徳川家が豊臣家を滅亡させた慶長19〜20(1614〜15)年の「大坂の陣」で「寝返った大名が秀頼に(城壁から)落とされて死んだ」などと記された文書がオランダ・ハーグ国立文書館で確認され21日、国際日本文化研究センター(日文研、京都市)が発表した。
真田幸村の記述も
日文研によると、文書類は当時のオランダ東インド会社の駐在員らが記したもの。同国のライデン大学と日文研が一昨年から共同研究を行い、2021年度を目標に書簡524通を日本語へ翻訳する作業などを進めている。
大坂の陣を記したもののなかには、1615年6月、「秀頼の数人の大名が赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火をつけたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ」などと、日本側の記録にはない当時の様子が伝えられている。
このほか、1614年11月の書簡では、貿易商人のヤン・ヨーステンが「皇帝(家康)がすべての大砲および鉛を購入することを報告する」と記述。1615年5月の書簡には、豊臣方につく大名として「真田左衛門(幸村)殿、関東に3万石(の領地)を所有していた」とも書かれていた。