山口監督が『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』に感じたものとは

映画監督・山口雄大氏が語る『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』【プレイインプレッション】_09
山口雄大
映画監督。2003年『地獄甲子園』で、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のヤングコンペ部門でグランプリを受賞。『魁!! クロマティ高校』や『エリートヤンキー三郎』など、とても実写化できそうにないギャグ漫画を、あえて実写化するのが得意芸でもある。なお、最新作の『アブダクティ』(2013年10月12日公開予定)は、今年のブリュッセル国際ファンタスティック映画祭(※)で、SILVER RAVEN(準グランプリ)を受賞。無類のゲーム好きが高じて、週刊ファミ通でコラムを連載していたこともある。

「映画みたいなゲームという言葉が褒め言葉である時代は終わった。なぜなら、いまやゲームは独自のエンターテイメントを確立しているからである」

これは、以前ファミ通本誌でコラムを担当させてもらっていたときに書いた言葉ですが、数年経ってこれを訂正しなければいけない事態が起こってしまった。それはこの『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』が現れたからです。
 制作会社のNaughty Dog(ノーティドッグ)は、『アンチャーテッド』シリーズによって”映画のような体験をさせるゲーム”を高いレベルで実現してきたチームですが、いわゆる、優れたアクションゲームの中に優れたカットシーンが盛り込まれたインタラクティブな映像体験の域を出ていなかったように思います。同じようなコンセプトを掲げているチームにQuantic Dream(クアンティック・ドリーム)がいて、これは『ファーレンハイト』や『HEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-』などで意欲的にその模索を続けてきました。このチームの特徴としては、カットシーンとインゲームの区分けを曖昧にして融合させることにあるため、時として操作がわかりにくく、プレイヤーを戸惑わせるという難点がありました。しかし、こうしたクリエイターたちの苦労と向上心により映画とゲームの区分けはもはや必要ではなくなり、そのうえで僕も前述の発言をすることになったというわけなのですが、問題の『The Last of Us』においては、もはや最大限の賛辞として、「まるで映画のようなゲームだ」と言わざるを得なかったのです。

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本でも映画でもマンガでも、どんなメディアであれ、人々の心に強く訴えかけるものはドラマです。シェイクスピアやドフトエフスキーが時代を越えて語り継がれているのも、その根底に普遍的なドラマが存在しているからです。『The Last of Us』は、それらすべてを飛び越える力を持っており、語るに足る堂々とした人間ドラマが描かれています。簡単に言えば、感情移入の度合いが違う。僕はいままで、ゲームをプレイしながら本気で登場人物に「死んでほしくない」と思ったことはありませんでした。たとえば、マリオが死んでもガッカリはするけどショックを受ける人はいないと思います。しかしこの作品では、全編に”死”に対する恐怖と緊張感が持続しているため、それは衝撃シーンとなりえています。初めてビデオゲームで”血の通った人間”を感じた瞬間と言えるでしょう。システム上、コンティニューという概念が当たり前に存在するビデオゲームにおいて、”死”を意識させるというのは、なかなか簡単にできることではありません。

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ところで、この『The Last of Us』を語るにあたって、忘れることができない作品があります。現在も記録更新中の大ヒットドラマ『The Walking Dead(ウォーキング・デッド)』です。ジョージ・A・ロメロが『ゾンビ』や『死霊のえじき』で築いたゾンビ・サーガの世界観をさらに推し進め、重層的な登場人物を大河ドラマとして描いていくシリーズですが、このドラマの新機軸はそのドラマ性の深さにありました。ロメロが、人間を描いているように見えながらもあくまでもゾンビとそのSF世界を描こうとしていたのに対して、『The Walking Dead』では、ゾンビのいる世界はあくまでも器にとどまり、その中で生きようとする人間たちに焦点を絞ったことが、多くの視聴者たちの支持を得る結果となったのです。ですから、『The Walking Dead』にもロメロ映画顔負けの残酷シーンが続出するのにも関わらず、それがただのスプラッター趣味に囚われない過酷な人間描写のひとつとして見えているのです。

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 『The Last of Us』も、ほぼ同じ方法論で作られていると言えます。ゾンビ(感染者)たちが徘徊している世界はあくまでも設定のみにとどめ、そこで生きる人々たちを丹念に描いていきます。そのため、危機一髪のクリフハンガーなんかは起きませんし、いわゆるゲーム的な見せ場や要素は徹底的に排除されています。最近よくある、カットシーン中のQTE(Quick Time Eventの略。イベントシーンなどにおいて、画面の表示される指示に合わせてボタンを押すことにより、ゲームが進行していくシステム)もありません。Naughty Dogは『アンチャーテッド』ではこの手法を多用していたことから、今回がいかに徹底して、大事に世界観を作りこんでいるのかがわかります。さらに巧みなのは、カットシーン以外での会話が利いていることです。この作品では、インゲーム中にも大量の会話が盛り込まれており、それは物語においては大して重要ではないことばかりですが、主人公・ジョエルと少女・エリーの関係が徐々に近付いていくという描写に密接しているばかりか、それがTPS(サード・パーソン・シューティングゲーム)という画面構成によって客観的に捉えられていることから(俗に言う”背中の芝居”というやつです)、後に訪れるであろう悲劇をも想像させ、より感情移入の度合いが広がるという希有な効果を挙げているのです。これほどまでに、ゲームシステムとドラマが融合している例を僕は見た事がありません。この作品にはラスボスなどは登場しません。ジョエルとエリーのドラマに相応しいクライマックスは、巨大なモンスターなどではなく、二人の感情の高まりであるからです。

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 『The Last of Us』は、およそビデオゲームには相応しくないほどに、シンプルにエンディングを迎えます。しかしそれはこの物語にとって最高の幕切れであり、これ以上二人のドラマを描く必要がないという作者の宣言でもあるのです。僕は、グスターボ・サンタオラヤ(ミュージシャン。映画『21グラム』や『バベル』などの音楽を担当)のシンプルなテーマ曲が流れるエンディングロールを見つめながら、一本の素晴らしい映画を見たあとのように、ジョエルとエリーの過酷な旅を反芻しながら、「これは映画のようなゲーム」だということを最大限の賛辞として述べなければいけないと考えを改めたと同時に、より多くの人々に語り継がれるべき物語であると強く思いました。

Naughty Dogは、初めてビデオゲームにおいて人間を存在させることに成功しました。それは間違いなく、血の通った人間でした。

※ファンタスティック映画祭:SF映画、ホラー映画、スリラー映画、サスペンス映画などファンタジー系のジャンルに焦点を当てた専門の映画祭。ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭は、世界三大ファンタスティック映画祭と言われている。

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