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荻野,雄 京都教育大学紀要 143 43-60, 2023-09-30
type:Departmental Bulletin Paper
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古荘 匡義 ミシェル・アンリ研究 13 (0), 37-43, 2023
...<br> キリストの言葉とアンリの生の哲学とが重ね合わされている「キリスト教の哲学」は、単にこの紐帯の理論的な解明ではなく、人間がこの紐帯を思い出し、この紐帯のうちで再び生きることを実現する実践的な思想になっていると考えられる。<br> したがって、「キリスト教の哲学」は、諸存在に何かを行うことを強いる哲学であり、アンリの考える「宗教」の基準を満たす哲学である。...
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荻野 雄 社藝堂 10 (0), 77-96, 2023
本稿は、近年再評価が進みつつあるジークフリート・クラカウアーの 1960年の作品『映画の理論』を、ジンメルの⽣の哲学を参照枠組にして読み直し、副題にも掲げられている「物理的現実の救済」とはいかなる事態を意味しているのかを明らかにする試みである。クラカウアーは、「⽡礫の散乱した世界」という近代批判の図式の中で映画を考察し、⼈間の「縮⼩した⾃我」に⽣の経験を回復させることに映画の使命を認めたのだった。
内田 賢太郎 東洋大学人間科学総合研究所紀要 = The Bulletin of the Institute of Human Sciences,Toyo University 24 133-151, 2022-03
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大木, 康充 大東法政論集 29 35-65, 2021-03-31
...大正期において、この文化主義をいち早く取り上げ、ベルクソン流の「生の哲学」の立場から鋭い批判を加え、生命「衝動」としての自我の「自由」と文化とを結びつける独自の「生命主義」的な文化主義を展開したのが在野の哲学者・野村隈畔である。...
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荻野,雄 京都教育大学紀要 138 43-58, 2021-03-31
朝倉 友海 フランス哲学・思想研究 25 (0), 186-190, 2020-09-01
黄 萍 ぷらくしす 21 1-14, 2020-03-31
広島大学応用倫理学プロジェクト研究センター研究成果報告書
黄 萍 HABITUS 24 55-74, 2020-03-20
This paper deals with Nietzsche Kenkyu, which developed a philosophy of life (die Philosophie des Lebens) that connects individuals to the essence of life (Leben). The significance of the philosophy …
松原 岳行 九州教育学会研究紀要 47 (0), 49-56, 2020
梅田 孝太 ミシェル・アンリ研究 10 (0), 49-59, 2020
Philosophy can be understood as caring for the soul. In certain Greco–Roman traditions, the methods and doctrines of some schools of philosophy were considered to be therapeutic. For instance, …
Lofts Steve G. 西田哲学会年報 16 (0), 98-124, 2020
...本稿で論じられるのは、カッシーラーと西田の企図 に共通する哲学的な意図が、西洋の形而上学的伝統の凝り固まった二元論の超克 にあること、またこのことは超越論哲学と生の哲学という、相反する二つの哲学 的見地を逆説的に統合することで成し遂げられるということである。本論はまず 彼らの哲学的な企てが持つこの逆説的な性格を、それぞれのベルクソン批判を検 討することによって明らかにする。...
LiSA 26 (12), 1212-1214, 2019-12-01
北見, 諭 神戸外大論叢 71 (2), 89-124, 2019-11-20
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衛藤 吉則 HABITUS 23 17-30, 2019-03-20
The current paper sought to clarify Rudolf Steiner’s educational thought as a “philosophy of life”, focusing on his understanding of Nietzsche’s thought. Nietzsche’s philosophy is generally regarded …
高艸 賢 社会学評論 69 (4), 468-484, 2019
...<br>1920 年代から30 年代初頭にかけての著作において,シュッツは生の哲学の着想に依拠しつつ,生成としての生を一方の極とし論理と概念を用いる科学を他方の極とする「両極対立」のモデルを採用していた.しかし体験の流れとの差分において科学を規定するという方法には,科学する生を積極的には特徴づけられないという困難があった.こうした状況でシュッツは生という概念の規定を見直し,生世界概念を導入したと解釈...
DOI Web Site Web Site 参考文献1件
前田 雅之 日本文学 65 (4), 2-12, 2016-04-10
...次に、芥川と同時代ヨーロッパで展開した生の哲学をハイデガーを中心に論じてみた。言うまでもなく、ハイデガーと芥川とは無関係である。だが、芥川は、存在の生起性に着目したハイデガーと実は近いところにいたのだ。それを最後に『羅生門』の読解で実践してみた。つまり、下人の存在が語り手の呪縛から解放されて生起する物語と捉えてみたのである。...
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鈴木, 章伯 関西大学東西学術研究所紀要 49 399-418, 2016-04-01
The publication of Eastern and Western cultures and their philosophies by Liang Shuming and the controversy over science and metaphysics which was instigated by Zhang Junmai are recognized as a …
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佐々木 正寿 哲学 2016 (67), 231-246, 2016
<p></p><p>Mit seiner Einstellung zur Lebensphilosophie versuchte Dilthey das Leben aus sich selbst her zu verstehen, und bei ihm wurde die Poesie, die ursprünglich dem Gefühl entspringt, vom …
伊藤 直樹 ディルタイ研究 2016 (27), 1-3, 2016
瀬戸口 昌也 ディルタイ研究 2016 (27), 34-49, 2016
藁科 智恵 宗教研究 89 (1), 27-52, 2015
二〇世紀初頭ドイツにおいて行われた「宗教的アプリオリ」という概念をめぐる議論は、多くの神学者、哲学者を惹き付けた。本稿では、ルドルフ・オットーの「宗教的アプリオリ」という概念をエルンスト・トレルチが展開した議論との対比において明らかにする。この概念における両者の共通点、相違点を明らかにすることにより、オットーが『カント・フリースの宗教哲学』『聖なるもの』において、当時取った態度、問題の解決方法の…
永井 晋 国際哲学研究 = Journal of International Philosophy 3 65-, 2014-03-31
居永 正宏 哲学 2012 (63), 135-154_L7, 2012
This paper is an essay in understanding death using the philosophy of Henri Bergson. It contains three parts. The first part is a reading of the critique of the idea of nothingness in <i>L'Evolution …
有田, 和臣 京都語文 18 153-173, 2011-11-26
...また西田の周辺にあって相互に密接な関係をもっていた、高村光太郎「緑色の太陽」、和辻哲郎『ニイチェ研究』、および阿部次郎の著作等に共通して見られる特質が、「生の哲学」や生命主義の萌芽期にあたる思潮とは区別される「大正生命主義」に属するものであることを例示し、とりわけ『善の研究』とあわせて「緑色の太陽」、『ニイチェ研究』が、その成立過程の探索に重要な鍵となる事実を指摘した。...
東渕, 則之, Tobuchi, Noriyuki 松山大学論集 23 (3), 247-292, 2011-08-01
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関根 正美 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 147 95-101, 2011-06-25
本稿は研究集録142号掲載の「西洋古典におけるスポーツ哲学」に続く内容であり,筆者のスポーツ哲学に関する研究計画の一部に位置づけられる。スポーツを哲学的に解釈した人物の言説を,H.レンクとの関係を視野に入れつつ論じる。今回はジーモン・モーザー,カール・アダム,ホセ・オルテガ・イ・ガセーを対象として取り挙げる。哲学とスポーツという一見すると無関係な現象に接点を見出した点で,三者ともにスポーツ哲学の…
権藤 愛順 日本研究 43 143-190, 2011-03-31
本稿では、明治期のわが国における感情移入美学の受容とその展開について、文学の場から論じることを目標とする。明治三一年(一八九八)~明治三二年(一八九九)に森鷗外によって翻訳されたフォルケルト(Johannes Volkelt 1848-1930)の『審美新説』は、その後の文壇の様々な分野に多大な影響を与えている。また、世紀転換期のドイツに留学した島村抱月が、明治三九年(一九〇六)すぐに日本の文壇…
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瀬口 昌久, SEGUCHI Masahisa 名古屋高等教育研究 11 67-82, 2011-03
...そして、筆者が専門とする古代哲学が、哲学や科学に関する学生たちの先入観を変更するような歴史的な視座を与え、対話の能力を活性化することによって、工学部の学生の哲学教育に寄与できる可能性を論じる。...
DOI 機関リポジトリ HANDLE ほか1件
中木 高夫, 谷津 裕子 日本看護研究学会雑誌 34 (5), 5_95-5_103, 2011
...さらに,そうした研究は,その理論的基盤をDiltheyからHusserl,Heidegger,Shütz,Gadamerに引き継がれてきた生の哲学や解釈学に置いていることが示唆された。...
DOI Web Site 医中誌 参考文献23件
兒玉, 幹夫 関東学院大学文学部紀要 120/121 (2), 71-89, 2010-12
...かつて19世紀末から20世紀初頭にかけて「生の哲学」が流行した。その先駆けをなしたギュイヨーに遡って元来「生」がいかなる概念として用いられたかをまず説明した。現代では、「共生」という言葉が頻繁に使用される。社会学史では「連帯」の概念が伝統的であった。そこで、次には、連帯論を代表するレオン・ブルジョアとデュルケムを取り上げて、その意義を明らかにした。...
岩佐壮四郎 関東学院大学文学部紀要 120/121 (1), 314-340, 2010-12
...本稿では、「美学と生の興味」(一九〇七・九~一〇)にみられる、新カント学派の先駆をなしたH・ロッツェの哲学及びその影響下に成立したいわゆる生の哲学及びリップスの感情移入理論の受容について検討した前稿を受けて、「囚はれたる文芸」(一九〇六・一)から始まり、「文芸上の自然主義」(一九〇八・一)「自然主義の価値」(一九〇八・五)に至る自然主義文学論について検討する。...
岩佐, 壮四郎 関東学院大学文学部紀要 119 265-310, 2010-07
...さらに、「生の哲学」から現象学に至る同時代ヨーロッパ哲学の文脈のなかに、日本自然主義文学の理論を位置づけることも、本稿の課題の一つといえる。...
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稲垣, 惠一 教養と教育 10 1-8, 2010-03
type:text
瀬戸口 昌也 ディルタイ研究 2010 (21), 37-53, 2010
Dieser Aufsatz betracht die begriffliche Eigentümlichkeit der „Phantasie“ bei Dilthey, den historischen Wandel dieses Begriffes in seinen Werken und beschäftigt dann sich mit dem Problem der Genese …
丸山, 良治 天理大学学報 19 (1), 1-15, 2009-03-01
type:論文
富永, 真琴 山形大学紀要. 医学 : 山形医学 = Bulletin of the Yamagata University. Medical science : Yamagata medical journal 27 (1), 1-10, 2009-02-16
論文(Article)
機関リポジトリ Web Site 医中誌
青地, 伯水 京都府立大学学術報告. 人文・社会 60 1-11, 2008-12-01
論文
鈴木 貞美 日本研究 38 315-348, 2008-09-30
和辻哲郎(一八八九―一九六〇)の『ニイチェ研究』(一九一三)は、彼の哲学者としての出発点をなす書物であり、同時に、日本における初めてのまとまったフリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Willhelm Nietzsche, 1844-1900)の研究書として知られている。また、そこに示された考え方は、その後の彼の歩みに、かなりの意味をもつものとなった。 …
小林 睦 Artes liberales 82 1-16, 2008-07-07
...これまで,ハイデガーと生の哲学との関係については多くの議論がなされてきたが,彼の哲学と生物学との関わりについては,あまり語られることがなかったように思われるからである。 ...
星野 太 表象文化論研究 6 62-81, 2008-03-15
DOI HANDLE Web Site ほか1件
川本 格子 社会学評論 58 (4), 540-556, 2008
Im Essay „Weibliche Kultur“ erklärt Sinmel, dass unsere moderne Kultur durchaus männlich sei, weil sie mit dem männlichen Wesen verwandt sei. Weil das weibliche Wesen einheitlich, in sich ruhend …
DOI Web Site 参考文献2件
有田, 和臣 文学部論集 91 1-12, 2007-03-01
...生の哲学...
檜垣 立哉 西田哲学会年報 4 (0), 39-54, 2007
檜垣 立哉 年報人間科学 27 1-14, 2006-03-31
...1)空間性や身体という問題系は、いわゆる〈生の哲学〉のなかでは基本的に、経験の直接性に対する阻害要因として否定的に扱われてきた。それは、〈生の哲学〉とパラレルな視点をもつ現象学においても同様であった。にもかかわらず、〈生の哲学〉は、根源的な時間性として提示される経験そのものの自己展開のためには、空間としての外延性を論じないわけにはいかない。...
DOI HANDLE
清水 正嗣 日本口腔腫瘍学会誌 18 (3), 55-63, 2006
In this Part III Generalities, three important topics were described among clinical researches mainly focused on oral tumor and cancer so far performed during the past 38 years from 1965 to 2003 in …
渡邊 二郎 シェリング年報 13 (0), 49-, 2005
Die Transcendentalphilosophie, über die Fr. Schlegel im Jahre 1800/01 in Jena Vorlesungen gehalten hat, zielt darauf ab, den ganzen Menschen, dessen Bewußtsein wesensmäßig in der Sehnsucht nach dem …
酒田 健一 シェリング年報 13 (0), 39-, 2005
Alles in der Schöpfung des Lebens, das ewig nur werden, nie vollendet sein kann, mit einem Begriff der Enzyklopädie zu umfassen und genetisch zu charakterisieren, ist seit der Zeit der Jenaer …
増渕 幸男 教育哲学研究 2004 (89), 126-137, 2004-05-10
...さらに、西谷の論稿「田辺先生最晩年の思想」には、田辺の『哲学と詩と宗教』が取り上げられ、田辺がヘルダーリン批判を展開する中で、生の哲学に基づく民族主義的傾向が明らかにされていて、それがハイデガーの重視する民族的土着性への批判を意図していたと教えている。...
若松 司 人文地理学会大会 研究発表要旨 2004 (0), 4-4, 2004
...ジンメルの風景論とそれを基礎づけている生の哲学の再解釈を通して,「景観」と区別される「風景」概念を提示し,landscape研究のオルタナティブを模索することである。 G. ジンメルはその風景論において,風景を眺めるという体験には,分析的に区別可能な二つの側面があると述べている。一つは,経験や感情の歴史的社会的に規定された形式という側面である。...
奥谷, 浩一 札幌学院大学人文学会紀要 = Journal of the Society of Humanities 68 45-70, 2000-09-30
type:Bulletin
伴 義孝 人体科学 9 (1), 1-10, 2000
瀬戸口, 昌也 別府大学紀要 41 105-122, 1999-12
岸 信行 人間教育の探究 9 (0), 121-127, 1997-03-31
的場, 哲朗, Matoba, Tetsuro 白鴎女子短大論集 21 (2), 63-79, 1997-03-01
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齋藤 智志 ディルタイ研究 1994 (7), 18-36, 1994
資料形態 : テキストデータ プレーンテキスト
小谷 晴勇 哲学 1990 (40), 177-186, 1990-04-01
記事分類: 哲学・心理学・宗教--哲学・思想--西洋
浅田 淳一 哲學年報 49 333-365, 1990-03-30
...序 / 第一章 努力の哲学から第三の生の哲学へ / 第二章 『人間学新論』に於ける三つの生の概念 / 第三章 ルソーに於ける感情の重層性について / 第四章 欲求することと意志すること / 第五章 欲望の理論と恩寵の理論について / 成果と展望...
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長谷川 哲哉 美術教育学:美術科教育学会誌 7 (0), 5-16, 1985
岸 信行 日本教育学会大會研究発表要項 41 (0), 130-, 1982
高橋, 和義 哲学論集 (8) 22-37, 1979-10-25
宮野 安治 大阪教育大学紀要 第IV部門 教育科学 26 (3), 133-144, 1978-03-31
type:Article
関根 靖光 哲学 1977 (27), 160-171, 1977-05-01
...具体的には昭和六年二、三月発表の『私の絶対無の自覚的限定といふもの』から昭和七年一〇月の『生の哲学について』にかけての諸論文、講演をさすのであるが、その間西田は、自身真実在の根本論理と呼び、昭和五年『一般者の自覚的体系』という形で一応体系化した自覚の論理のノエシス方向を徹底究明し、「永遠の今」という時間論的解明を経て、自覚の論理の対話的構造の剔出に成功するのである。...
波多江 忠彦 哲学論文集 9 95-110, 1973-09-30
佐伯 守 哲学 1970 (20), 148-160, 1970
片山 寿昭 同志社法學 12 (5), 197-215, 1961-02-01
論説
石坂 巌 三田学会雑誌 53 (10/11), 940(128)-949(137), 1960-11
近松, 良之 西京大學學術報告. 人文 1 126-173, 1952-02-20
...専ら,生の哲学におけるジムメルが,取上げられる。詳細は,序文において自ら明かであるが,問題の焦點は,一,ジムメルにおける創造的エモーション乃至ヴイジョンにふれつつ,而も,其處からして,非體系的な彼の所説を,能ふ限りの範圍において,整理すること。二,精神・生・實存なるプログラムにおけるジムメルの位置を,「實存」への聯りにおいて,定着させる事。...
石川 興二 經濟論叢 42 (6), 1000-1019, 1936-06-01
栗林, 茂 哲學 9 171-190, 1932-04