(前回から読む)
マツダの前田育男さん(常務執行役員・デザイン・ブランドスタイル担当)へのインタビュー、3回目です。
2009年前田さんが「近未来に、マツダをブランドとして成立させる。そのためにはブランドとしての様式を確立しなくては」と考えて、用意したのが、ビジョンモデル「SHINARI」と「魂動デザイン」という言葉だった。
ところが、SHINARIの完成と同じタイミング、2010年の8月に前田さんは「第6世代」の試作車に乗って「ここまでのクルマを我々は造れるようになっていたのか」と驚き、「これだけの実力があるなら、外観も魂動デザイン、SHINARIであるべきだ」と確信した。
しかし、この時点で第6世代のデザインはすでに確定し、2012年の量産に向けて開発は最終段階に入ろうとしていた――。
編集Y:さて、とはいえ、2012年から出てきたCX-5、そしてアテンザ(3代目)を見ている私たちからすれば、「魂動デザイン」では「ない」アテンザのデザインで開発が進んでいた、ということ自体がもはや信じがたいわけですが。
前田育男マツダ常務(以下、前田):でも、そうだったんです。実は僕がアテンザ(3代目、以下特記なき限り「アテンザ」は3代目アテンザを指す)のチーフデザイナーだったんですから。上にローレンス(フォードから来ていたグローバルデザイン本部長、ローレンス・ヴァン・デン・アッカー氏)がいて。
編集Y:実はこんな画像を入手しました。
実は外観は大きく変わらないはずだった
マツダ広報M氏:これは、SHINARIの裏で進められていた、もともとの3代目アテンザのクレイモデルですね。
編集Y:デザインのトップは前田さんに移っていて、でも、まだ「SHINARIショック」を受ける前のもの……ですね?
広報M氏:そうです。
前田:ああ、懐かしい。これはでも、もうだいぶ手が入ってきれいになった時点の写真かな。
編集Y:最初はどんな感じだったんでしょうか。
前田:もっとサイドに線が多い、「NAGARE」調のものでした。
前田:Aピラー(フロントウィンドウを支える柱)の位置も、これよりはもう、ずいぶん前にあって。
編集Y:とすると、力感よりも「フロー」、NAGAREデザインの、流麗さに振った感じの。
前田:(最大市場の)ヨーロッパにフルサイズモデルを持っていって、現地で私とローレンスで確認したりもしているんです。
編集Y:社内の皆さんの感想はどうだったんですか。
前田:「ああ、まあ、そりゃそうなるよね」という感じですね。「2代目のアテンザの進化版だね」と。
編集Y:なるほど。それだと何か困るんでしょうか。
前田:「それはそうだよね」と思うということは、見る側の想定を超えていない、ということです。だから「ワオ!」がない。言い換えれば、チャレンジが存在しない。
編集Y:ちょっと横道ですけれど、先代のデミオ(3代目)。前田さんのデザインでしたよね。あれはすごくキュートだったじゃないですか。ローレンスさんの下でもああいうデザインが出ていたというならば……。
前田:あの車自体はローレンスの着任前(の開発)だったんです。
編集Y:あ、そうなるか、(ローレンス氏は)2006年着任。3代目デミオは2007年発売ですから、とっくにデザインは出来上がっちゃっているわけですね。
前田:そう、だからあれはあれで結構自由にやらせてもらったんです。オリジナルは。そして、途中でマイナーチェンジ(MC)をやったとき(2011年)にローレンスと相当議論をして、NAGAREの考え方の一部を取り入れた。
編集Y:前田さんの本(『デザインが日本を変える 日本人の美意識を取り戻す』光文社新書)を読むと、相当いやいや取り入れたわけですね。
前田:いやいや(笑)。
「NAGAREデザインのアテンザ」がもし世に出れば
編集Y:そう言われると、MCのあとはNAGAREデザインの文法が表れていることが分かる。にやりと猫が笑うような顔になってますね。……あれ? ということは、前田さんが「魂動」を出してくるまでは、第6世代は全車種、こういうローレンスさん指揮によるデザインで進んでいた、そういうことですか。
前田:次世代のデザインで何を表現するかといったら、先ほど言われた「NAGARE」フォルムを入れることが最優先だった。チャレンジとしてはね。(デザイン部門の)ボスの想いが強かったわけです。
だから骨格に――我々はそう呼ぶんですけどね、骨格にメスを入れ、デザインを改革する、という意思を我々からは全然表明していませんでした。自分も含め、デザイナーもその意識が乏しかったので、エンジニアも「デザインが大きく変わる」とはまったく思っていなかったわけです。当たり前ですけど。
編集Y:ええと、言葉を選ばず言っちゃいますが、じゃあ、「中身がドラスチックに変わった割に、外見はそんなに変わってないね」という第6世代が登場するところだった、ということですか。
前田:う~ん、かも知れませんね。表現が難しいですが、骨格、つまりプロポーションという意味では、変化は大きくはなかったでしょうね。中味の進化レベルと比較しても。
編集Y:ひえー。
デザイン部隊、悪戦苦闘
編集Y:ところで、魂動デザインの外見上の特徴のひとつが、Aピラーを後ろに動かして、プロポーションの重心を後ろ寄りにして、「後ろ足で蹴って前進する」動物の躍動感、生命感を盛り込むことだと思うのですが、当時の資料を読むと、先ほどの1/1モデルの段階でも、「Aピラーを後ろに引く」デザインを意識されていたそうですね。三栄書房さんの『新型アテンザのすべて』に、こんな記述がありました。
南澤:Aピラーを後ろに引いて視界を改善したい。スカイアクティブ技術がそれを可能にしたんです。前車軸を50mm前に出しながら、エンジンを後傾させてフロントオーバーハングを切り詰める。FF車でありながら、FR車的にAピラーを引いたプロポーションを作れるぞ、と」
(中略・先の1/1モデルを「クリニック=一般消費者に見せて意見を聞くイベント」に掛けた評価をインタビュアーの千葉匠氏が聞く)
玉谷:悪くはないけれど、飛び抜けた部分もない。期待を超える魅力は表現できていない、という評価でした。
(玉谷=玉谷聡・チーフデザイナー・デザイン全体まとめ役 南澤=南澤正典・プロダクションデザインスタジオ・デザイナー・エクステリア担当)
【『新型アテンザのすべて』(三栄書房、2013年)より】
編集Y:しかし、それで造った先ほどの1/1モデルも、「これだ」という評価は得られなかった。
前田:すっきりはしましたが、基本的なところは変えてはいませんからね。
編集Y:当時の玉谷さんへのインタビューによると「すでにSHINARIの開発が始まっていたので、そのテーマを使って魅力を増すトライもしたけれどうまくいかなかった。SHINARIのテーマを使うのは諦めて、フロントフェンダーとショルダーラインのふたつの動きでダイナミズムを強化する。その方向でいったんはデザインをまとめたのですが……」と。それが、こちら。
編集Y:いったんSHINARIから離れたデザインも、それはそれできれいで魅力はあると思うのですが、どこが違うんだろう。発売されたアテンザの持つどきっとするような抑揚感、メリハリ、強い印象を与える要素が足りない、と思います。後付けだから素人でもなんとでも言えるわけですが。
前田:クルマの中身、パワートレインと、プラットフォームは変わっているけれども、タイヤの位置、ピラーの位置といった、そういうデザインをつかさどる、さっき申し上げた「骨格」をつかさどるところというのはキープだった。ほとんど何も変わってなかった。だってデザイン(部門)からそういうアプローチをしてないんですから。
編集Y:そんな中で10年8月末にSHINARIが発表されて、前田さんが「SHINARIの表現をアテンザに全面的に取り入れよう」と決断して、10月、経営陣に示したスケッチが、こちら。
編集Y:モデルとスケッチ、銀色と赤い色、の違いもあると思いますが、印象が一気に変わりました。この違いって、いったいどこから生まれるんですか。言い換えると何が変わらないと、このデザインにならないんでしょう。
前田:いろいろありますが、大きな要素はAピラーです。10cmぐらい後ろに動かすことになりました。
編集Y:10cm、100mm、運転席の方に窓の付け根が寄ってくる。となると……。
前田:当然、人が座る位置も動かさないとダメです。何が大変かって、人の座る位置を変えるのが一番大変なんですね。ヒップポイントというんですけど、人の座る位置を動かしたら、当然、ペダルの配置が動く。バルクヘッド(パワートレイン部と車室を区切る壁)もまた位置が変わる。
骨格まではいじれなかった初代CX-5
編集Y:言い換えると、NAGAREフォルムのクルマをSHINARIに変えるには、タイヤやピラーの位置といった、骨格から変えないとダメ、ということですか。
前田:本来はそうです。だから大変だった。実際、先行していた第6世代の1号車、SUVの「CX-5」ではもう手を入れる時間がなくて、ラインの表現などで精いっぱい調整しましたが、正直言って理想にはまだまだ遠い状態でした。
編集Y:たぶんお話しになりたくないところでしょうけれど、興味深いです。どのあたりを変えたのでしょうか。
前田:僕がデザイン部門のリーダーになったときには、もうだいたいCX-5の形は決まっていた状態だったので、まずは線を減らし、プレーンでシンプルな形にしました。顔までやり直したかな。
編集Y:NAGAREデザインのモチーフを外した。ほかには?
前田:分かりやすいところでいうと、「シグネチャーウイング」と呼んでいるのですが、フロントグリルからヘッドライトにかけて、金属のこういうブレードがちょっとこう付いているんですね。あれの追加、あとはフロントフェンダーの形を有機的にしているんだけど。もともとはいろいろなラインが入っていたのをきれいに整理をして、実はAピラーもちょっと引きました。これは人や発売時期を動かさない範囲、動かさなくて済む範囲で。
編集Y:できる限りのことを。
前田:できる限りで。とはいえ初代SUVであるCX-5は、マツダの中に比較する対象がありません。しかし、セダンであるアテンザには、みな「SHINARIの再現」を期待するでしょう。
編集Y:ああ、そうか。
前田:これは表面的な調整だけではどうしようもない。骨格からちゃんと「シナらせ」ないと。ところが骨格を変えるというのは、実はクルマ造りでは一番大変で、さっき言ったように人の座る位置から再調整することになってしまいます。
本当に理想を追求すれば、もちろん、タイヤの位置もエンジンの搭載位置も、もう何から何まで全部変えたいんです。でも、発売まで2年を切ったところで、車の基本から全部動かすわけにはさすがにいかない。最終的にどこまで動いて、どこが踏みとどまったかについては、資料を見直さないと正確には言えないんですけれど、開発スケジュールに相当なインパクトを与えないと、骨格まで直せないことは確かでした。
編集Y:となると、怒られますね。今になって何を言っているんだと。
前田:怒られました。めちゃくちゃ怒られました。会議で「出るところへ出ろ」と本当に言われました。当然だと思います。
編集Y:金井さんは、藤原さんと毛籠さんと前田さんを「だだっ子三人衆」とおっしゃっていました。
金井:CX‐5に続いて出たアテンザ(3代目)。最初は別のデザインで進んでいたんですけれど、10年にミラノで「魂動デザイン」を発表したときの、靭(シナリ、以下、正式名の「SHINARI」で表記)というコンセプトカーが、すごく評判がよかった。実際、かっこよかった。
そこで「アテンザ、もうちょっとシナらせたいよね」と、マツダの「だだっ子三人衆」が言い出した(笑)。
編集Y:だ、だだっ子三人衆。
金井:デザイナーの前田(育男氏、現常務)と、例の藤原(清志氏、現副社長)、そして毛籠(勝弘氏、現専務)。そりゃ無理だろうとこっちも最初怒ったけど、じゃあ、やるか、シナらせようとデザイナー陣をはじめ全員が頑張って、やり替えた。もちろん、その後の新世代車種群も一斉にシナらせることになりました。
【『マツダ 心を燃やす逆転の経営』269ページより】
「マジか、前田」
前田:藤原は「SHINARI」を見たときに、「これだね」と言ってくれた男です。金井さんも「かっこいい」と言ってくれていましたね。
そういうふうに思ってくれた方もたくさんいた一方で、「いいね」と思いながらも、「このタイミングで、開発中のアテンザをこのデザインに変える」インパクトのすごさは、実際の開発現場に近い連中の方がよく分かっているわけです。記憶で言いますが、ホイールベースは変えた覚えがないから、タイヤの位置は動いてないかもしれない。ただ、ピラーは動いているから、それにひも付いていろいろなものが動きました。
編集Y:しかも、アテンザだけでなく、2012年から登場するマツダの第6世代はすべてこのデザイン様式にそろえよう、という。
前田:「SHINARI」というクルマは、いわゆる一般的なコンセプトカーじゃない。ビジョンモデルと呼ぶ。これからのワンジェネレーション(=第6世代)は、このクルマの骨格、フォルムの構成でいきますよと。
「SHINARI」を見せながら、みんなにそう宣言したんだけれども、CX-5はもう間に合わないとして、1発目のアテンザが一番被害がでかい。「お前は、もうちょっとで輸出の段取りも始めようかというタイミングで、マジか」みたいな、そんな感覚。
編集Y:我々出版社でいったら、じゃあ、本を刷り始めるよという頃に「内容、全部書き換えるから」みたいな話ですからね。
前田:「タイトルも変える。当然表紙も変更だ」と。協力してねと言ったって、誰もしてくれなくないですか。
編集Y:してくれないですよ(笑)。
前田:ですよね。それに近い。
編集Y:いや、本はできますがクルマはそうはいかないでしょう。でも前田さんは会議で「変えます、半年ください」と言ったとか。
前田:そうしたら初めは金井さんから「3カ月でやれ」と言われたんです。ムリだと思ったし、金井さんもおそらくムリだと分かっていたと思う。でもそこで「どうしても半年」と言ったら、「じゃ、やめろ、変更するな」と言われるか、僕の首が飛ぶかのどっちかだと思ったので「分かりました」と。3カ月でできるわけがないのは最初から分かっていた。一番頑張って半年かなと思ったんだけど、結果もうちょっといっているんじゃないかな。僕の中では「正直、10カ月だな」と思いました。
編集Y:ははあ、CX-5が出たのが2月でアテンザが11月で、外から見ていると「そういう計画だったのかな」と思うんですけど、実際には、CX-5から間を置かずにアテンザが追い掛ける感じだったんですか。
前田:という感じだったはずです。
編集Y:とはいえCX-5が大ヒットしたので、アテンザは「満を持して魂動デザインの本尊登場」みたいな流れになりましたね。
前田:大変幸運なことに。そして、ここで「SHINARI」をきちんと量産車として表現できたことは、マツダが「変わった」という印象を打ち出す上で、大きな意味があったのではないかと思います。
編集Y:ちなみに、2011年の東京モーターショーで「雄(TAKERI)」が出ますよね。あれはもう、市販されたアテンザそのものなんでしたっけ。
前田:違います。今のアテンザと「SHINARI」の間ぐらいの感じです。
編集Y:えっ、ほとんどアテンザかと思った。
前田:あのTAKERIという車は、僕が「アテンザに持たせたかった骨格と形」です。結構、並べると違います、どうしても。
編集Y:先ほどおっしゃった、やりたいことをすべてやるとこうなる。だからホイールベースが違ったり、トレッドも違ったりと。
前田:ありとあらゆるものが違う。ただ、ぱっと見の印象は(アテンザに)近いですよね。
編集Y:TAKERIまでは届かなかったとはいえ、大幅な設計変更を経てアテンザのデザインは生まれ変わった。さて、お聞きしてきて気になるのが、こうした設計の変更は、「一括企画」「コモンアーキテクチャー」だから短縮できる、というものでしょうか。あるいは、そうではない?
(次回に続きます)
『マツダ 心を燃やす逆転の経営』
「今に見ちょれ」──。拡大戦略が失敗し、値引き頼みのクルマ販売で業績は悪化、経営の主導権を外資に握られ、リストラを迫られる。マツダが1990年代後半に経験した“地獄”のような状況の中、理想のクルマづくりに心を燃やし、奮闘した人々がいた。
復活のカギ「モノ造り革新」の仕掛け人、金井誠太氏(マツダ元会長、現相談役)がフランクに語り尽くすマツダ復活への道。こちらの前田さんのお話と併せて読むと面白さ倍増です。改革に使われた数々の手法の詳しい解説コラム付き。
「マツダの手法解説コラム」のタイトルは以下の通りです。
- ●「火消し」を仕事と考えてはいけない
- ●GVE、VEは"常識""思い込み"から逃れるためのツール
- ●ベンチマークについてもうちょっと突っ込みます
- ●マツダに来たフォードの「カーガイ」たち
- ●公開! 二律背反の乗り越え方
- ●「同じ考え方」でクルマを造るメリット
- ●数字には出ない、改革の最大の効果
ご興味わきましたらぜひ。
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