「この美しい海岸線、山々の稜線(りょうせん)。ブラジルの自然の中にある曲線から、女性の美しい体のラインから、私のデザインは生まれるのです」
2004年4月、ブラジル・リオデジャネイロのコパカバーナ海岸を見下ろすオフィスで、当時96歳のオスカー・ニーマイヤーは本紙の取材にこう語っている。
ブラジル・モダニズム建築の父にして、首都ブラジリアをつくった男。その言葉通り、ダイナミックな曲線を多用したその建築はオーガニックで官能的。1940年代から晩年まで、代表的な10の建築を紹介する日本初の大回顧展がいま、東京都現代美術館(東京都江東区)で開かれている。精巧かつ美しい模型を中心に、写真や映像などから偉大な建築家の実像に迫る企画。会場構成を担当したのは現代建築をリードする2人組、SANAA(サナア)だ。
モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエとの出会いなど、ニーマイヤーの建築家人生には大小の節目がある。中でも「一生の転機」と語っていたのが、1940年代にブラジル・ベロオリゾンテ市で手掛けた「パンプーリャ・コンプレックス」。湖の周りに教会やダンスホールなどを建設した公共プロジェクトだ。