鈴木章介さん、期待と重圧「出たものしか分からない」…64年東京五輪・十種競技15位

スポーツ報知
東京五輪で着用したジャケットを身にまとい、巨人のコーチ時代の写真を手にする鈴木さん

 2020年東京五輪の開幕までまもなく1年。前回1964年の東京五輪の陸上の男子十種競技に出場した鈴木章介さん(82)=浜松商高出=をインタビュー。世界の祭典を知る静岡出身のレジェンドが55年前を振り返り、2020年に挑むアスリートたちに熱いエールを送った。(塩沢 武士)

 キング・オブ・スポーツと称される陸上の十種競技。1964年の東京五輪に出場した鈴木さんは、最終種目となる1500メートルに並々ならぬ思いで臨んだ。「とにかく、先頭で行けるところまで引っ張ろうと思った。全力で走る姿を、日本中の人に見せたかった」。総合結果は15位と、世界のトップとの力の差はあったが、大和魂は見せた。

 55年前の記憶は、今でも鮮明に覚えている。「五輪は出たものにしか分からない。日の丸を背負う責任もあるし、期待もされる」。言葉に言い表せない重圧。大舞台で戦ったものだけが知るあの感覚は、大事な宝物だ。

 浜松商高では棒高跳びの選手。早大に進学してから十種競技に転向した。2度、アジア大会に出場し、3位、2位で連続メダルを獲得した。64年の日本選手権を制して五輪の切符をつかんだ。

 鈴木さんはプロ野球の世界で、他種目からコーチとなった草分け的存在でもある。五輪出場した翌65年に当時の川上哲治監督から依頼を受けて巨人のトレーニングコーチに就任し、第1次長嶋茂雄監督時代の79年まで在籍。黄金期を裏方として支えた。それだけに2020年に挑む現代のトップアスリートへと注ぐ視線は熱い。

 飛び込みで、東京五輪の内定第1号が出るなど、今後も出場選手が決まっていく。高校の後輩では、アーチェリー女子の杉本智美(ミキハウス)が有力候補の一人だ。浜商の校舎の入り口には五輪選手のプレートが飾られる。「ここに杉本が入って欲しいね」。1996年アトランタ五輪サッカー男子の鈴木秀人(現ジュビロ磐田監督)以来、母校からのオリンピアン出現に期待している。

 ◆鈴木 章介(すずき・しょうすけ)1936年11月11日、浜松市生まれ、82歳。中学2年から陸上を始め、浜松商高では棒高跳びで日本一に輝く。早大入学後、十種競技に転向。58年アジア大会で日本代表。大昭和製紙(現日本製紙)に入社し、58年から63年にかけて5回、日本記録を更新。東京五輪翌年の65年にはプロ野球・巨人のトレーニングコーチに就任。夫人の文子(旧姓伊藤)さんは、女子走り幅跳びで60年ローマ五輪に出場した。

 ◆十種競技 走る、跳ぶ、投げるのオールラウンドの能力が要求されるため「キング・オブ・スポーツ」とも称される。現在の五輪の男子十種競技は、2日間で行われ、第1日に100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル。第2日は110メートル障害、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500メートルの順で競技。各種目別得点を累計した総得点で順位を争う。

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