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橋下節、微妙な変化 民主党には基本「さん」付け

2010年2月7日17時57分

写真記者会見する橋下知事=3日、大阪府庁

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 6日で就任2年となった大阪府の橋下徹知事の記者会見を分析すると、言及する人物の中では大阪市の平松邦夫市長が圧倒的に多いことがわかった。政治家の栄枯盛衰にも敏感に反応している。過激な発言が多い一方で、民主党やその閣僚を持ち上げる回数も増えている。

 就任から今年2月3日まで、橋下知事の定例記者会見は計76回あった。府が作成した会見録を、社会言語学者で「政治家の言葉」を研究する松田謙次郎・神戸松蔭女子学院大教授とともに分析した。

 最も多い平松大阪市長(212回)には、2008年夏に大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)への府庁移転を表明した後、「僕と平松市長で」など二人三脚ぶりを示してきた。

 ところが今年に入り、大阪府・市の再編を打ち出してからは、平松市長のことを「ビジョンがない」などと、もっぱら「敵役」としている。

 首長では他に嘉田由紀子・滋賀県知事(68回)、井戸敏三・兵庫県知事(52回)、山田啓二・京都府知事(42回)ら。嘉田知事の名前を挙げる時は、主にダム問題について「勉強させてもらう」など、常に敬意を込めている。

 一時は多かったが激減したのは、東国原英夫・宮崎県知事(40回)。全国知事会の改革で共闘した2年目前半(昨年2月〜7月)は35回登場。「全国にも支持者が多い」と持ち上げていたが、昨夏の衆院選前の「私を自民党総裁候補に」発言で東国原氏に批判が集まるようになってから、会見だけでなく登庁時などの取材でも触れなくなった。

 麻生太郎前首相(77回)を「僕は全面的に支えたい」と言ったこともあったが、政権交代を境に名前を挙げることはほぼなくなった。代わって原口一博総務相(38回)や前原誠司国土交通相(19回)への言及が増加。ただ、地元・大阪選出の平野博文官房長官に触れたのは3回しかなく、縁の遠さがうかがえる。

 政党ではこの1年、民主党が239回と大幅に増え、自民(75回)と公明(59回)両党に大差をつけた。知事は政党を批判する際は「○○党」と呼び、持ち上げる時は「さん」をつける傾向がある。2年間の民主党の「さん」づけ率は62%と自民(43%)、公明(45%)両党を上回り、政権交代後は「民主党さん」率は71%に増えた。知事は「深層の意識かも」と話す。

 他にたびたび名前を挙げるのは政策ブレーンだ。大手塾による放課後授業で知られる府特別顧問の藤原和博氏が66回で最多。空港戦略などを助言する同顧問の上山信一・慶応大教授の48回が続く。

 知事の発言を分析した松田教授は「就任後しばらくは国政の政治家や政党名にさほど言及しなかったが、昨夏の衆院選前にはかなり目立つようになった。国や政界に働きかける政治家になっていったことがうかがえる」と話す。

     ◇

 一方、記者会見以外も含めると、話題になった「ぼったくりバー」や「クソ教育委員会」など、知事の刺激的な表現は最近も止まらない。

 4日の大阪府豊能町議会との意見交換会では、大阪(伊丹)空港問題で危機感を持つべきだとして「僕が虫の中で一番尊敬しているのはゴキブリです。新聞紙を丸めたら後ろに目もないのにぱっと逃げる。危機感がすごい」。3日の会見では、就任2年の自己採点を尋ねられて「採点を僕が言うのは、ケツを出すほど恥ずかしい」と言った。

     ◇

 「僕」が増え、「私」は消滅寸前――。橋下知事が会見で自分のことをどう呼んできたか松田教授が調べたところ、こんな結果だった。

 1年目は「僕」が2255回(88.4%)、「私」が295回(11.6%)。2年目は「僕」が3474回(99.3%)に増え、「私」は24回(0.7%)に激減した。

 「私」は会見の冒頭、府職員作成の文書を見ながら述べる場合がほとんど。記者との質疑応答では「僕」に切り替わる。知事周辺によると、弁護士時代も法律相談や法廷では「私」だが、普段は一貫して「僕」だったという。

 知事は「最初は『私』だったが、なんか合わないのでやめた。普通に『僕』の方がいいと思った」と話す。

 関西学院大の野田正彰教授(比較文化精神医学)によると、「私」は立場の違う相手に社会性を持って接する意思表示だが、「僕」は自分を受け入れ、評価してほしいと甘える言葉でもある。「知事は『私』を使おうとしても『僕』に戻ってしまう。いつも自分を評価してほしい思いの表れではないか」とみる。(春日芳晃)

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