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検索結果 70 件

  • 1 / 1

  • 「キリスト教の哲学」の宗教性

    古荘 匡義 ミシェル・アンリ研究 13 (0), 37-43, 2023

    ...<br>  キリストの言葉とアンリの生の哲学とが重ね合わされている「キリスト教の哲学」は、単にこの紐帯の理論的な解明ではなく、人間がこの紐帯を思い出し、この紐帯のうちで再び生きることを実現する実践的な思想になっていると考えられる。<br>  したがって、「キリスト教の哲学」は、諸存在に何かを行うことを強いる哲学であり、アンリの考える「宗教」の基準を満たす哲学である。...

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  • 映画はなぜ「物理的現実の救済」なのか?

    荻野 雄 社藝堂 10 (0), 77-96, 2023

    本稿は、近年再評価が進みつつあるジークフリート・クラカウアーの 1960年の作品『映画の理論』を、ジンメルの⽣の哲学を参照枠組にして読み直し、副題にも掲げられている「物理的現実の救済」とはいかなる事態を意味しているのかを明らかにする試みである。クラカウアーは、「⽡礫の散乱した世界」という近代批判の図式の中で映画を考察し、⼈間の「縮⼩した⾃我」に⽣の経験を回復させることに映画の使命を認めたのだった。

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  • 生のセラピーとしての哲学

    梅田 孝太 ミシェル・アンリ研究 10 (0), 49-59, 2020

       Philosophy can be understood as caring for the soul. In certain Greco–Roman traditions, the methods and doctrines of some schools of philosophy were considered to be therapeutic. For instance, …

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  • エルンスト・カッシーラー(1874‒1945)と 西田幾多郎(1870‒1945)の対話に向けて Steve

    Lofts Steve G. 西田哲学会年報 16 (0), 98-124, 2020

    ...本稿で論じられるのは、カッシーラーと西田の企図 に共通する哲学的な意図が、西洋の形而上学的伝統の凝り固まった二元論の超克 にあること、またこのことは超越論哲学と生の哲学という、相反する二つの哲学 的見地を逆説的に統合することで成し遂げられるということである。本論はまず 彼らの哲学的な企てが持つこの逆説的な性格を、それぞれのベルクソン批判を検 討することによって明らかにする。...

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  • アルフレート・シュッツの社会科学の基礎づけに おける生世界概念の導入の契機と意義

    高艸 賢 社会学評論 69 (4), 468-484, 2019

    ...<br>1920 年代から30 年代初頭にかけての著作において,シュッツは生の哲学の着想に依拠しつつ,生成としての生を一方の極とし論理と概念を用いる科学を他方の極とする「両極対立」のモデルを採用していた.しかし体験の流れとの差分において科学を規定するという方法には,科学する生を積極的には特徴づけられないという困難があった.こうした状況でシュッツは生という概念の規定を見直し,生世界概念を導入したと解釈...

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  • 『羅生門』――存在の物語

    前田 雅之 日本文学 65 (4), 2-12, 2016-04-10

    ...次に、芥川と同時代ヨーロッパで展開した生の哲学をハイデガーを中心に論じてみた。言うまでもなく、ハイデガーと芥川とは無関係である。だが、芥川は、存在の生起性に着目したハイデガーと実は近いところにいたのだ。それを最後に『羅生門』の読解で実践してみた。つまり、下人の存在が語り手の呪縛から解放されて生起する物語と捉えてみたのである。...

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  • 生の哲学》と《写生》の思想

    佐々木 正寿 哲学 2016 (67), 231-246, 2016

    <p></p><p>Mit seiner Einstellung zur Lebensphilosophie versuchte Dilthey das Leben aus sich selbst her zu verstehen, und bei ihm wurde die Poesie, die ursprünglich dem Gefühl entspringt, vom …

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  • R・オットーにおける「宗教的アプリオリ」理解 : トレルチとの対比において

    藁科 智恵 宗教研究 89 (1), 27-52, 2015

    二〇世紀初頭ドイツにおいて行われた「宗教的アプリオリ」という概念をめぐる議論は、多くの神学者、哲学者を惹き付けた。本稿では、ルドルフ・オットーの「宗教的アプリオリ」という概念をエルンスト・トレルチが展開した議論との対比において明らかにする。この概念における両者の共通点、相違点を明らかにすることにより、オットーが『カント・フリースの宗教哲学』『聖なるもの』において、当時取った態度、問題の解決方法の…

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  • 「生きている私の死」と死後に残るもの

    居永 正宏 哲学 2012 (63), 135-154_L7, 2012

    This paper is an essay in understanding death using the philosophy of Henri Bergson. It contains three parts. The first part is a reading of the critique of the idea of nothingness in <i>L'Evolution …

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  • スポーツ哲学の先駆者たち(1)

    関根 正美 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 147 95-101, 2011-06-25

    本稿は研究集録142号掲載の「西洋古典におけるスポーツ哲学」に続く内容であり,筆者のスポーツ哲学に関する研究計画の一部に位置づけられる。スポーツを哲学的に解釈した人物の言説を,H.レンクとの関係を視野に入れつつ論じる。今回はジーモン・モーザー,カール・アダム,ホセ・オルテガ・イ・ガセーを対象として取り挙げる。哲学とスポーツという一見すると無関係な現象に接点を見出した点で,三者ともにスポーツ哲学の…

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  • 工学を専攻する学生のための哲学教育

    瀬口 昌久, SEGUCHI Masahisa 名古屋高等教育研究 11 67-82, 2011-03

    ...そして、筆者が専門とする古代哲学が、哲学や科学に関する学生たちの先入観を変更するような歴史的な視座を与え、対話の能力を活性化することによって、工学部の学生の哲学教育に寄与できる可能性を論じる。...

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  • 質的研究の基礎としての《体験》の意味

    中木 高夫, 谷津 裕子 日本看護研究学会雑誌 34 (5), 5_95-5_103, 2011

    ...さらに,そうした研究は,その理論的基盤をDiltheyからHusserl,Heidegger,Shütz,Gadamerに引き継がれてきた生の哲学や解釈学に置いていることが示唆された。...

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  • 生・連帯・包摂||セイ・レンタイ・ホウセツ

    兒玉, 幹夫 関東学院大学文学部紀要 120/121 (2), 71-89, 2010-12

    ...かつて19世紀末から20世紀初頭にかけて「生の哲学」が流行した。その先駆けをなしたギュイヨーに遡って元来「生」がいかなる概念として用いられたかをまず説明した。現代では、「共生」という言葉が頻繁に使用される。社会学史では「連帯」の概念が伝統的であった。そこで、次には、連帯論を代表するレオン・ブルジョアとデュルケムを取り上げて、その意義を明らかにした。...

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  • 島村抱月「情」の美学の構想(三)||シマムラ ホウゲツ 「ジョウ」 ノ ビガク ノ コウソウ (3)

    岩佐壮四郎 関東学院大学文学部紀要 120/121 (1), 314-340, 2010-12

    ...本稿では、「美学と生の興味」(一九〇七・九~一〇)にみられる、新カント学派の先駆をなしたH・ロッツェの哲学及びその影響下に成立したいわゆる生の哲学及びリップスの感情移入理論の受容について検討した前稿を受けて、「囚はれたる文芸」(一九〇六・一)から始まり、「文芸上の自然主義」(一九〇八・一)「自然主義の価値」(一九〇八・五)に至る自然主義文学論について検討する。...

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  • 想像力の根源

    瀬戸口 昌也 ディルタイ研究 2010 (21), 37-53, 2010

    Dieser Aufsatz betracht die begriffliche Eigentümlichkeit der „Phantasie“ bei Dilthey, den historischen Wandel dieses Begriffes in seinen Werken und beschäftigt dann sich mit dem Problem der Genese …

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  • 生の哲学〉における身体・空間論の展開

    檜垣 立哉 年報人間科学 27 1-14, 2006-03-31

    ...1)空間性や身体という問題系は、いわゆる〈生の哲学〉のなかでは基本的に、経験の直接性に対する阻害要因として否定的に扱われてきた。それは、〈生の哲学〉とパラレルな視点をもつ現象学においても同様であった。にもかかわらず、〈生の哲学〉は、根源的な時間性として提示される経験そのものの自己展開のためには、空間としての外延性を論じないわけにはいかない。...

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  • 何のための教育哲学研究だったのか

    増渕 幸男 教育哲学研究 2004 (89), 126-137, 2004-05-10

    ...さらに、西谷の論稿「田辺先生最晩年の思想」には、田辺の『哲学と詩と宗教』が取り上げられ、田辺がヘルダーリン批判を展開する中で、生の哲学に基づく民族主義的傾向が明らかにされていて、それがハイデガーの重視する民族的土着性への批判を意図していたと教えている。...

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  • 「風景」と「景観」の理論的区別の検討

    若松 司 人文地理学会大会 研究発表要旨 2004 (0), 4-4, 2004

    ...ジンメルの風景論とそれを基礎づけている生の哲学の再解釈を通して,「景観」と区別される「風景」概念を提示し,landscape研究のオルタナティブを模索することである。 G. ジンメルはその風景論において,風景を眺めるという体験には,分析的に区別可能な二つの側面があると述べている。一つは,経験や感情の歴史的社会的に規定された形式という側面である。...

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  • 西田哲学と否定的弁証法

    関根 靖光 哲学 1977 (27), 160-171, 1977-05-01

    ...具体的には昭和六年二、三月発表の『私の絶対無の自覚的限定といふもの』から昭和七年一〇月の『生の哲学について』にかけての諸論文、講演をさすのであるが、その間西田は、自身真実在の根本論理と呼び、昭和五年『一般者の自覚的体系』という形で一応体系化した自覚の論理のノエシス方向を徹底究明し、「永遠の今」という時間論的解明を経て、自覚の論理の対話的構造の剔出に成功するのである。...

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  • <人文学報>ジムメル考 : 特に生の哲学における

    近松, 良之 西京大學學術報告. 人文 1 126-173, 1952-02-20

    ...専ら,生の哲学におけるジムメルが,取上げられる。詳細は,序文において自ら明かであるが,問題の焦點は,一,ジムメルにおける創造的エモーション乃至ヴイジョンにふれつつ,而も,其處からして,非體系的な彼の所説を,能ふ限りの範圍において,整理すること。二,精神・生・實存なるプログラムにおけるジムメルの位置を,「實存」への聯りにおいて,定着させる事。...

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