- 出演者
- 千原せいじ(千原兄弟) 千原ジュニア(千原兄弟) 森泉 大野拓朗 泉ピン子 高橋克実
(オープニング)
オープニング
今夜はバルト三国で3人の日本人女性に出会う。歴史に翻弄されたこの国々に一体なぜ。
バルト三国に日本人女性
コーナーオープニング
ヘルシンキ ヴァンター国際空港に降り立った千原せいじ。フィンランドで日本人探しをすると思っていたせいじだが、空港で今回の旅先がバルト三国で、3人の日本人女性を探さなくてはいけないと知る。思わず、「3人はキツいって」とコメントした。
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- ヘルシンキ・ヴァンター国際空港
バルト三国に日本人女性
スタジオトーク
ゲストの泉ピン子と高橋克実を紹介。海外旅行が好きで南極以外はほぼ行ったと話すピン子。一方、高橋は「ほとんど日本から出たことない」とコメントした。
バルト三国に日本人女性
バルト三国に日本人女性
エストニアにいる日本人女性
エストニアのタリン港に到着したせいじ。タクシーで市街地に移動し、「クロイツヴァルトホテル」に宿泊して1日目を終えた。
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- クロイツヴァルトホテルタリン港
エストニアの首都・タリンの人口は約40万人。近隣国に占領されていた歴史を持ち、様々な文化が至るところに混在している。2日目をスタートさせたせいじは旧市街を調査。19世紀の建物やお土産物屋を見学し、サウナ用の帽子を発見した。
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- タリン(エストニア)
バルト三国に日本人女性
知られざる孤立の歴史
旧市街を散策していたせいじ。エストニアの国旗の意味を地元の人に聞き、青は空、黒は地面、白は自由を意味していることを知った。バルト三国の歴史をもっと知りたくなったせいじは人民戦線の博物館を見学。1989年8月に行われた人間の鎖など、バルト三国の武器を持たない独立運動を学んだ。
バルト三国に日本人女性
スタジオトーク
バルト三国に日本人女性
エストニアにいる日本人女性
エストニアの首都タリンのタタリという町で日本人探しを始めたせいじ。謎のビルに案内され、日本人女性はそこで働いているという情報を掴んだ。案内された部屋は音楽室。お目当ての日本人女性はそこでピアノを弾いていた。
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- タタリ(エストニア)
バルト三国に日本人女性
合唱指揮を学ぶ日本人女性 29歳
日本出発から36時間、お目当ての日本人女性・上田絢香さんに出会った。上田さんは現在、エストニア音楽アカデミーで合唱指揮者になるための勉強をしている。大学の寮で生活しているということで少し強引に寮へ案内してもらった。寮の部屋で話を聞き、上田さんの出身地が大分県であること、3歳からピアノを始め、自ら立ち上げた合唱団がフランスの大会でグランプリを獲得したことなどが明らかになった。
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- エストニア音楽アカデミー
バルト三国に日本人女性
合唱指揮を学ぶ日本人女性 29歳
自ら立ち上げた合唱団がフランスのコンクールでグランプリを獲得し、様々な仕事のオファーがくるなど順風満帆な合唱人生を送っていた上田絢香さん。しかし、指揮者になりたいという気持ちが芽生えてから合唱団とうまくいかなくなり、退団を余儀なくされる。このままではダメだと合唱指揮を学ぶ場を探し、世界的に有名な合唱指揮者、トヌ・カリユステに指導してもらおうと選んだのがリトアニアだったという。
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- トヌ・カリユステ
歌の国と言われているエストニアでは5年に一度、歌の広場で「歌と踊りの祭典」というイベントが開催され、3万人の歌い手と10万人の観客が集まる。上田さんは2013年8月にエストニアへ留学。憧れのトヌ・カリユステから直接合唱指揮を学び、生活の全てを合唱に捧げている。将来の夢について聞かれた上田さんは、「世界に名の知れた指揮者といったら小澤征爾さん。それくらい合唱指揮者といえばこの人となったら広まっていくかもしれない。だから知ってもらいたい」と力強く語った。
バルト三国に日本人女性
スタジオトーク
千原せいじがエストニアで取材した、合唱指揮を学んでいる日本人女性について、スタジオトーク。
バルト三国に日本人女性
国境を超え ラトビアへ
3日目次なる国ラトビアへ向かう。周辺国への移動はバスが一般的で便数も多く料金もやすい。移動中のバスの中には映画などが楽しめるタッチパネルや無料で飲める自動販売機などがある。EU圏内の車は行き来が自由。
バルト三国に日本人女性
ラトビアにいる日本人女性
ラトビアの首都リガに到着。1991年旧ソ連から独立を回復。旧市街地は中世の様々な建築様式があり、リガ歴史地区として世界遺産に登録。ガイド料金は1人1時間15ユーロ(約1900円)である。一番飲まれているのはビール。「ラディウンドラウギホテル」に宿泊。
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- ラディウンドラウギホテル聖ペテロ協会
翌日、日本人探しを再開。ラトビア人は花を愛する民族といわれ、ブーケを購入。二カ国目のラトビア、日本人女性はキープサラスに居る。200万人が手を繋いだ独立運動。日本出発から80時間、探していた日本人が住むマンションへ。パルト三国ラトビアのリガにいる日本人・田中愛子さんに出会うことができた。
田中愛子さんには長男のクリスくんと長女のティアちゃん、主人のオレグスさんと4人で暮らしている。
バルト三国に日本人女性
いくつもの偶然が重なり結婚
田中愛子さんがオレグスさんと知り合うきっかけは、独身時代に家族でバルト三国に旅行に来たのが最初のきっかけだと話した。その時にガイドをやっていたのがオレグスさんだという。オレグスさんは中学校から日本語文化学校に通っていたと話した。その後オレグスさんが日本の一橋大学への留学が決まっていて、たまたま田中さんの母親の職場の近所でそこから連絡を撮り合うようになったと話した。
2003年にオレグスさんはラトビアへ帰国、ラトビアで外務省に勤務、8000キロの遠距離恋愛。2006年にラトビアが東京に大使館を開くことを決め、年末に日本に外交官として行くことになり、2008年日本で結婚した。日本で2人の子どもを出産、2012年オレグスさんが外務省の辞令で帰国、一家でラトビアい移住してきたという。
バルト三国に日本人女性
スタジオトーク
千原ジュニアは「運命の歯車がまあ動かんわ」とスタジオコメント。