奈良・小山田遺跡は「最大級の方墳」 橿原考古学研究所
石敷きの大規模な堀跡(7世紀中ごろ)が見つかった奈良県明日香村の小山田遺跡を調査している同県立橿原考古学研究所は1日、横穴式石室の入り口部(羨道)の遺構を発見したと発表した。羨道の位置などから一辺が約70メートルに達する巨大方墳とみられることが判明。蘇我馬子の墓との説が有力な同村の石舞台古墳(一辺約50メートル)を上回り、最大級の方墳という。
同遺跡を巡っては墳丘が失われた未知の方墳との見方に加え、苑池(えんち)や居館跡の可能性を指摘する声があった。同研究所は今回の発見により遺跡名を「小山田古墳」に改め、引き続き発掘する方針。
被葬者については同研究所が「舒明天皇(在位629~641年)が最初に葬られた墓では」とみる一方、蘇我蝦夷ら別の有力者の墓との説もある。
羨道跡は1メートルを超す巨大な壁石を抜き取った痕跡と石組みの排水溝跡で、堀跡の約65メートル南で見つかった。幅は2.6メートル。石室の規模は石舞台古墳を上回るとみられる。
墳丘の下層で6世紀後半の集落跡を、墳丘の盛り土から7世紀前半の瓦を発見。過去の調査で堀の堆積土から7世紀後半の土器が出土しており、同研究所は「7世紀前半以降に集落を潰して築造し、7世紀後半に廃絶した」と判断している。
舒明天皇は天智天皇(中大兄皇子)の父。日本書紀によるといったん滑谷岡(なめはさまのおか)に葬られ、その後に押坂陵(おしさかのみささぎ)に改葬された。押坂陵は宮内庁が舒明陵として管理する段ノ塚古墳(奈良県桜井市)とする見方が有力。