4年前「男性育休ハラスメント」で大企業を訴えたシングルファザー。裁判で闘い続ける理由

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東京高等裁判所の前でビラ配りをするグレン・ウッドさん。2021年9月撮影。

撮影:横山耕太郎

「2017年に訴訟を始めるときには、周囲から『男性育休で大企業を訴えても勝てるわけがない』と止められました。でも、諦めるという選択肢はありませんでした」

男性育休の取得率がわずか5.14%だった2017年。育休取得などで男性がハラスメントを受ける「パタニティ―(父性)ハラスメント」、いわゆる「パタハラ」が注目された裁判がある。

カナダ出身のグレン・ウッド(Glen Wood)さん(51)が、育児休業の取得をきっかけとしたパタハラでうつ病を発症し、療養後も正当な理由なく休職命令を受けたとして、当時勤務していた三菱UFJモルガン・スタンレー証券を相手取った訴訟だ。

グレンさんが裁判を始めた頃、日本では男性育休がほとんど話題にもならなかったが、グレンさんは一時、収入ゼロのまま、貯金を切り崩しながら裁判を続けてきた。

しかしグレンさんの訴訟以降、男性育休を取り巻く状況は一変した。

2022年4月からは、育児・介護休業法の改正によって男性育休がさらに取りやすくなることが期待されるなど、男性育休への注目はかつてない高まりをみせている。

こうした日本の変化を、パイオニアとも言えるグレンさんはどう見ているのだろう。

裁判所前、親子でビラで配り

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2021年10月21日、裁判所の前に集まったグレンさんの支援者ら。

提供:グレン・ウッドさん

子どもにはパパが何をしてきたのかを見てもらいたい。裁判で戦うことは、日本に暮らす子どものためでも、将来生まれるかもしれない孫のためでもあります」

2021年10月21日、東京高裁の前にはグレンさんとその支援者、労働組合のメンバーらが集まり、裁判に関するビラを配っていた。

今年6歳になったグレンさんの長男もビラ配りに参加。裁判所の前でも無邪気な笑顔をみせ、多くのビラを手渡していた。

カナダ生まれのグレンさんだが、日本での生活は計20年に及ぶ。

1989年に来日したグレンさんは、日本の大学院に通った後、国際交流支援の活動に携わり約10年間日本で暮らした。

その後アメリカでMBA(経営学修士)を取得し、ウォール街でメリルリンチ、ゴールドマン・サックスなど金融大手を経験。2012年に三菱UFJモルガン・スタンレーでグローバル戦略の東京代表に就任した。

特命部長を任されていたグレンさんに長男が生まれたのは2015年。グレンさんの当時のパートナーがネパールで出産した。

グレンさんは3カ月の育休を取得し、2016年にシングルファザーとして職場復帰したが、そこでハラスメントに遭ったと主張している。

その後、2017年10月には無給休職が命じられ、グレンさんは命令の無効を求める仮処分を東京地裁に申し立てた。そして2017年12月、会社を相手取り、損害賠償や給与の支払いを求めた訴訟を東京地裁に起こした。

結果的にグレンさんは2018年4月、三菱UFJモルガン・スタンレーを解雇された。

裁判でグレンさんは「育休取得前には呼ばれていた会議に呼ばれなくなった。海外出張がなくなった」などと主張したが、1審の東京地裁は2020年4月、グレンさんの訴えを棄却した。

グレンさんは控訴し、現在は東京高裁で控訴審が続いている。

「社員は会社の所有物」ではない

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男性育休の取得率は急激に伸びている。

出典:厚生労働省「令和2年度雇用均等基本調査」

グレンさんの裁判以降に、男性育休は大きく変わり始めた。

特に公務員では男性育休の取得が進み、内閣人事局によると 2020年4月~6月に子供が生まれた男性の一般職国家公務員(2929人)のうち、99%が出生後1 年以内に育児に伴う休暇・休業を取得した。このうち約9割が、1カ月以上の育休を取得している。

また2022年4月から順次施行される育児・介護休業法では、対象の男性に対して「制度について説明し、取得の意向を個別に確認すること」や、労働者数が1000人を超える事業主に対しては育休取得率の公表が義務付けられる。

そんな日本の変化を、グレンさんはどう感じているのだろうか?

「私がメディアなどで訴えてきたことが、大好きな日本への貢献になっていればうれしい」とグレンさんは言う。

一方で、「日本企業が『社員を所有物』のように扱うことを辞めなければ、日本は世界から見放されてしまう」とも感じている。

「カナダやアメリカで、父親が育休を取ったからといって、ハラスメントを受けたという話は聞いたことがありません。

日本でもパワハラ防止法(改正労働施策総合推進法)ができて前進はしているものの、このままでは日本で働こうと思う外国人はいなくなってしまいます。そして若い人たちも日本企業を選ばなくなると思います」

グレンさんは、ハラスメントが横行する現状について、グローバルスタンダードであるSDGsやESG投資とも逆行すると指摘する。

「日本ではESG投資と言えば、環境への配慮と捉えられがちですが“S”は“Society(社会)”であり、利益だけでなく社会に貢献するということでもあります。

私に応援のメッセージをくれた国内外の投資家もいましたが、社員を大切にしない企業へはESG投資家も厳しい目を向けている。社員を大切にしない企業は投資対象から外れてしまうリスクもあります。今こそ日本企業は変わらないといけないと思います」

ハラスメント訴訟の高いハードル

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グレンさんの行動は、男性育休を変える1つのきっかけになったが、これまでの道のりは平たんではなかった。

グレンさんのように社員が会社を訴える場合、裁判には長い時間と多額の費用が必要になる。

グレンさんが裁判を始めた時には、すでに会社側から無給休職を命じられており、起業するまでの約1年半の期間は、給与所得がない状態だった。

「給与も支払われない状況で、生活費だけでなく裁判の費用もかかり、昔から貯めていた貯蓄を切り崩していました。会社員のままで裁判を続けるのは、不可能に近いと思います」

グレンさんは2019年2月、知人と2人で運輸などロジスティクス関連の企業を設立。現在は会社経営で得られる収入を、裁判の費用に充てているという。

シングルファザーとして子育てと仕事を両立している毎日だが、裁判を起こしたことによる金銭的な損失は大きいという。

「アメリカでのMBA取得にも多額の費用をかけました。会社が育児休業を認めてくれたなら、今は証券会社の社員としてキャリアのピークを迎えていたはずです

日本企業に一石を投じた訴訟

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労働問題に詳しい今泉弁護士が、1審からグレンさんの弁護をしている。

撮影:横山耕太郎

一審からグレンさんの弁護を担当する今泉義竜弁護士は、今回の裁判の意義について次のように話す。

「会社員が会社からハラスメントを受けた場合、訴訟になるケースは少数です。諦めるか転職するのがほとんどだと思います。グレンさんが立ち上がり裁判を起こしたことで、日本のパタハラ問題を広く提起できた意味は大きかったと思います

また社会で男性育休の認知が進んだことで、今後ハラスメントが表面化する懸念もあると指摘する。

「いまだに管理職が『自分たちは育休を取らずに働いてきた』と考えている企業も少なくありません。

男性育休の認知は広まっていますが、今後は実際に育休を取ろうとした男性が、会社から育休取得をやめさせようと圧力を受けるケースが増える可能性もあると感じます」

広がる応援の輪

長引く裁判でグレンさんを支えたのは、同じく男性育休を取ろうと考えている若き父親からのメッセージだった。

『グレンさんのおかげで育休を取れた』というメッセージもたくさん届きました。ある男性は、上司に男性育休の相談をした時、最初は難色を示されたものの、私の裁判の記事をコピーして机に置いておいたら、すぐに育休取得が認められたといっていました」

グレンさんの裁判は、日本におけるパタハラ訴訟として、国内外のメディアが報じたことで注目された。

グレンさんと友人はパタハラ裁判について知ってもらうため、FacebookなどのSNSやYouTubeで情報発信を続け、オンライン署名サイト「Change.Org」では3万筆を超える署名が集まった。現在は本の出版準備も進めている。

「たとえ裁判が終わったとしても戦い続ける」

「日本で、私にできることを続けたい」と話すグレンさん。

グレンさんが経営するロジスティクス関連企業は、女性の運転手の採用を積極的に進めており、現在47人いるドライバーのうち、7人が女性だという。

「男性も女性も、家庭を諦めることなく働ける社会にしなくてはいけないと思っています。このまま自由に育休も取れないままだったら、一番の被害者は日本。特に日本の若い世代です。

この裁判は私に与えられた使命だと思っています。日本が変わるため、たとえ最高裁であっても、裁判が終わったとしても、戦い続けたいです」

(文・横山耕太郎

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