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前回東京五輪、直前まで国民は冷めていた

低かった関心、強かった不安

 1964年の前回東京五輪を、国民はどう見ていたか。みんながこぞって支持したかのように記憶される国家事業には、実は開催決定後から時期尚早論や返上論が語られ、関心を持たない人も多かった。そこから急速に熱気が高まり、終わってみれば戦後復興の証し、平和の祭典として成功に酔いしれた人々。背景には何があったのか。当時の世論調査からたどりつつ、2020年大会に対する世論との違いも探った。

 「東京オリンピック」。シンプルな表題が付いた1冊の報告書がある。67年に日本放送協会放送世論調査所(現NHK放送文化研究所世論調査部)から刊行された。中心になってまとめたのは、当時の所員で、のちに社会学者になった藤竹暁学習院大名誉教授(86)。所内で調査の企画を提案し、64年に大会前、直前、大会中、閉幕直後、年末の5回にわたって実施した。第1回は大会4カ月前だった。

 【問】今度のオリンピックには関心を持っていますか

 【答】非常に持っている 24.0%▽やや持っている 47.2%▽あまり持っていない 20.4%▽全然持っていない 8.3%

 (64年6月、NHK、東京、1131人)

 東京と地方の比較のために実施した金沢市でも、「非常に持っている」「やや持っている」は計70.0%に上った。当時、所内には東京五輪を世論調査の対象にする考えはなく、31歳だった藤竹さん自身も「正直言って五輪にあまり関心がなくて、企画が遅れた」。始めた時には関心が一定程度まで高まっており、予想に反して東京と地方の差もほとんど見られなかった。「もう少し早く始めれば盛り上がりの変化が分かったのにと思った」という。

 このため報告書では、開催が決まった59年から文部省(現文部科学省)統計数理研究所、東京都政調査会、総理府(現内閣府)が行った調査の結果に、新聞の社説や投書欄の意見などを併せて世論の軌跡を分析する手法を取った。

 初め、世論は冷めていた。女優で文筆家でもあった高峰秀子さんが新聞紙上に返上論を展開し、有識者らが同調したこともあった。見当もつかない経費とその財源。施設や道路、ホテルなどの受け入れ態勢。日本のスポーツの競技力。外国人に慣れていない国民性。不安材料には事欠かず、多くの国民には背伸びや他人事に見えた。

 「五輪をやるくらいなら他のことをした方がいいと思った国民は多い」と藤竹さん。62年2月の都政調査会の調査では、都民でも東京五輪の開催時期を答えられたのは67.9%にすぎない。総理府の調査でも同様で、2年前にしては関心が高いと言えなかった。

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