された。金沢地方気象台によると事故当時の天候はみぞれ。上空に薄い雨雲はかかっていたが、積乱雲を発生させる雨雲ではなかった。
 突然の機体トラブルはどうか。F15の元パイロットで日本航空大学校(石川県輪島市)の操縦科教員、野口浩一さんは「突発的な事象で空中分解しない限り、パイロットは必ず緊急事態が起きたことを管制官に伝えている。それがなかったとすれば機体トラブルは極めて考えにくい」と語る。エンジンが鳥などを吸い込むバードストライクや、急旋回時などに空気をエンジンにうまく取り込めなくなる「スタグネーション・ストール」という現象についても、二つのエンジンを持つF15で起きることは「まず考えられない」と話す。
 織田さんと野口さんが可能性として挙げるのは、多くのパイロットが経験する「空間識失調」だ。夜間や悪天候のような視界が悪い状況で起きやすく、平衡感覚を失い、機体の姿勢や位置がわからなくなる現象。織田さんは「ベテランも例外ではない。操縦席にある姿勢指示器を見て回復することもできるが、離陸直後の低い高度では取り返しのつかない事態もありうる」と話す。パイロット二人が搭乗していたが、野口さんは「離陸直後は前席のパイロットに操縦を任せ、後席では別の計器確認などに当たり、急降下していることに気づかなかったとも考えられる」と推測する。
 両氏は事故原因の解明には「操縦の詳細や機体の状態を再現できるフライトレコーダー(飛行記録装置)の発見と分析が不可欠」と話す。空自は機体を海から引き揚げ、事故調査委で原因の解明を進める。

「信頼厚かった」「やりきれない」2隊員惜しむ声

 「二人の死を現実として受け入れるのはつらい」。死亡が確認された二人のパイロットを知る人たちからは、悲痛な声が漏れた。
 小松基地の元幹部でF15パイロットだった男性は、田中公司一佐について「明るい性格で人望もあった。いつも皆から冗談を言われて、笑って返すような人だった」と振り返った。
 飛行教導群の支援団体「アグレス会」の上田真会長(58)=石川県小松市=は「無事に見つかってほしいと思っていたので残念。田中さんは気さくで隊員の信頼も厚かった」としのんだ。
 二〇一三年、東日本大震災から二年ぶりに松島基地(宮城県)へ帰還した空自のブルーインパルスは田中一佐が隊長を務めていた。小松基地の友好団体「ハイフライト友の会」の上出雅彦会長=石川県能美市=は、田中一佐をタックネーム(パイロット同士の呼び名)の「ジョー」と呼ぶ旧知の仲。事故の十日前には自宅に招き食事をしていた。「最後になると思っていなかった。何か条件が少しでも違えば運命は変わっていたかもしれない」と悔やんだ。植田竜生一尉については「若く優秀なパイロットの命が失われたと思うとやりきれない」と悼んだ。
 同県加賀市の新保海岸の堤防には二人を悼み、花束を供える人の姿も。献花した三十代の男性は「二人の無事を祈ってきた。亡くなったことは残念で、泣けます」と話した。

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