経済インサイド

東芝もやめてしまうのか 洗濯機メーカーは3〜4社に 「白物家電王国」の落日

日本の家電メーカーがどんどん少なくなっている。写真はパナソニックのななめドラム洗濯機。
日本の家電メーカーがどんどん少なくなっている。写真はパナソニックのななめドラム洗濯機。

利益水増し問題を契機に不採算事業の構造改革を進める東芝が、洗濯機や冷蔵庫などを取り扱う「白物家電」事業について、シャープとの統合や、他社への売却などを検討している。白物家電をめぐる日本企業の動きをみてみると、戦後の復興期に洗濯機市場を切り拓いた三洋電機が撤退。NECや富士通、三菱電機も自社生産を取りやめた。東芝が事業を手放せば、さらにメーカー数が減ることになり、かつての白物家電王国の落日をさらに印象づけそうだ。

白物家電事業のシャープとの統合などについて、東芝の室町正志社長は昨年12月21日の会見で「さまざまな選択肢が同時並行的に進んでいる」と述べた。関係者によると、両社の事業を統合して会社を設立し、原材料の調達力強化やコスト削減を進めるという構想があるという。

事業統合が実現するかに関わらず、東芝は白物家電事業を縮小する方針だ。同事業での人員削減は1800人。新興国で主流の「二槽式」洗濯機をつくるインドネシアの工場を閉鎖する。これに伴い、国内外で二槽式洗濯機の自社販売を終えるという。

国内の洗濯機大手はパナソニック、日立アプライアンス(日立製作所の子会社)、東芝ライフスタイル(東芝の子会社)、シャープの4社。東芝とシャープの事業統合が実現しても両社のブランドを維持する可能性はあるが、もし集約されれば、日本の洗濯機は、大手メーカーがさらに減ることになる。

昭和5年に国産初の電気洗濯機を発売したのは東芝。そして、日本の洗濯機の歴史は、三洋の創業者、井植(いうえ)歳男の存在を抜きにして語れない。松下電器産業(現パナソニック)創業者、松下幸之助の義弟だった井植は、松下電器で働いた後、昭和22年に三洋を設立。洗濯機はまだ一般家庭に普及しておらず、家族の多い世帯ほど、主婦の負担は大きかった。井植は27年、「ひとつ奥さん方を喜ばそか」と、新型洗濯機の開発に乗り出した。

井植は滋賀工場(大津市)に国内外の製品を取り寄せて試作や研究を進めた。その没頭ぶりは激しく、三洋では「社長室が水浸しになっていた」という逸話が伝わる。それまで主流だったのは、槽内の羽根で洗濯物を左右に半回転させて洗う「撹拌(かくはん)式」だったが、モーターで水流を起こし、その中で衣類を泳がせるように洗う「噴流式」を採用。角型で場所を取らず、布地の傷みも少ない新型を発売したのは28年。価格は2万8500円で、他社製品の半値近かった。

新型洗濯機は大ヒット。それまで市場全体で1000台を超える程度だったのに、発売から1年で月産1万台を達成した。

その後も、給水やすすぎ時に水を止め忘れないようにブザーを付けた二槽式、大幅な軽量化を実現した「流体バランス方式」など、三洋はその後も画期的な商品を投入。さまざまな機能を付与していくことに長けている日本メーカーは、洗濯機が全自動化する中で世界市場をリードした。円筒状の洗濯槽を回転させて叩き洗いする「ドラム式」をめぐっては、縦型に比べて使う水の量が少なく、衣類が傷みにくい「斜めドラム式」をパナソニックが開発した。

しかし、NECや富士通がバブル経済崩壊後に白物家電事業をやめ、三菱電機は平成20年に自社生産から撤退。同じ年、多角化や巨額投資の失敗で経営危機に陥った三洋はパナソニックに買収され、洗濯機などの白物家電事業は23年に中国のハイアールに売却された。日本の洗濯機メーカーに取って代わったのは、ハイアールや韓国のLG電子などだ。

規模を世界に拡大できず、価格競争で採算性が悪化した日本の家電は、洗濯機に限らず元気がない状況。東芝がシャープとの事業統合を模索しているのは、コストを削減して記憶用半導体など強みのある分野に経営資源を集中させ、業績を回復させたいからだ。経済合理性からみて、洗濯機など「もうからない」家電事業の縮小はやむを得ないという見方が正しいのかもしれない。それでも、家庭に直接、快適な暮らしを提供してきた日本の家電の存在感が低下していることに、一抹の寂しさを感じる人は多いに違いない。(高橋寛次)

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