北朝鮮で15年過ごしたアフリカ独裁者の娘、回顧録出版

北朝鮮で15年過ごしたアフリカ独裁者の娘、回顧録出版
10月2日、北朝鮮の平壌で亡命者として15年間を過ごした赤道ギニア初代大統領の娘モニーク・マシアスさんが、回顧録出版に合わせて当時の生活を語った。写真は9月撮影(2013年 ロイター/Lee Jae-Won)
[ソウル 2日 ロイター] - 1970年代後半に処刑された赤道ギニア初代大統領の娘モニーク・マシアスさんは幼少時代、北朝鮮の平壌で15年間、亡命者として過ごした。故金正日総書記も輩出した学校では、ライフル銃の射撃訓練を受けたこともある。
「私の子ども時代の記憶は、北朝鮮に飛行機で到着した時に始まる。私は朝鮮人の考え方や彼らにどう話せばよいか分かる。それは、彼らが教えてくれたこと。彼らが私を形作った」
北朝鮮の国営メディアは今週、北朝鮮が崩壊するシナリオを指摘した米シンクタンクの報告書を批判。ただ、マシアスさんはこのようなシナリオは現実的ではないとみている。
ソウルでロイターの取材に応じたマシアスさんは、「北朝鮮にはこれが正しい生き方ではないと理解している人もいる」と指摘。「北朝鮮は簡単には崩壊しないと思う。中国のように開放されていくだろう。だた、そのスピードはとても遅い」と述べた。
現在は40代になったマシアスさんはこのほど、回顧録「I'm Monique, From Pyongyang(原題)」を出版。独裁者だった父フランシスコ・マシアス・ンゲマ氏の決断で北朝鮮に渡った後の暮らしぶりを朝鮮語で綴っている。
マシアス・ンゲマ氏は処刑前、北朝鮮に助けを求め、妻と子どもたちを同国に送った。そこから、マシアスさんの15年に及ぶ北朝鮮での生活が始まった。
平壌で数少ない黒人の1人になったことや、未知の国での生活が、マシアスさんに世界の見方を変えさせたという。
そのことが回顧録出版のきっかけとなったと話すマシアスさんは、「北と南(韓国)は統一を望んでいると言うが、実際お互いの国民のことは知らない。統合を望むなら、先入観を捨てるべきだ」と語った。
<エリート養成校>
1994年に北朝鮮を出国し、現在はスペインで家族とともに暮らしているマシアスさんは、今でも第一言語として朝鮮語を話す。平壌では、エリート層の子孫と幼少期をともにした。
社交の場では、故金日成国家主席からもっと勉強するように説教されたこともあるという。エリート養成学校の万景台革命学院では、兄弟とともに軍服スタイルの制服に身を包んだ。
「最初の週は毎日、射撃や登山、ランニングで疲れ果て、1週間分の食料を3日で食べた。残りの4日は空腹で過ごしたが、そこから自己管理しなければいけないと学んだ」
同校は男子学生しか受け入れていなかったが、マシアスさんらのためにクラスが新設され、女子学生は訓練用にカラシニコフ銃が渡された。
1989年には、天安門事件のうわさが北朝鮮国内の大学にも伝わってきたと振り返るマシアスさん。「平壌の大学生も変革について考えていたと思う。(北朝鮮メディアは)事件について報じなかったが、多くの人が知っていた」と当時の様子を説明した。
北朝鮮の教育システムで学んだマシアスさんにとって、反米主義が世界を理解するのに必要な要素だった。そのため、北京で初めて米国人に会った際には大きなショックを受けたという。
北京でのエピソードについて、マシアスさんは「とても怖かった。『オーマイゴッド、米国人だ』と思った。手は汗でぬれ、その場から走って逃げた。すると、彼は『止まって。食べたりはしない』と叫んだ」と述べ、その際に抱いた恐怖心を打ち明けた。
(原文執筆:James Pearson記者、翻訳:野村宏之、編集:橋本俊樹)

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