特別編「記者 現場に行く」 第1回「アワジシティー」その1
(7月12日)
未来面に寄せられた読者からのアイデアは、2020年までに実現できるのだろうか。それとも絵に描いたもちなのか。記者はその可能性を探るべく、アイデアの舞台となった現場に向かうことにした。
第1回は兵庫県淡路島。「世界一、『世界人』の多い国、日本へ」(5月17日の日経新聞朝刊)で紹介した俵昭彦さん(67歳)の「アワジシティー」がその舞台だ。渦潮などの観光資源を生かしながら島全体を特別保税地域にして海外からビジネスパーソンや観光客を呼び込もうとするアイデアだ。
記者にとって、読者のアイデアが出発点となる取材は初めての経験。まずは、どこに取材を申し込めばいいのか。手探りのスタートとなった。
勝手の違う取材に戸惑う
やはり地元のことを知るには行政(市役所)だと考えて淡路市役所に早速、電話。市役所の企画部で広報を担当する野田勝(課長補佐兼広報公聴係長)さんと電話がつながった。
通常の取材だと、記者の問題意識を対応窓口となる広報に伝え、そのことに詳しい人を紹介してもらったり、取材したい人に直接取材を申し込んだりするが、今回は勝手が違う。取材の起点は読者のアイデアだ。まずは、そのことを野田さんに伝えなくてはならない。
「日経新聞にこの春から読者の皆さんから日本をよくするためのアイデアを募集する『未来面』というのができたのをご存じですか?」。
しばし沈黙。未来面は3月から始まったばかり。悔しいが知名度は高くない。「では、日経新聞で『アワジシティー』という記事をお読みになったことはありますか」――再び沈黙。
未来面の趣旨を説明し、俵さんのアイデアを伝えたが、どうもピンと来ていない様子。記事を野田さんにファクスして少しは理解してもらったようにも思えたが、それでもまだこちらの取材趣旨は伝わっていなかったようだった。
淡路島に赴き、趣旨を直接伝える
そこで、記者は普段の取材と同様の行動に打って出た。「野田さん、明日の午後、お時間ありますか。直接お会いして説明させて下さい」。そして6月下旬、記者は雨が降る淡路島に立っていた。
迎えて下さったのは前日、電話でやりとりした野田さん。
市役所2階のソファで"取材"は始まった。野田さんは上司らしき人と一緒だった。名刺を見ると、企画部企画総務課国際交流課課長という少し長い肩書。名前は山田一夫さん。企画部というからには俵さんのアイデアをくみ取ってくれるかもしれないと一縷(る)の望みを抱く。
改めて、俵さんのアイデアが載った新聞のコピーをお見せして、取材の趣旨を説明。だが、山田さんも取材の趣旨を飲み込めなかったように思えた。「やっぱり、読者のアイデアから取材をするのは難しいし、アイデアの実現可能性が低いのかなあ」と、記者は弱気になっていた。
ただ、山田さんがこのアイデアを何度も読み返しているように見えたので、「感想くらいは聞けるかもしれない」と思った。その山田さんがテーブルの上に置かれた新聞のコピーから目を離し、記者に向かい、こう語り始めた。
「淡路島は日本の中心」という誇り
「淡路島には日本標準時子午線(東経135度の経線)が走ってるのをご存じですか。淡路島は日本の真ん中なんですよね。だから本当はもっと人が来てくれてもいいんですよ。我々も、もっと淡路島をPRしたいのです」と、身を乗り出してきた。
記者はここが勝負どころと見て、2人に「未来面のアイデアが実現できるのか、この目で淡路島を取材したいのですが、力を貸して下さいますか」と頭を下げた。
すると、山田さんから思いも寄らぬ言葉が飛び出した。「吹き戻しを知ってますか。吹き戻しでギネスブックの公認記録があるのです」。
なんと、淡路島には既に世界に誇る記録があったのだ。吹き戻しは、ストローに息を吹きこんで巻いた紙が飛び出したり引っ込んだりして遊ぶおもちゃだ。
2009年秋、観光客や地元の人たちが765人が参加して10秒間、いっせいに吹き戻しを吹いた記録がギネスに公認されていることを説明してくれた。
俵さんのアイデアには吹き戻しのことは書いてなかったが、淡路島の観光資源の1つに違いない。いろいろと市役所の2人に聞けば俵さんのアイデアに沿うモノがあるかもしれない。
国際博覧会やW杯のキャンプ地招致の実績も
ただ、関係者のところに取材に行くにしてもアポなしでは無理だろう。しかも、市役所を訪れた日は雨が降っており、写真撮影には不向きだ。出直したほうがいいと思い、2人に再取材のお願いをして市役所を後にした。
ここで俵さんのアイデアをもう一度、確認しておこう。
俵さんはアワジシティーに必要なインフラや施設として国際会議場、ホテル、競技場、ゴルフ場、遊園地、水族館や環境に優しい蓄電池式路面電車などを挙げていた。また渦潮などの観光資源も盛り込んでいる。一見するとかつての「箱もの」行政になりかねない恐れもある。
ただ、既に国際会議場やホテルなどは2000年に開いたジャパンフローラ(花と緑の国際博覧会)に併せて整備された。しかも、02年のサッカーワールドカップ日韓大会ではベッカムやオーウェンで知られるイングランド代表がキャンプ地として利用していた。決してアワジシティーはゼロからのスタートではない。この時点で記者の個人的なアワジシティーの実現性の見立ては、「脈あり」になっていた。
「小さな地域、知恵次第で活性化可能」
今回の取材の成果(?)を海外在住の俵さんにメールで伝えた。するとすぐに返事が来た。俵さんは海外駐在が25年にもなる人で、現在はアブダビに住んでいる。俵さんは兵庫県の出身で、メールにはこう書かれていた。「私は、1970年からシンガポールに延べ6年、ここ9年はアラブ首長国連邦(UAE)にいて、いかに小さな区域でも知恵を出せば目覚ましい開発と活性化が可能であることをつぶさに見てきました。(中略)。兵庫県出身者の一人としてなんらかの形で島の開発に関与できれば、老い先短くとも望外の幸せと考えています」。実は記者の両親も兵庫県出身。何かの縁かもしれない。そんな気持ちで再び淡路島を訪れることにした。
(編集委員 田中陽)
=次回は7月下旬に掲載します。