世間を大騒ぎさせた大鵬さん、柏戸さんのピストル不法所持 師匠の聴取にドキッ… 実は私も持っていたのです【北の富士コラム]
2020年6月6日 22時09分
◇コラム はやわざ御免 北の富士場所千秋楽
今でこそ偉そうにテレビで力士たちに注文ばかり言っているが、私ほど現役時代に協会に迷惑をかけたヤツはいないでしょう。
私と同年配の方ならよく分かっていると思います。休場してハワイに行っていたとか、反社会的勢力の人たちとの付き合いで新聞に大きく書かれ問題になったこともあります。レコード歌手の第一号も私でした。
中でも一番の大事件は1965(昭和40)年ごろでしたか、ハワイなど海外巡業に行った時にピストルを持って帰ってきていた事件は、世間を大騒ぎさせたのです。ただし、これには私は関わっていないのですが。
初めは若羽黒(元大関)さんが捕まって、彼の口から大鵬さんも柏戸さんも持ってきたことが判明したのです。当代きっての人気力士のピストル不法所持は大問題となりました。
ハワイに行くとピストルはワイキキの店で簡単に買うことができるらしいです。隣に射撃場もついていて試射もさせてくれます。まるでゴルフみたいです。(大鵬さんは)横綱といってもまだ若造です。つい好奇心で買ってしまったのでしょう。
ハワイなどの税関もまさか力士が持ち帰るとは思いませんから、ほとんど荷物の取り調べはしませんでした。大鵬さんは手先が器用でしたから解体して額に収めていたらしいです。柏戸さんは始末に困って隅田川に捨てたと自白しています。警察が大勢で柏戸さんと川ざらいをしていました。とうとうピストルは出てきませんでした。
出羽海親方(元幕内出羽ノ花)に私は「おまえは大丈夫か」と聞かれました。飛び上がるくらいびっくりしました。実は私も持っていたのです。ウソはつけませんので、正直に白状しました。実は部屋に出入りしていたタニマチの女性にもらった物です。ある日、その女性が稽古と食事を終えて休んでいる自分に「私、フランスに旅行するけど、お土産は何がいい」と聞くので、ふざけてピストルと伝えましたが、本当に冗談のつもりでした。
10日ほどして、その女性が部屋にきて「ハイ、お土産」と言って、包みをくれました。昼寝して起きてから開けてみるとピストルだったのです。驚きました。本物を見るのは初めてです。2、3日は自分のたんすにしまっていましたが、不安になり九重親方(元横綱千代の山)に預けておりましたと、正直に出羽海親方に申し上げました。
出羽海親方はすぐに手を打ったようです。どのような手を打ったのかは知りません。根がバカで世間知らずでしたから、自分でピストルを買ったわけでもないのだから、これで一件落着と思い込んでいました。
のんきなもので私はかねて母が奈良の薬師寺に行きたい、父が京都の舞妓(まいこ)さんが見たいと言っていたので、関西方面に行きました。奈良では薬師寺の高田好胤(こういん)管主にも会うことができて、管主のお点前でお茶までいただき、色紙に「心」の一字とサインもいただきました。母はこれで死んでもいいと大喜びでした。私もやっと親孝行ができてうれしかったです。
それから京都に行き「吉田山荘」という立派な旅館に泊まります。テーブルの上に夕刊が置いていたので何げなく目を通していると、割合に大きく「北の富士に出頭命令」の見出し。私は慌てて新聞を隠しました。その夜はおいしい京料理を食べ、父と2人で舞妓さんを見に街に出ましたが、なかなか出会うことができずに帰ってきました。今なら何とかなるのですが、父は残念そうでした。
母は寝ずに待ってました。そして私に「おまえも大変だね。でも新聞は一部だけではないよ」と言ったのです。母は偉いとつくづく思いました。
翌日、帰京し出頭したのは言うまでもありません。しっかり脅されました。1、2時間で済むと甘い考えで行ったのですが、朝9時に出頭して夕方6時までしぼられました。取り調べの刑事さんは2人。一人は優しそうなおじさんで、もう一人は屈強な怖い顔をした刑事。ドラマと同じだなーとのんきにかまえていたら、その怖い方の刑事がいきなり大声で「オイ、北の富士、ここは下はこそドロから上は大臣まで泣くところだ」。気が弱いのでいっぺんに縮み上がりました。
そしておまけに「おまえは横綱になったら太刀持ちじゃなくピストルでも持たせるのか」。これにはムッとしました。隠さずに話したら早く帰してやると言われたので素直に話しました。取り調べが終わり部屋のマネジャーが迎えに来てくれた時はうれしかったです。二度と悪いことはしないと心に誓いました。
厳重注意でその後は何もありません。この件はすっかり忘れていましたが、5年ほど前の新聞を見ると瀬戸内寂聴さんのコラムが載っていたので読んでみました。読んでいると私が何十年も前に経験したようなことが書かれているのです。
書かれている内容を少し紹介します。話は化粧の素人離れした中年の美女についてであった…。
“その女性から(瀬戸内寂聴に)松本清張先生と女性のことを伝記にしてくれとの依頼があった。当然断ったのは言うまでもない。その後、その女性は清張先生を助け、大作家になった清張さんに礼を言われた”
この話だけでも十分面白いのに、私にピストルをくれた女性こそが、寂聴さんが書いた女性と同一人物だったのであります。その女性は寂聴さんも書いていますが、都内のホテルの女性社長で、私も何度か食事に行ってます。そういえば、ある時、清張さんが怖い顔で私をにらんでいたのを思い出します。
言っときますが、私とその女性は何もないのですから。私が21歳で、その女性は40を少し過ぎていたのではないかと思います。おばさんとしか見ていません。私に選ぶ権利があります。
私はこの新聞を大切に持っていたのは、いつか寂聴さんにお会いして、この話をしてみたいと思っていたからです。この女性はいったい何者だったのでしょう。すでに彼女は生きていないでしょう。清張さんも故人です。今では私と寂聴さんだけが知り得る怪しい話。どうして全く知らない人間が点と線で結び付くのでしょう。5年も前の新聞の切り抜きに執着する私は変でしょうか。ピストルが取り持った不思議な話でした。(元横綱)
◇ ◇
どうでしたか? 読者のみなさま、楽しんでいただけましたか。初日から、休場なしで千秋楽まで、北の富士さんには存分に暴れてもらいました。でも、まだ読みたいというあなたの気持ちに、北の富士さんが応えてくれました。「北の富士場所番外編」あす掲載です。
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