ボクシング、大みそか五大世界戦で見えた光と影
2012年の日本ボクシング界はにぎやかな年越しとなった。大みそかに東京と大阪で1日では史上最多となる5試合の世界タイトルマッチが挙行され、井岡一翔(井岡)が2階級制覇を達成するなど盛り上がった。テレビ局の強い意向と後押しを受けた「祭り」の裏側に見えたものとは――。
■日本のジム所属、世界王者8人に
日本人対決となった世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフライ級タイトルマッチを含めて、全ての試合で日本選手が勝ち、3人の新チャンピオンが誕生した。一夜にして日本のジムに所属する世界王者は5人から8人に増えた。
テレビ視聴率も好調だった。井岡らが出場した世界ボクシング協会(WBA)のダブルタイトルマッチ(大阪・ボディメーカーコロシアム)を中継したTBSは11.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)をマークした。
WBAスーパーフェザー級王者の内山高志(ワタナベ)の防衛戦をメーンに据えたトリプル世界戦(東京・大田区総合体育館)を放送したテレビ東京も、同局の大みそかでは過去最高となる5.1%を記録した。
両局は2年連続の大みそかのボクシング中継で、内山と井岡は前年に続く登場だった。認知度が高かった上に「どちらが(視聴率で)勝つか」などと騒がれた相乗効果も視聴率アップに貢献したと思われる。
■好ファイトの多さ、視聴率に反映も
だが、視聴率が良かった一番の理由は純粋に好ファイトが多かったからだろう。
12年はこの日までに14度の世界タイトル戦が国内で行われていたが、日本選手のKO勝利は11月に仙台で行われたWBCバンタム級タイトルマッチ(王者の山中慎介が挑戦者トマス・ロハス=メキシコ=に7回KO勝ち)の1試合だけだった。それが、この日だけで3試合がKO決着と"大豊作"だったのである。
内山と29戦全勝(15KO)の暫定王者ブライアン・バスケス(コスタリカ)の無敗対決はレベルが高く、見応えがあった。最終ラウンドになった8回、レフェリーストップに追い込んだ内山の50発以上の連打は圧巻だった。
井岡はホセ・ロドリゲス(メキシコ)を初回からアッパーとボディーのコンビネーションで倒し、6回に2度のダウンを奪って11戦目でミニマム級に続いてベルトを巻いた。
■河野、圧倒的不利の予想を覆す
ただ、そんな東西の真打ち2人を差し置いて一番インパクトのある試合をやってのけたのは、圧倒的不利の予想を覆してWBAスーパーフライ級王座を戴冠した河野公平だった。
4回に見事な左フックを命中させて王者のテーパリット・ゴーキャットジム(タイ)からダウンを奪い、そのまま2度のダウンを追加してKO勝ち。最近4、5年を振り返っても最大級の番狂わせだった。
これまで亀田大毅、清水智信、名城信男という3人のチャンピオン経験者を立て続けに退けてきた日本人キラーのテーパリットに対し、河野はこれが3度目の世界挑戦だった。
10年から11年にかけて3連敗を喫し、ボクサーとして完全に下り坂と見られていた。今回の挑戦が決まった時点で「ミスマッチ」との声も少なくなかったほどだ。
■興行形態の恩恵とテレビ局の希望
では、それほど期待の薄かった河野に、なぜ3度目のチャンスが与えられたのか。それは近年すっかり定着した2つ~3つの世界戦を同時に開催する興行スタイルの恩恵であり、背景にはテレビ局の強い希望がある。
テレビ局は、メーンイベントが序盤KOなどで早く終わった場合の「保険」として、複数の世界戦を組むことをプロモーターに求めることが増えた。
今回、トリプル世界戦を放送したテレビ東京の関係者も「試合終了を境に番組視聴率はガクンと落ちる」と語る。
さらにボリューム感も重要だという。「放送が1時間枠だと、新聞のテレビ欄でも埋もれてしまって目に付かない。2時間枠を埋めるのはどうしても最低2試合、できれば3試合欲しい」
河野はメーンイベンターを務めた内山と同じワタナベジムの所属。ジムとしても内山という看板スターの人気と集客力を利用して、河野にラストチャンスをつくってあげるのは悪い話ではない。
逆に言えば、河野単独の世界タイトル戦は勝算や興行の収支を考えても成立し得なかったろう。
■複数世界戦の同時開催、今後も
昨今はテレビ放映のない世界戦も珍しくない中で、ゴールデンタイムに中継してもらえるとなれば、プロモーターやジムにとってこれほど歓迎すべきことはない。
当然、テレビ局の意向に沿って動こうとする。複数世界戦の同時開催は「世界タイトルが軽く見られる」と批判的な声もあるが、本場米国でもビッグマッチの前座で複数の世界タイトル戦が行われるのは当たり前だ。この流れは変わらないだろう。
ただ、テレビ局が常にボクシング界をいい方向に導いてくれるとは限らない。ひずみが垣間見えたのは他ならぬ、今回一番の主役といえた井岡の王座決定戦だった。
12年6月にミニマム級で日本初のWBA、WBC2団体統一王者になった井岡はその後、両団体のベルトを返上した。
本来のベストウエートであるライトフライ級に階級を1つ上げ、今回は空位となっていたWBA王座をロドリゲスと争った。
■スーパー王者、WBAだけの意向か
実は同王座にはこの階級で最強といわれるローマン・ゴンサレス(ニカラグア)が鎮座していた。34戦全勝(28KO)の完璧なレコードを誇る強打者である。だが、WBAは11月末に突然、ゴンサレスを「スーパー王者」に格上げして正規王座を空位にした。
スーパー王者は他団体とのタイトル統一や10度防衛などの実績を残したチャンピオンが昇格することが慣例だが、ゴンサレスはいずれも当てはまらない。唐突感は否めなかった。
暫定王座を含めて1階級に3人の王者を認定しているWBAの無秩序ぶりが混乱を招いている一番の原因だが、今回の決定がWBAだけの意向とは考えにくい。
ボクシング界で一番パワーを持っているのは世界タイトル認定団体ではなく、興行を行うプロモーターであり、多額の放映権料を支払うテレビ局だ(タイトルマッチの承認料を受け取る認定団体は、いわばプロモーターとは一心同体の関係にある)。
■年末に3階級制覇挑戦も
2年ぶりにライトフライ級に戻ったばかりの井岡陣営も、当初はノンタイトル戦を予定していたと言われる。
ゴンサレスと契約する帝拳プロモーションの本田明彦会長も「井岡サイドからは何のオファー(対戦交渉)もなかった」と語っている。
だが、11月30日に王座決定戦に出場することが発表された。試合1カ月前という慌ただしさだたった。「大みそかのゴールデンタイムには物足りない」と、ノンタイトル戦に難色を示したテレビ局の意向が働いたことは容易に想像できる。
2階級制覇という話題が欲しいテレビ局、過大なリスクのマッチメークは避けたいジム、日本のマーケットを捨てがたい認定団体。3者が折り合った着地点が今回の王座決定戦だったのだろうが、少々無理のあるマッチメークだったと言わざるを得ない。もちろん、選手本人に責任はないが。
井岡の父でプロモーターの一法氏は、試合後に「今年の大みそかには3階級制覇挑戦もあるかもしれない」と語ったそうだが、王座が乱立する今のボクシング界で求められているのは安易なベルトコレクションではないだろう。
■望まれる正統派路線
ファンが望むのは最強ゴンサレスとの対戦である。WBAは既に井岡にゴンサレスとの対戦を義務付けると発表した。
この世界は何事も交渉の腕次第なところがある。対戦が実現するかは不透明だが、たとえゴンサレスに負けても何ら恥じることはないし、毎試合しっかりしたパフォーマンスを見せてきた井岡ならいい勝負になるのは間違いない。だからこそ、正統派路線を歩んでほしい。
(山口大介)