2022.12.29

【連日配信・田中康夫&浅田彰の2022国際情勢回顧】ヨーロッパ「現実主義」から「ファシズム」への転換という絶望《憂国呆談 第6回 Part4》

事態が深刻化するイタリア

浅田 ドイツのアドルフ・ヒトラーの国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は1933年に政権を取るけれど、イタリアのベニト・ムッソリーニの国家ファシスト党はそれに先んじて1922年に政権を取った。

それから百年たった今年9月25日の総選挙で、国家ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」が第一党になり、ジョルジャ・メローニ党首が首相に就任。スキャンダルで何度失脚しても復活するシルヴィオ・ベルルスコーニの「フォルツァ(頑張れ)・イタリア」とマッテオ・サルヴィーニの「同盟」が彼女を支えるっていう極右勢揃いの政権が成立した。

ジョルジャ・メローニ党首 Photo by GettyImages

ベルルスコーニが最初に首相になったのは1994年で、2016年の米大統領選挙でトランプが勝ったときイタリア人は「今ごろポピュリスト右翼の勝利に驚くなんて遅れてる」って自嘲してたけど、事態はさらに深刻になってきた。

「イタリアの同胞(Fratelli d’Italia)」は直訳すれば「イタリアの兄弟」(姉妹ではなく)。それを女性党首が率い、極右じゃない普通の政党を装う形で、フランスのマリーヌ・ル・ペンが「国民戦線」を率いた父ジャン=マリー・ル・ペンを放逐し「私の国民連合は普通の政党だ」と言い張るのに似てる。

日本だと、ぐんとマイナーだけど、日本愛国党の赤尾敏の姪で参政党の共同代表をやってる赤尾由美みたいなものかな。ちなみに、ベニト・ムッソリーニの孫娘のアレッサンドラ・ムッソリーニは「フォルツァ・イタリア」に属してたけど政界を引退、かわりに曾孫のカイオ・ジュリオ・チェザーレ・ムッソリーニが「イタリアの同胞」に入ってる。

この対談は連続対談のPart4です。
Part1Part2Part3もあわせてお読み下さい。
 

田中 2018年9月にイタリアの地中海側からアドリア海側へレンタカーで抜ける際、中部アブルッツォ州のアペニン山脈で最も高い山塊(さんかい)のグラン・サッソに妻と訪れたのを思い出すなぁ。

1943年に当時のイタリア王国のヴィットーリオ・エマニュエーレ3世から首相の座を解任されたムッソリーニは、国家治安警察隊カラビニエリによって標高2千メートルを超える稜線にあるホテル「カンポ・インペラトーレ」に幽閉される。

するとヒトラーはムッソリーニ救出作戦を命じ、イタリア王国が連合国に無条件降伏した4日後の9月12日、偵察機に曳航された12機のグライダーを上空で引き離し、着陸に成功した8機に乗り込んでいたドイツ兵が無傷で救出する

その後、ヒトラーはムッソリーニを国家元首とする傀儡政権「イタリア社会共和国」を北イタリアに樹立する。枢軸国の日本は即座に承認し、ヴェネツィアに大使館を置くけど、同じくナチス・ドイツの傀儡政権「ヴィシー・フランス」すら承認しなかった。

浅田 そう、その「イタリア社会共和国」の残党が戦後に「イタリア社会運動」をつくり、その流れが「イタリアの同胞」につながる、と。

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